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イラストレーション : : 楠木雪野
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意思決定支援やシェアード・ディシジョンメイキングと対話
現在、患者と医療者との対話が今まで以上に注目されているのは、関係者間の調整を通じた意思決定支援や医療職と患者家族が共同で意思決定を行う「シェアード・ディシジョン・メイキング(SharedDecisionMaking:SDM)」の重要性が高まっていることと関係があると思われます。インフォームドコンセント(IC)は時として、医療者が最善と思う治療法や選択肢について患者に同意をもらうだけになってしまったり、医療者は病状や治療についての情報を与えるだけで決定については患者に丸投げすることになったりして、患者が自律的に決定することにつながらない場合もあります。こうしたICの不足点を補うために考えられたのが、意思決定支援やSDMだと言えます。
ナースの役割として期待される意思決定支援では、患者の価値観や大事にしていることをよく聴き理解することや、患者と家族、医療者の間に立ち、互いに尊重しながら率直に話しあえる場を作ることにおいて、ここまで述べてきた対話的なスキルや態度を生かすことができるように思われます。SDMでは、患者は医療者とは違う種類の情報(価値観、生活面で大切にしたいこと、社会的役割や背景)を持つとされ、互いの異なる情報を持ち寄り、また、情報だけでなく、「目標」や「責任」を共有して決定を行うという、両者の対等性、相互性が重視されています※1。この医療者と患者が同じ目標・責任を共有するということは、前回に紹介した、医療者と患者が同じ一つの「問い」やテーマを共有し、一緒に考える三角形の関係と共通するものであり、SDMとはまさに患者と医療者の対話と探求だと言えるかもしれません。
※1:『これから始める!シェアード・ディシジョンメイキング新しい医療のコミュニケーション』中山健夫編、日本医事新報社、2017年。
ただし、意思決定支援であれSDMであれ、専門家である医療職と患者の間とは、立場や持っている知識・情報、ものの見方(フレーム)が異なるため、両者が同じものを見て話すことはそれほど簡単ではありません。しかも、これまでの医療者の思考の習慣として、問題解決志向が強いため、患者の問題を早く解決しなければ、自分が答えを与えなければ、と思ってしまうことがあったり、患者に治療の方針を早く決めてほしい、できれば医学的に妥当な選択肢に患者を導きたいという思いを持つ場合もあり、じっくり相手のいうことを聴いて一緒に考えるということが難しくなる場合もあります。
医療者と患者が「対等」に、同じ「目標」やテーマを共有して互いに意見を出し合うことは、それほど簡単なことではなく、特に医療者の側に、これまで求められてきた専門職の態度とは異なる、新しい対話的態度が求められていると言えます。ここでは、これまで述べてきた対話と協働の探求という観点から、意思決定支援やSDMでのコミュニケーションにおいて重要と考えられることを挙げてみます。
患者の目線で、見ているものを見る──患者と医療者の目線の違いをこえて
医療者のみなさんが考える以上に、専門家である医療者と患者では見えているものが大きく違っており、これが医療職と患者の対話を難しくさせているところがあるのでは、と筆者は思うことがあります。これについてはある心理学の先生が、医療者と患者の立場や見ているものの違いを「鳥の目」と「虫の目」に喩えて説明しておられたのを聞き、なるほどと思ったことがあります。
「鳥の目」を持つ医療者は、病気になった患者を高い上空から客観的、俯瞰的に見下ろすことができます。医療者は、病気を自分の人生に起こった出来事とではなく、治療の対象としての〇〇病一般として、客観的に余裕を持って見ることができますし、その病気になったさまざまな患者やその経過を知っていることから、選択肢やその後の道行きがある程度予見できます。
ところが、地面を這う「虫の目」を持つ患者にとっては、病気というのは、突如自分の人生の行く手に現れた暗い森に迷い込んだような体験であり、それを医療者のように距離をとって客観視することは難しい場合がほとんどです。また、予想もしなかった、初めての経験のため、これからの先行きも全く見通せません。この医療者と患者の目線の違いは、医療者が疾患(disease)という客観的な対象として見ることができるのに対し、患者は病気(illness)という自分の人生を左右する困難な事態として体験しているということの違いに起因しています。
このように目線や見ているものが異なれば、選択肢の見え方も医療者と患者にとってでは大きく異なります。医療者にとっては、選択や決定とは、あくまである疾患の治療法としてどれを選択するかということですが、患者の目線からすれば、そこで問題になっているのは治療法の選択ではなくそれに伴う、生き方や自分が大事にしたいことの選択のほうです。ですので、医療者と患者が「目標」を共有するためには、医療者のほうが、患者の「虫の目」目線に降り、その人が病気になったことやそのなかでの選択をどのように体験し、見ているかを理解することがまずは重要だと言えます。
あるがん患者さんが、自宅で子どもたちと長く過ごしたいという理由で、入院しながら抗がん剤治療を受けることより、医学的には効き目が低いが通院でできる放射線治療と自宅での代替療法を選んだとします※2。医療者の目には、抗がん剤治療を続ければある程度の効果が期待されるにもかかわらず、確実性が少ない放射線治療や代替療法をどうして選ぶのか、不合理な選択に見えるかもしれません。ただ、理解しないといけないのは、医療者には治療法の選択と思えるものが、この患者には「長期入院して家を空ける」ことと「子どもたちと一緒になるべく長い時間を過ごせる」ことのあいだの選択として見えているということです。
※2:『患者中心の意思決定支援 納得して決めるためのケア』、編集中山和弘、岩本貴、中央法規、2012年。
このようなケースでは、まずは「子どもたちと一緒になるべく長い時間を過ごせる」という患者自身の当面の「目標」やテーマをよく理解し共有したうえで、その目標を大事にしながら、今後どうしていくかについて治療法の提案・選択に限らずさまざまなアイディアを出しあうことが必要となるでしょう。
この連載でも書いたように、患者の目標や大事にしていることを共有し大切にするということは、決して患者の言うままになることではありません。むしろ、それらを本当に尊重、共有しているということが相手に伝わり、互いに聴きあい信頼できる関係が築けているからこそ、「抗がん剤治療をしたほうが、長い目で見ると子どもと一緒にいられる時間が多くなるのではないか」や「入院治療していても、こどもとの時間やつながりを確保できる方法はないか」など、医療者の側のアイディアや考えを、押し付けではなくあくまでも提案としてアサーティブに伝えられ、患者の選択肢の一つとして考えてもらえるのではないかと思われます。
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