── 考えること、学ぶこと。
梟文庫という居場所
西尾 美里さん
(取材・文:坂井 志織)
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医療の枠組みからはみ出す実践
私たち看護師・保健師・助産師には、急性期病院、リハビリテーション病院、クリニックやデイケア、小児科や精神科の専門病院、助産院、訪問看護などなど多様な活動の場があります。資格も複数存在し、それぞれの場との組み合わせ次第で実に豊かな実践が可能です。別の見方をすれば、つまり“医療”を必要とする人の在り方がそれだけ多様化してきているのだと言えるでしょう。
しかしそうした多様さは、診療報酬など行政機関の定めに沿って区分けられた、いわばトップダウン式につくられた選択肢であり、現場のニーズからボトムアップで立ち上がったものとはやや異なるものです。
視点を個々の患者や看護職といったミクロなレベルまで移せば、そうした大きな区分けからこぼれ落ちているものについて、おそらく誰でも心当たりがあるはずです。既存の場に馴染めないまま居続けている患者や利用者たち、そしてそこで働く看護職たちの姿……。
西尾美里さんも、そんなモヤモヤを抱えていた看護師の一人でした。彼女は精神科のある総合病院で働くなかで、徐々に患者を地域へ帰す退院化の流れに「もっと地域の中に居場所があったらいいのになぁ」と感じるようになります。
地域での支援のあり方にどんどん関心が高まっていった西尾さんは、病院を辞めてデイケアのある診療所に非常勤で働き始めました。そこで、精神疾患をもつ患者が地域に帰って安心して過ごせる居場所の必要性を痛感すると同時に、デイケアという場の営みがもつ「効果」や、そもそも、そこで人々を支えているものが一体何なのか説明できないことに対するジレンマも、少なからず感じるようになります。
認知行動療法を積極的に取り入れているような専門特化した施設でなくても、デイケアというものが一定の人々の「居場所」を担っていることは確かです。しかし、そこで行われている大切な実践は、機能分化やエビデンスベーストの考えに集約されていこうとする世の中の観点からとりこばされてしまいかねません。そうならないためには、自分や仲間たちが利用者にもたらしている「効果」を数値で示していく必要がある。そこで西尾さんは大学院へ進学するのですが……。「だけど結論から言うと、正直なところそこで自分も落ちこぼれちゃったというか、“数字にしていくこと”からはみ出してしまったに近い感じなんです」(西尾さん)。
そう感じた一番のきっかけは、現象学的看護研究との出会いでした。提供されるサービスが一方的にもたらす「効果」を数値的に実証するのではなく、ケアするものとされるものがともにつくり上げている何かの、その一部でも言語化できそうな可能性をそこに見出したのだと西尾さんは言います。また「目の前にいる人々との関係性や、社会・枠組み・制度などの捉え直しを自然と促されたことで実践の足場のようなものを見つけることができたのです」とも。
「結局のところ、自身がさまざまな既成の場に馴染めなかったんだと思います。いま不登校の子どもが何万人もいますが、言ってみれば私も不登校児みたいなものです」と西尾さんは語ります。そして彼女はこう考えるようになりました。
「だけど、今の社会そのものが窮屈なんだから、そう思ってる人たちであーだこーだと言いながら、別様の社会を手づくりしていったらいいんじゃないか」
公的制度で保証された居場所づくりが難しいのであれば、自分でつればいいんだ。既成の医療の枠に限界があるのなら、そこから踏み出せばいい。2016年の5月、梟文庫の活動はこうして始まりました。だけど、一体どうして「図書館」なのでしょうか? 詳しくご紹介していきたいと思います。
西尾 美里 にしお・みさと
私設図書館「梟文庫」を運営。聖路加看護大学に学士編入学、卒業後総合病院の精神科病棟に2年間勤務する。「地域の中に、患者さんたちにとっての居場所があるといいな」と思い、デイケアのある精神科診療所に10年ほど非常勤勤務。その間デイケアの何とも言えない面白さに魅了され、デイケアの研究をしようと京都府立医科大学大学院保健看護学研究科に進学。現象学を手がかりに言語化しにくいデイケアの営みを記述する研究に取り組み、修士論文の一部を「精神科デイケアにおける〈見守る〉実践の構造」として「現代思想2013 vol.41-11」に寄稿している。2016年支援の場を離れ、京都上賀茂の地に「梟文庫」を立ち上げる。
坂井 志織 さかい・しおり
武蔵野大学看護学部看護学科准教授。日本赤十字看護大学卒業後、脳神経外科病棟で5年間看護師として勤務。臨床3年目に担当した患者が、退院後にしびれを苦に自死したことを知り、当時ほとんどなされていなかったしびれについての看護研究に、15年以上取り組んでいる。しびれや、高次脳機能障害など一見すると病いがわかりづらい・伝わりづらい患者の経験を、記述的に示し、新たな理解やケアをつくることをライフワークとしている。2006〜2010年タイバンコクに居住し、2年間バンコクの私立病院で勤務。日本とは異なるビジネスやサービスとしての病院文化を実体験した。帰国後、日本赤十字看護大学助教を経て、2015年首都大学東京人間健康科学研究科博士後期課程修了(看護学)、2018年より研究プロジェクト『慢性の病い経験を捉える新しい概念生成に関する現象学的研究―治癒や管理とは異なる視座の開拓』※をスタート。著書に『しびれている身体で生きる』(弊社刊)がある。