text by : Satoko Fox

第1回 経口中絶薬 稽留流産での使用経験から

稽留流産のマネージメント

 

2020年の秋、初めて稽留流産と診断された私(前回を参照)。涙声になりながら、今後の方針を主治医にたずねると、3つの選択肢を提示されました。

 

  1. 手術
  2. 薬物療法
  3. 待機的管理(自然に排出されるのを待つこと)

 

それぞれのメリット、デメリットを説明された後、「今はショックだろうし、一度家に帰って旦那さんにも相談して、決まったらまた連絡してね」と言ってもらえて、泣きながら家に帰りました。

 

そういえば薬物療法ってなんだろう?  そんなのあったっけ?

 

産婦人科の領域は真面目に勉強してきたし、初期研修医のときに2か月間研修したけれど、そんな話は聞いたことがない。でも、それもそのはず、日本では認可されていなかったのです。

 

「セーフアボーション」を知る

 

いろいろ調べてみると、経口中絶薬は、海外では1988年から使用され、当時77か国で認可されている、グローバルスタンダードなお薬。

 

世界保健機関(World Health Organization;WHO)では「セーフアボーション」(safe abortion)の方法として、この薬剤の使用と、真空吸引法(プラスチック製の吸引管とシリンジのキットを使って子宮内を真空状態にして子宮内容を吸い出すこと)による手術を推奨しているものの、日本ではどちらもスタンダードではない、ということを、産婦人科医の遠見才希子(えんみ・さきこ)先生の記事1)で知りました。

 

また、“abortion”というとやはり「中絶」と訳してしまいますが、胎児が生きているか、死んでいるかの違いだけで、マネージメントは人工妊娠中絶と流産とで一緒なんだと、なんだか複雑な気持ちになりました。

 

さらに、遠見先生が同記事1)で、「産婦人科医として、たくさんの流産を経験し、説明も手術もしてきたけれど、当事者になるとつらくてたまらなかった」と書かれており、

 

「頭ではわかっていても、つらい。それでもいいんだ」

 

と思わせてくれ、とても共感をおぼえました。

 

どの方法を選ぶのか?

悩んだ末に……

 

研修医のころ、人工妊娠中絶での掻爬(そうは:金属製の器具によって子宮内容を全体的に掻き出すこと)の手術を見学したことがあったので、「あれはやりたくない」という気持ちがすぐに湧き起こりました。また、「手術では子宮に傷がつくかもしれない」といった主治医の説明も気になり、すぐに選択肢から外れました。

 

残るは待つか、薬を飲むか。

 

本当は、しばらく待ってみようか、という気持ちが強かったものの、私にはもうすぐ1歳になる娘がいました。

 

待機的管理のデメリットとして、いつ腹痛や出血が起こるかわからないことがあげられます。またその際、どのくらい日常生活に支障があるのかもわかりません。

 

「もし夫が仕事に行っている間に、腹痛や出血があり、しかもそれがとてもひどくて、娘の面倒が見られなくなったらどうしよう」

 

という不安は拭えず、家族会議の結果、「夫が家にいられる週末に薬を飲んで、その間、娘のお世話は彼が責任を持ってする」ということになりました。

 

週末はもう数日後。主治医に連絡すると、すぐに予約をとってくれました。しかし、この「すぐに薬を飲むことを決めた」事実は、後に私を苦しめることになります

 

経口中絶薬、ミフェプリストンとミソプロストールの使用経験

 

ミフェプリストンは、妊娠の維持に必要な女性ホルモン、プロゲステロンの作用を阻害するお薬。人工妊娠中絶にも使われるため管理は厳重で、同意書にサインの上、主治医に手渡されました。そして帰りには薬局で、ミソプロストールや鎮痛薬、抗生物質といった、そのほかのお薬を受け取りました。

 

帰宅後、ミフェプリストンを内服。このお薬では、自覚できる目立った変化はありません。

 

翌日(ミフェプリストンを内服した24時間後に)、ミソプロストール4錠を服用するのですが、これが難しい……。服用の仕方は、左右の頬と歯茎の間に2錠ずつ置くという変わったもの。置くこと自体も私にとっては難しかったのですが、もう一つの心配は、全く溶ける気配がしないことでした。

 

「私の唾液が少なすぎるのか?!」

 

と、不安になりながらも30分待った後、飲み込みました。

 

ミソプロストールは、子宮収縮を起こすお薬なので、排出に向けていよいよ準備。前回のお産で余っていた産褥パッドを装着し、鎮痛薬を内服。飲料水を寝室に持って来て、夫に「もうお腹が痛くなるので、娘のことは頼んだ」と告げました。

 

その後、生理痛のような下腹部痛と腰痛がどんどんひどくなり、陣痛のような感じに……。痛みががまんできなくなり、処方されていたオピオイドとアセトアミノフェンの合剤を追加で内服。だんだん意識がもうろうとしてきて、寝ているんだか、起きているんだか、といった状態になり、痛みも感じなくなりました。

 

しばらくすると排出が始まった感覚があり、水をこまめに飲みながら、ベッドに横になっていました。

 

その後、最初にトイレに行った際、ボトッと大きな塊が落ちました。赤ちゃんは産褥パッドに落ちると想定して、後から見てみようと思っていたのに、おそらくトイレに落ちてしまったのです。

 

「どうしよう―バカバカ、私のバカ!」

 

と後悔したものの、時すでに遅し。血まみれのトイレに手を突っ込むことはできず、悩んだ末、とりあえずトイレを流さないことに決定。

 

あまりに大量出血だったら電話するようにと主治医から言われていたので、出血量にも注意を配りましたが、それは大丈夫そうでした。しかし数時間、生理の比じゃない出血が続き、やっぱりこれはお産なんだ、と実感しました。

 

パッドとトイレにある大量の凝血塊を眺め、この中にいるであろう赤ちゃんに、何度も何度も手を合わせ、その日の夜、お別れを告げました。

教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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