考えること、学ぶこと。
意志ある学び
一人ひとりを輝かせる組織へ
鈴木 敏恵
島根県立中央病院での「目標管理のプレゼンテーション・ポートフォリオでの知の共有」の様子。
「成長できる組織」が 学生にも社会にも選ばれる
鈴木 こうして伺っていても、組織における教育や人材育成には、その組織のトップの方の明確なビジョンや哲学が必要であることが分かります。研修内容も大事ですが、組織のスタッフ全員が「何のために研修するのか」「組織における教育の目的は何か」を明確にし、合意することの必要性を感じます。
医療機関における研修や目標管理は、単に「業務の効率化」や「生産性の向上」「クレームの減少」などの課題解決の手段ではないと思います。そこには働く一人ひとりが生きがいを感じ「人間として成長する」いう信念があり、院内教育プログラムでもこの視点が欠かせないと、お話を伺って改めて思いました。
もう一つ、組織の教育をデザインする際に大事なのが、今という時代をとらえ、これから社会はどうなるのか、人間は何を目指して生きるのかという「未来の方向を見ること」です。その未来の一つの姿が「人工知能(AI)」時代の到来だと思います。
「人間にしかできないこと」は何か
鈴木 今、AIが仕事や生活をどう変化させようとしているのか、社会的な関心が高まっています。皆さんはこの動きをどうとらえていますか。
池田 「AIは人間の仕事を奪うのではないか」という議論もありますね。
鈴木 確かにそのような議論があります。しかし、AIやロボットが代替できない仕事の筆頭が「看護師の仕事」ではないでしょうか。AIはビッグデータをすさまじい能力で分析し、特定の兆候の発見や高度な推測をしますが、医療のすべてをテクノロジーで代替できることはありません。一人ひとり異なる人生を歩んできた患者さんに応じて、尊厳あるケアや言葉がけ、タッチングなどを行う看護の本質は、エビデンスに基づきながらも極めて人間的な振る舞いを伴うものです。これらはAIが苦手とし、人間にしか果たせないことだと思います。
菊池 ケアは画一的ではありませんから、AIにはできない領域です。むしろAI時代の到来により、本来のケアに集中できるといえるのではないでしょうか。今後、医療現場ではナラティブ・ベースト・メディスン(Narrative Based Medicine:物語と対話に基づく医療)がさらに重要になると思います。
池田 医療でもAIの力を利用していくことは必要ですが、「人間にしかできないことは何か」を考えて棲み分けをしたいですね。
鈴木 看護や教育など人と向き合う仕事は、一つひとつの振る舞いや言葉に意味や意図があります。看護教育も、人の心やその背景への想像力、課題解決のアイデアを実行に移す創造力や行動力をより重視する教育へ変わらなければならないと思います。
人工知能(AI)の活用が
一般化する時代における重要な能力
(総務省「平成28年版情報通信白書」第1部 第4章 第4節 必要とされるスキルの変化と求められる教育・人材育成のあり方.図表4-4-1-2. より)
この図は、総務省『平成 28 年版 情報通信白書』で提示された「人工知能(AI)の活用が一般化する時代における重要な能力」です。日米の差はありますが、上位の対人間関係能力や情報収集能力、課題解決能力、チャレンジ精神や主体性、行動力、洞察力などは、看護師に求められる資質・能力とほぼ一致するといえます。
菊池 これまでの教育は偏差値教育で、いわば知識の豊富さや記憶力を問う教育でした。しかし、偏差値で測ることのできる内容の多くはAIが得意とするものです。AIの時代に求められるのは物知りではなく、自分の仕事に責任を持ち「自分の領域」について深く学べる人。人の心がわかり、知恵を出し合える人が社会から必要とされるのではないでしょうか。
鈴木 自分の領域、つまり自分が関心を持ち、なぜか心惹かれる分野でこそ、それぞれの資質が発揮されるということですね。
池田 看護師という職業を選んだ時点で、ある程度「人を喜ばせたい」という気持ちが根底にあると思います。そうした面では皆「自分の領域」で働いているといえますが、配属された部署が合わないと感じる人も少なくありません。
