特集:ナイチンゲールの越境  ──[戦争]

小特集「戦争とこころの傷 」﷯
紛争地の生と死 ─ 暴力の渦巻く現場で─ text by 白川 優子

 

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平穏な暮らしが、「よそ者」に支配される

 

2017年、イラク第2の都市であるモスルに私が派遣されたときのエピソードを1つ、紹介したい。

 

この時期、「イスラム国」(IS)と自称するイスラム過激派組●2と、政府軍を率いる多国籍軍との戦いがあり、他の多くの紛争同様、ここでも罪のない多くの一般市民が巻き込まれていた。

 

©MSF

©MSF

イラク・モスルでの医療活動。奪還作戦(本文参照)で被害に遭った人々への対応を行う。

 

 

突然モスルにやって来たISたちは、「新しい国を樹立する」と宣言し、この街を電撃的に制圧してしまった。そこには当時、平穏に暮らしていた一般市民約150万人が存在していたが、突然、「よそ者」であるISに支配され始め、厳しい戒律を強いられたのだ。ISに逆らう者、ISの怒りを買った者は残虐に処刑された。ISは学校をも乗っ取り、子どもたちに人の殺し方を教えるようになった。逃げる者はスナイパーに狙撃され、携帯電話を持つ者はスパイ容疑で斬首された。

 

ISの台頭から3年の月日が経った2016年11月、ついにイラク政府と多国籍軍によって、モスル奪還作戦が開始された。半年以上にも及んだ作戦は、空爆や銃撃、砲弾による暴力的なものであったため、騒動から逃げまどう一般市民たちに多くの犠牲者が出た。私が派遣されたMSFの病院では、血を流す負傷者の対応に追われていた。

 

解放された市民の中には、身体的に無傷だった者もたくさんいた。街に出ると、今まで囚われの身となっていたと思われる市民の姿がたくさん見られた。MSFが医療活動を開始する際に、現地で雇用した医師や看護師たち全員が、やはりモスルでISに拘束されていた人々であったが、皆幸いなことに、少なくとも外見的には無事に解放されていた。

 

 

支配からの解放……これからどうやって生きるのか

 

ある日、60代の男性が全身熱傷で運ばれてきた。自らガソリンをかぶり、火をつけたのだという。この男性に付き添っていた、姪だという20代の女性が私に話してくれた。叔父もまたモスルでISに支配されていた市民のひとりで、奪還作戦によって無傷で解放された。ところがその後、この叔父の精神が崩れてしまったのだという。

 

男性はそれまで、さる企業の経営者として裕福で落ち着いた暮らしを送っていたそうだ。しかし、突然やってきたISの強硬支配が始まり、生活が一変した。奪還作戦によって彼とその家族は解放されたが、そのとき目にしたモスルの街は、灰色一色の無残な廃墟に変わり果てていた。多くの建物は鉄骨がむき出しになり、焼け焦げて上下逆さまになった、たくさんの車が放置されていたという。──冗談のような話ではあるが、私はモスルに到着した当初、「この街の建物の壁は、水玉模様が多いのだなぁ」と思いながら、車中から街の様子を眺めていた。しかしすぐに、それはおびただしい数の銃弾痕であったことに気づき、うっかり口にせずによかったと思ったものだ。

 

焼身自殺を図ったこの男性は、「街が壊され、仕事を失い、養わなくてはならない家族を抱え、これからどうやって生きてゆけばよいのか」という言葉を繰り返すようになっていたとのことだった。

 

「幸いにも私たちは、一族全員が傷つくことなく解放されたのに……」と、姪はこぼした。数時間後には死を迎えるであろう叔父を囲み、泣いている家族がいる場所には、とてもつらくていられないと言って、彼女は外のベンチに座って上半身をよじり、壁に頭をもたせかけていた。

 

私には、ただ彼女の背中や肩をさすることしかできなかった。

 

 

報道陣が伝えない、日常

 

この時期のモスルに関する報道について振り返りたい。

 

奪還作戦が始まった2016年11月から、世界はこぞってその戦況を報じ始めた。戦いが長引くにしたがい、一旦は収束したものの、私が派遣された奪還間近の2017年6月には各国の報道熱がピークを迎えていた。そして7月、ついにイラク政府が奪還宣言をすると、その瞬間を待っていた世界中のメディアが一斉に「モスルは完全に解放された」と報じ、まるでお祭り騒ぎのような状態だった。

 

しかしそのあと、報道陣たちは一瞬のうちに撤退し、モスルは瞬く間に世界の注目対象から外れた。彼らが報じたかったのは「奪還の瞬間」であって、巻き添えになった一般市民の姿ではなかったのだ。

 

街を、生活を、人生をめちゃくちゃにされた市民たちの厳しく長い戦いは、まさにこれから始まるというのに、だ。ほかのどの紛争地でも同じ光景を見てきたが、そこに生きる人々は、戦争から「生き残った」そのときから、「これからも生きていかなくてはならない」という壮絶な戦いが始まる。そしてそのためには、多くの人がまずは心の傷を乗り越えなくてはならない。

 

しかし、その部分に、どれだけの人が注目しているのだろうか。誰からも見向きもされないことが、どれほど彼らの絶望につながるだろう。焼身自殺を図った男性は、私が見てきたさまざまな悲劇のうちの、たった一つのエピソードにすぎない。紛争地では、両親、子ども、妻、夫など、愛する家族を亡くした人々や、自分の手足を失った人々、生まれたときから戦争の暴力しか目にしてこなかった人々がいる。今まで豊かに平和に暮らしていた街が破壊される。そこには、数多くの悲惨な出来事と、それによる心の傷が渦巻いている。医療のみならず、生活、教育など、社会的に最大の援助が必要でありながら、そのいずれもが空白になっているという事実がある。

 

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しらかわ・ゆうこ 1973年、埼玉県出身。1996年に地元の看護専門学校を卒業後、日本とオーストラリアで看護師の経験(手術室看護、外科病棟、リカバリー室、産婦人科など)を積む。2010年、初めて「国境なき医師団」に参加。以降、初任地スリランカをはじめ、計17回にわたり、海外へ派遣される。特に、シリア、イエメン、イラク、南スーダン、パレスチナなどの紛争地を中心に活動。現在、豊富な経験を生かし、日本事務局の人事スタッフとして看護師や医師のほか非医療も含めたスタッフの採用活動に従事。2018年7月に初の著書『紛争地の看護師』(小学館)を上梓。

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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