<シリーズ「教養と看護」>
『看護の経験を意味づける
対話をめぐる現象学』
西村ユミ 編
発行:日本看護協会出版会
192頁・四六判
定価(本体1,700円+税)
ISBN 978-4-8180-2132-7
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「現象学者のメルロ=ポンティは〈哲学とは己れ自身の端緒のつねに更新されてゆく経験である〉と言った。本書で試みた“対話”は、まさにこの更新を引き起こし、そこで生み出されたのは経験の新たな意味と自己の〈再発見〉であった。私たちは、現象学を実践したのだ」
── 西村ユミ(「あとがき」)
にしむら・ゆみ/首都大学東京健康福祉学部教授。日本赤十字看護大学卒業。神経内科病棟での臨床経験を経て、女子栄養大学大学院栄養学研究科(保健学専攻)修士課程、日本赤十字看護大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター臨床コミュニケーション部門助教授および准教授を務める。現象学・身体論を手がかりとしながら看護ケアの意味を探究している。臨床実践の現象学会主宰。著書に『語りかける身体』(ゆみる出版)、『看護師たちの現象学─協働実践の現場から』(青土社)、共著に『遺伝学の知識と病の語り─遺伝性疾患を越えて生きる』(ナカニシヤ出版)などがある。
「たまたま自分は強烈な個性の親のもとに生まれて、その与えられた条件の中で一所懸命にやってきたんだっていう気持ち。これがたぶんあるんですよね。だからわかってしまうんですよ。常に選びようがない中で選び続けていく人たちと関わるのが看護だということを」
── 宮子あずさ(第1章「私だけの“問い”の見つけ方」)
みやこ・あずさ/看護師・作家。明治大学文学部中退後、東京厚生年金看護専門学校を卒業し、東京厚生年金病院(現JCHO東京新宿メディカルセンター)で二十二年間看護師として勤務(内科・精神科・緩和ケアなど)。東京女子医科大学大学院博士後期課程修了。著書に『看護師という生き方』(ちくまプリマー新書)、『訪問看護師が見つめた人間が老いて死ぬということ』(海竜社)、『両親の送り方─死にゆく親とどうつきあうか』(さくら舎)など多数。母は評論家・作家の吉武輝子氏、父・宮子勝治氏はテレビ局報道部勤務を経て、映画『東京オリンピック』(一九六五年)の制作に関わる。
「私たち人間は言葉なしで生きてゆくのが難しい存在ですが、同時に言葉に縛られて、人間を含めた世界の豊かで深い全体を損なう存在でもあります。西村さん、細馬さんのおかげで〈詩〉と呼ばれる特別な言葉の働きを、実例とともに読者の方々にも感じとっていただければ幸甚です」
── 谷川俊太郎(第3章「対話のあとに」)
たにかわ・しゅんたろう/詩人。一九五二年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。多数の詩集や散文、絵本や童話、翻訳があるほか、「鉄腕アトム」主題歌の作詞など多彩な創作活動を行う。近年は、詩を釣るiPhoneアプリ『谷川』(ナナロク社ほか)や、郵便で詩を送る『ポエメール』(ナナロク社)など、詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦。「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詞賞、『マザー・グースのうた』(草思社)で日本翻訳文化賞、『日々の地図』(岩波書店)で第三十四回読売文学賞、『世間知ラズ』(思潮社)で第一回萩原朔太郎賞、『トロムソコラージュ』(新潮社)で第一回鮎川信夫賞など、受賞も多数。
「チャートに沿って必要だから聞く姿勢と、患者の身体に今何が起こっているのか、患者が病気になったことで何を経験しているのかと、患者の言葉(あるいは身体の徴候)を一つの問いとして受け止め、その問いに応えようとして「情報を聴く」のとでは、何かが違うことに気がつきます。つまり「対話」というものは臨床的なあらゆる場面で、看護師の聴く姿勢によって生まれるのではないでしょうか」── 東めぐみ(第2章「読者として対話に参加する」)
