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「犠牲なき献身」は
どうあり得るのかを
考え続けるしかない。
── 慈善と近代的職業の両立をめぐって
栗原康 × 田中ひかる × 田中ひかる × かげ
座談会
女性と職業
ひかる:この本を書いているときに遊郭のことを勉強したのですが、遊郭と看護職がこれほど関係あるとは思いませんでした。看護師さんの歴史を書くときに遊郭の問題は切っても切れないんだなと。
栗原:鈴木雅さんが言っていることと、伊藤野枝注13の言っていることが、同じ注14なんですよね。実際、遊女の置かれている状況のひどさを見て、遊郭の中に飛び込んでケアをした人はシスター(姉妹)と呼ばれました。
田中:当時はそれだけ状況が深刻で、女性は自分もいつか遊郭に売られるかもしれないという恐れが常にあった。大関さんも最初の結婚のときに、一緒に田んぼで働いていた2人の少女がある日突然遊郭に売られていなくなってしまうという経験をしています。そういう経験があったから、遊郭の女性に対する目線がほかの人とは違っていたのでしょう。
ひかる:貧しいから遊郭に売られてしまう……女性が自立できるような職業がないというのが根本的な大問題ですよね。
田中:鈴木さんの言う、看護を女性が自立できるような職業にすることというのは、僕はすごく正しいと思います。
ひかる:大関さんよりも鈴木さんのほうが実はすごいことをやっているんですよね、訪問看護を創設していますし。看護職への貢献度からいったら鈴木さんのほうがヒロインなんですけど、40歳くらいで早々と引退してしまったので、ちょっと主人公にできなかった(笑)。
栗原:鈴木さんって一見合理的で、大関さんと対比されているのだけど、この人こそナイチンゲールじゃないかと思います。ほんと、新島八重くらい有名になっていてもいい人ですよ。
「無償の献身」vs「近代的職業」Part 2
ひかる:大関和は看護界では知られているのですか?
かげ:知らないと思います。私は去年ナイチンゲールの本を読みあさっていて、そのときに初めて知りました。でも読んだ当時は、大関さんのことはあまり好きじゃなくて、鈴木さんのほうが好きでしたね。大関さんの看護師として活動している姿が、みんなが思っているナイチンゲールのきれいな部分を寄せ集めたようなイメージだったんです。でも今、皆さんのチャリティと職業の対比というお話を聞いていて、私は看護にチャリティをあまり求めたくないと思っているから、大関さんのことがあまり好きではなかったんだと思いました。
チャリティを重視してしまうと、働く自分がつらくなってしまうんです。例えば、患者さんが目の前でまだまだ治療を続けているけれど、自分は時間が来たから交替しますというときに、チャリティの精神があったら後ろめたさみたいなものが生まれるじゃないですか。
ナイチンゲールはチャリティも職業も両方の面があるから、私は好きなのだと思います。私は働きながら、どんな患者さんでも等しくケアをしたり治療をしたりするべきではあると思いつつ、職業でもあるのでしっかり自分の生活は担保していかなきゃなと思っています。そういった考えが大関さんと鈴木さんという二人の人物に分かれて存在しているのだと感じました。私はどちらというと鈴木さん派ですけど、時には大関さんのようなチャリティの精神を持つことは看護には必要だし、普段病院で働くときに、こういう対立する思考を持つことは大事だなと思いました。
栗原:鈴木さんがいなくなって大関さんだけになったら、やばいですよね。周りの人が働きすぎでバタバタ死んでいくという……。
ひかる:鈴木さんでバランスを取らないと、物語としても無理なんですね。
田中:対人的なサービス労働には、相手から感謝されて、自分も救われるといった良い面もあります。でも、入れ込み過ぎると生活が全面的にそれだけになってしまって、身体が持たないし、精神的にもおかしくなったりします。ナイチンゲールは、看護は普通の仕事ではないからやらなければならないことはたくさんあるけど、全部を一人で抱え込んではだめだということをきちんと書いています。感情的にのめり込んでしまう人には法律か何かでコントロールしないと働きすぎで死んでしまいます。そういうのをなくすのは重要ですよね。
注13伊藤野枝(いとう・のえ、1895-1923)は、婦人解放運動家。平塚らいてうらの青鞜社に加わり、婦人解放運動に参加。大杉栄と結婚し、夫とともにアナーキズム運動に従事した。関東大震災直後、憲兵大尉・甘粕正彦によって夫、甥とともに惨殺された。
注14鈴木雅は「廃娼までは力が至らずとも、お女郎さんたちの力になることはできます。遊郭こそ、女医や看護婦が必要な場所です」と言っている。(『大関和物語』p.282)