病院に限らず、在宅や教育現場など、看護を生かせる場所は非常に幅広くなっているので、ぜひ自分に合う現場で力を発揮してほしいですね。病院内でも、看護管理に向いている人もいれば、スタッフとしてずっと臨床にいたいと思う人もいます。管理者は一人ひとりの資質を的確にとらえ、伸ばしていかなければならないと思います。
次世代に求められる「4つの修得知」
鈴木 私は、これからの教育に求められる修得知として下の図のような「4つの修得知」を提言しています。A(知識・スキル)は体系化された知識・技術の集合体、AIやロボットが得意とする領域です。一方、B(知性・精神)とC(コンピテンシー[力量・能力])は目の前の現実の中で成果に直結する能力、D(ビジョン力[課題発見・解決力])は「未来を良くしたい」という願いを叶えるために現状から課題を発見して解決していく、人間だけが持つ夢を実現する力です。
次世代教育スキル──4つの修得知モデル
(鈴木敏恵 著『AI時代の教育と評価』教育出版、2017、p.21より) >> 拡大
特にB(知性・精神)は人間の心、精神や魂、創造や行動の源であり、個人の資質や能力に拠るところが大きいため、AIには代替できません。次世代教育では、特にB~Dの力を身につける必要があります。その有効な方法として構想したのが、ポートフォリオ・対話コーチングを統合させた「次世代プロジェクト学習」です。
ポートフォリオとプロジェクト学習の
相互機能
(鈴木敏恵 著『AI時代の教育と評価』 教育出版、2017、p.37より) >> 拡大
ポートフォリオとは:学習や仕事のプロセスで手に入れた資料、作品などをファイルしたもの。
プロジェクト学習とは:学習者自身が「何のために、何をやりとげたいのか」を明確にし、具体的な目標(ゴール)をたて、そのゴールへ向かうプロセスで課題解決力を身につける学習手法。学習のゴールとして、他者に役立つ「知の成果物」を生み出すことが特徴である。この学習プロセスでポートフォリオを活用することで、自分の思考・判断・行動を客観的に見ることや、学習の適切な評価を行うことができる。
ありたい未来を描き、そこへ向かう過程を自分で見つめ、成長するためにポートフォリオを活用する「次世代プロジェクト学習」を、いま導入する組織が増えています。私は2004年からアドバイザーとして、島根県立中央病院の皆さんとともに、プロジェクト学習を看護の現場で実践してきました。池田さん、島根県立中央病院のお取り組みをご紹介いただけますでしょうか。
病院における「次世代プロジェクト学習」の実際
池田 当院では2003年から目標管理を導入したものの、本当の意味で成果を挙げているかどうか見えづらい状況でした。そうした中、当時の看護師長が鈴木先生のワークショップでポートフォリオとプロジェクト学習の手法が目標管理に有効であることを知り、2004年から鈴木先生をアドバイザーに迎え、一部の部署でプロジェクト学習を導入しました。その後も定期的にポートフォリオとプロジェクト学習の研修を行ってきました。
2012年に看護局で改めて全看護職員の目標管理を見直したところ、目標シートは形式的な記入にとどまり、看護局が目指す目標管理の姿から程遠い現状が明らかになりました。
一人ひとりの意欲を引き出し、組織力の向上につなげるという目標管理の本来の意味を果たさなければ、時代の変化に即した看護はできません。そうした危機感から、同年に全看護職員を対象としたポートフォリオとプロジェクト学習による目標管理を再スタートしました。
現在は全看護職員がポートフォリオを作成し、年度末には成果発表会を開催しています。今日はその発表会でした。個人が1年間に学習した内容や取り組みを収めたポートフォリオを発表し、「知の共有」をとおして周囲から認められることが、仕事へのモチベーションや学習意欲につながっていることを実感しています。またミドルの経験の共有にもポートフォリオは有効と感じています。
鈴木 現場の看護師さんたちは、ポートフォリオをめくりながら発表されていましたね。菊池先生、今日の発表会に参加されていかがでしたか。