「病気には患部があり、詩には作者がある。からだは正常な部位と患部に分割でき、ことばは世界を正しく分割でき、ひとは作者と読者に分割できる。病気の原因は患部にあり、詩の意味は作者にある。患部を切除すれば病気が治り、作者に意味を問えば詩が理解できる。このような考え方と全く逆のことを西村ユミと谷川俊太郎は語っている」── 細馬宏通(第3章「開かれる絵本、開かれる詩」)
ひがし・めぐみ/東京都済生会中央病院人材育成センターセンター長代理。日本赤十字看護大学大学院修士課程修了。慢性疾患看護専門看護師として糖尿病患者へのケアに携わり、ケアの方略についての共同研究を行ってきた。また、看護師のキャリア支援の担当者として看護実践の言語化を推進し、経験から学ぶことができる看護師の育成を行っている。著書に『看護リフレクション入門』(ライフサポート社)、共著に『糖尿病診療実践ロードマップ』(南江堂)、『慢性看護の患者教育』(メデイカ出版)などがある。また歌人としても活躍し未来賞受賞、二冊の短歌集を刊行している。
ほそま・ひろみち/滋賀県立大学人間文化学部教授。一九六〇年生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了(動物学)。発語とジェスチャーの微細な構造を拾い上げることで、人と人とが空間や時間をどう捉え、どのように相互に思考するかを探っている。著書に『浅草十二階──塔の眺めと“近代”のまなざし』(青土社)、『絵はがきのなかの彦根』(サンライズ出版)、『うたのしくみ』(ぴあ)、『活動としての文と発話』(ひつじ書房)、『介護するからだ』(医学書院)など。
目次と内容
ことばの抜粋
書 籍 情 報
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第1章 私の看護を再発見する 宮子あずさ × 西村ユミ
フランスの二人の哲学者、ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)とモーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)は、かつてともに雑誌「レ・タン・モデルヌ(現代)」を編集する友人でした。それぞれにとっての「実存」という問題と向き合いながら、やがて二人の関係は対立していきます。サルトルは自らの「選択」によって現実を変えていこうと、積極的な社会・政治参加をより重視していった一方で、メルロ=ポンティは、知覚する身体をめぐる独自の現象学を構想していくことになるのです。
自身の看護師としての問いに向き合う時、この2人の哲学者の思想を最大の手がかりとしてきた宮子あずさ氏と西村ユミ氏に、看護師となる以前の自分も振り返りながら、哲学への関心がもたらす自己の「再発見」の素晴らしさについて、楽しく語り合っていただきました。
内容 ◉ 身体と肉体 / 生きづらい人生、気前よく / 私だけの“問い”の見つけ方 / 対話のあとに
第2章 対話がつくる“生きた経験” 東京都済生会中央病院看護部
東京都済生会中央病院に勤務する7人の看護師長たちが、自身の「引っかかりのある事例」を語り合った対話実践の記録。参加者の皆さんは、これまで数えきれないほど多くの患者に接し、多様な出来事に遭遇してきた中で、なぜそれぞれの事例を選んだのでしょうか。おそらくそこには、自分自身の看護へのこだわりや大事にしたいことと関係した、いわば自らの看護を反映した何かが含まれていたからでしょう。
それまで自覚していなかった物事を言語化し、グループでの対話を通して他者との理解の枠組みや視点の違いを明らかにすることで、過去の「引っかかり」に新たな意味づけがなされ、それは“生きた経験”へと変わるのです。
内容 ◉ 経験を語る(7人の看護師長・西村ユミ)/ 言語化を促す「ワークショップ」という方法(西村ユミ)
読者として対話に参加する(東めぐみ)/ 対話のあとに
第3章 言葉を待つ 谷川俊太郎 × 西村ユミ + 細馬宏通
私たちが生きる日常には、言葉ではすくいきれない物事がたくさんあります。意味に埋め尽くされたこの世界で見失いがちな、大切なもの。例えば、ここに私がいてあなたがいる。そのことの途方のなさを、からだ全体で受け止めようとして、詩人はいつも、何かをじっと待っています。
内容 ◉〈詩〉という特別な言葉の働き(谷川俊太郎・西村ユミ)/さようなら(谷川俊太郎)
開かれる絵本、開かれる詩(細馬宏通)/対話のあとに
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