特集:ナイチンゲールの越境  ──[情報]

こうもりの翼とバラの花

第1回:ヴィクトリア女王の勅撰委員会報告書

丸山 健夫

Q&A方式で記されたスクタリの陸軍病院の実情。ナイチンゲール自身が質問を設定し、それに回答している。質問「高い死亡率の主たる原因を、あなたは何だと思うか?」回答「衛生の欠如による

   

 

 

Q&Aのストーリー

 

それでは、報告書の該当部分を見てみよう。

 

まず彼女は、自分がこの委員会で証言するに値する人物であることを読者に認めさせるために、経歴の披露から始める。医療と看護に関心をもち13年になること、ドイツでナースとしての訓練も受け、英国をはじめフランスやヨーロッパ各地の病院を視察した経験があることなどを語っている。そして20人のナース、英国国教会の8人のシスター、10人の修道女、その他1名とともに1854年11月4日、コンスタンチノープルに近いスクタリの英国陸軍病院へ到着。当時、病院には2,300人が収容されていたことなどの事実が明らかにされる。驚くべきことにその病院には、1854年8月から1856年5月までの21ヵ月のあいだに、およそ2万9千人の傷病者が送られてきたという。

 

患者たちの症状も分析している。彼女が赴任して間もない1854年の11月から翌年1855年の2月中旬ぐらいは、壊血病的な症状がみられた。すなわち下痢、赤痢、凍傷、リウマチなどで、それらは粗悪な食べ物や不十分な衣服、疲労や放置、湿気などが原因で起きる病気であると記した。

 

そして1855年2月中旬から4月ごろまでは、壊血病的な症状に代わってマラリアのようなタイプの疾病が優勢となる。腸チフスや高熱が続き、症状が出たり引いたりするもの、赤痢や下痢、そしてコレラも見られ始めた。その広がりの原因は排水の不備、換気の悪さ、患者の詰め込み過ぎ、迷惑行為、排泄物の悪臭、マラリア、そして湿気にあるとしている。

 

良質の食事、清潔な衣服、きれいな排泄場所、換気への注意、湿気の防止、そして人口密度を集中させすぎないことなど、その後の彼女の看護におけるポリシーは、この体験をもとに反面教師的にかたちづくられたに違いない。そしてショッキングなのは「彼女の在任中、病院で何名の英国陸軍兵士が亡くなったのか?」という質問に対する答えである。その数「およそ4,600」。その一人ひとりに悲惨と苦難のストーリーがあったであろう。続いて、月別の死亡者数が示される。この兵士たちへの想いが、彼女を動かしたにちがいない。

 

兵士たちが病院に送られるまでの状況にも触れられる。黒海北岸の激戦地で傷ついた彼らは、バラクラヴァからスクタリまで、平均で8日半も船に乗り、移送されてきた。そして満足に治療も受けられないまま病院で死んでいったのだ。衛生状態さえよければ死ぬことはなかった人が大勢いた。その高い死亡率に対して、こんな質問が発せられる。

 

「(高い)死亡率の主たる原因をあなたは何だと思うか?」

 

この問いに対して彼女の答えは、たった1行。

 

「衛生の欠如による(To sanitary defects.)」

 

前後の余白に挟まれたこの2語が際立つ。彼女はそのあと、死亡率の計算方法を解説し、理論武装を固める。

 

病院での生活

 

一般的な概説を終えた彼女は、次に現地での患者の生活実態を個別かつ具体的に詳述していく。ベットや衣服、ランプやコップに至るまで、病院での生活に必要な物資が極端に不足していたこと。それらが陸軍の調達システムの不備により、なかなか充足できなかったこと。そして、患者の回復のためには、病院においてあらゆる意味での「環境」がとても重要であることを実例で示していくのである。さらにその改善方法を提示することも彼女は忘れない。

 

陸軍病院のあるべき姿を、実際のスクタリの病院での実態を通して解説しているのだ。なんと説得力のある報告であろうか。そして最後に、彼女の「理想的な病院像」を思う存分語っているのである。

 

ナイチンゲールの理想の病院

 

フローレンスにとっての理想の病院、それはまず病院の建物自体の問題から論じられている。彼女が現代において、「建築家」の肩書きをも併記される理由はここにある。患者や看護師、医師が働く器である建築、いはば活動する人間を「ソフト」とみた場合、「ハード的」環境からその理想を語り始める。そして建物自体の配置や病室の広さ、内装の部材の種類やベットの置き方にまで言及する。

 

彼女によれば一部屋に20人を収容するとして、理想の病室の「広さ」は80 ✕ 25 ✕ 16(フィート単位)であるという。メートルに直せば1フィートを30.48cmとして、およそ24.38 ✕ 7.62 ✕ 4.88(メートル単位)だ。最後の4.88mは、天井高である。つまり「広さ」を「空間」で考えているところが素晴らしい。彼女の「快適環境」に対するファクターの豊かさが見て取れる。この広さにすれば、一人あたりの「快適空間」は、80 ✕ 25 ✕ 16 ÷ 20 =1600立方フィートになるという。

 

ほかにも、窓は必ず2つのベットに1つ据え、その幅は4フィート8インチ(30.48 ✕ 4 + 2.54 ✕ 8 =142.24cm)以上でなければならない。そして窓際に隣合うベッドは、少なくとも3フィート(91.44cm)以上離すべきとする。

 

彼女は風呂場やキッチン、ランドリーからベットの骨組みやマット、病室の家具や暖房に至るまで、病院でのトータルな「生活環境」の理想を説く。そしてその理想は、病院の組織のあり方やスタッフの勤務のシフト、管理運営の問題にまで及ぶ。

 

戦地の陸軍病院の悲惨な状況を克明に語り、その改善の方法を具体的に提示したのち、自らの理想とする病院像を見事に語る。全部で1,000ページほどもある報告書にあって、わずか30ページあまりしかないQ&A部分。しかしそこに、彼女のその後のアクティビティのすべての原点があるといってよい。

 

>> 第2回へ続く

 

参考文献

  1. Herbert, Sidney, et al. 1858 Report of the Commissioners appointed to inquire into the Regulations Affecting the Sanitary Condition of the Army, the Organization of Military Hospitals, and the Treatment of the Sick and Wounded; with Evidence and Appendix. Presented to both Houses of Parliament by Command of Her Majesty.
  2. Cook, Edward 1914 The Life of Florence Nightingale, I, II, Macmillan.
  3. Bishop, W.J., Goldie, Sue 1962 A Bio-Bibliography of Florence Nightingale, Dawsons of Pall Mall.
  4. エドワード・クック(中村妙子・友枝久美子訳) 1993,1994  ナイティンゲール[その生涯と思想] Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,時空出版.
  5. セシル・ウーダム・スミス(武山満知子・小南吉彦訳)1981 フローレンス・ナイチンゲールの生涯(上・下),現代社.
  6. 丸山健夫 2008 ナイチンゲールは統計学者だった!,日科技連出版社.

 

 

   

>> 連載のはじめに

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