特集:ナイチンゲールの越境 ──[情報]

対談:ドミニク・チェン × 孫大輔

ウェルビーイングを考える

PART 1   <  ○ ○ ●  >

メンバーには情報工学や社会情報学の専門家のほか、コミュニティ論を研究されている社会学者や法律家、さらに安田登さんという能楽師の先生も参加されています──ちなみに、僕はいま彼に師事して能の謡いを勉強しています。ほかに平等院の住職・神居文彰さんにも仏教の観点からコメントをいただいています。僕たちは具体的なプロダクトではなくガイドラインの作成を目指しており、メンバーは技術開発を通して考えるグループと、それを実際のコミュニティの中でどう評価されるかを考えるグループとで構成されています。

 

このRISTEXによる「人と情報のエコシステム」には、僕たち以外にもいくつかの研究プロジェクトがあり、医療分野では国立病院機構東京医療センターの尾藤誠司さんが代表を務める「“内省と対話によって変容し続ける自己”に関するヘルスケアからの提案」があります。いずれも人間と情報システムがうまく馴染んでいくためにはどのようなアプローチが必要か、という課題に取り組む研究です。

 

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今日はこの研究で使っているツールを持ってきたので、ぜひちょっと触っていただきたいのですが……。

 

これは「心臓ピクニック」と言います。聴診器を胸に当てて、この四角い“心臓ボックス”を手に乗せると鼓動を感じることができる仕掛けです。ちょっとやってみてください。

 

 

 自分の鼓動が手のひらで感じられますね。

 

チェン 次は、聴診器を私の胸に当ててみますね。心臓の箱はそのままで。

 

 

 不思議な感覚ですね。触覚で感じるという経験は初めてです。最初の5秒間ぐらいは専門家として「不整脈はないかな」とか「脈拍はどのくらいかな」なんて考えてしまいましたが、だんだん何かこう、気持ちがあたたかくなってきますよね。耳で聞くと科学者的・客観的な意識になってしまうのが、こうやって手の上で感じてしまうと「大事にしなきゃ」っていう感覚が自然に生まれてくるのではないかと思います。

 

チェン 私にも孫さんの鼓動を触らせていただいていいですか?…… 静かだけどパワフルな感じですね。専門家にこんなこと言って大変失礼なのですが(笑)。

 

 

いろいろな人の鼓動に触れてみると、ぞれぞれが全然違います。そもそもこれは、川口ゆいさんというアーティストが「心臓の鼓動を作品に使いたい」と大阪大学の安藤先生に相談してつくり始めたものです。だから当初はウェルビーイングや医療のことなど、まったく考えていませんでした。しかし、国内外で1,000人くらいの人々にワークショップを通して体験してもらったところ、先ほど孫さんもおっしゃったような「ちょっとあたたかくなる」とか「共感が生まれる」「感情移入が起こる」といった反響がたくさんあったのです。

 

それを僕たちは科学的に解き明かそうと考えています。こうしたハプティック(触覚技術的)なフィーリングというものが、たとえば今のスマホなどには全然ないですよね。でもうまく活用できればたとえばSNSで炎上したり、イライラしたり、フィルターバブル(自分と異なる意見の人を受け入れられなくなること)に陥ったりする現状を変えていけるかもしれません。

 

先ほど触れたように、海外ではポジティブ心理学からポジティブ・コンピューティングという発想が生まれているわけですが、ただあまりに個人主義的なところがある。だから、それをそのまま日本社会に輸入して当てはめてもうまくいかないだろうという直感があります。

 

 だから「日本的ウェルビーイング」を考える必要があるわけですね?

 

チェン そうです。「日本的」という言葉で、日本の固有性を考えるということ以上に、日本という場にフィットする技術のあり方を目指しています。心身に働きかけるデバイスやソフトウェアは今もいろいろありますが、そのほとんどが情報を数値化したりグラフ化したり、科学的に客観視するようデザインされています。でもこのように手で触れるようにすることで、そこに当事者性のようなものが生まれます。また、現状の製品やサービスでは答えがすべてプリセットされていますが、「50kgまでダイエットしましょう」「10km走りましょう」とあらかじめ設定された目標というのは、なかなか達成できなくてつらいですよね。自律性という面で考えれば、この心臓ピクニックのように使う人が勝手に意味解釈を与えられる余白がある設計のほうがいい。身体的な感覚を通してノンバーバルな情報の享受ができるものを、実際の日常生活で使って実証していきたいのです。

 

 医療の世界でも客観的なデータとして情報を集める形が中心です。診察時には触診で身体に触りますけどね。患者さんというのは触られることを望んでいるし、診察時に少しでも触るか触らないかでかなり満足度が変わってくるので、僕らも意識して手で脈を測ったりもしますけど。ただ意外に、あえてこのようにタンジブル(手触り感のある)なインターフェイスを介して実体感を呼び起こすことで、かえって自然に共感できたりするという可能性はありますね。

 

── PART 2 につづく

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