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text by 竹之内 裕文
たけのうち・ひろぶみ/静岡大学未来社会デザイン機構副機構長、農学部・創造科学技術大学院教授。東北大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)。ボロース大学(スウェーデン)客員教授、グラスゴー大学訪問教授。松崎町まちづくりアドバイザー、静岡いのちの電話理事長。死生学カフェ、哲学対話塾、風待ちカフェ主宰。専門は哲学、倫理学、死生学。著書に『死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学』(ポラーノ出版、2019年)、『農と食の新しい倫理』(共編著、昭和堂、2018年)ほか。
第3回 小さな自治体の挑戦~コンパッションタウン松崎
〈前篇〉
静岡県伊豆半島の南西部に松崎町という小さな自治体があります。豊かな自然の恵みと伝統文化を大切に守り、受け継いできた町です。
松崎町は、天城山系の森と変化にとんだ海岸線によって囲まれています。伊豆半島ユネスコ世界ジオパークの構成地域でもあります。駿河湾越しに望む富士山や夕陽には、神々しい美しさがあります。江戸時代には、(悪天候の際に船が逃げこみ停泊する)「風待ち港」として栄え、江戸と大阪を往来する多くの船員・乗船者が滞在し、多様な文化をもたらしました。漆喰の建造物(なまこ壁)が大切に保存されており、町の中心街をはじめ、各所に散見されます。
松崎町は1970年代後半以降、「花とロマンの故郷づくり」と銘打たれた一連の総合計画に基づいて、まちづくり政策を推進してきました。町全体を花で彩る運動が進められ、町の三人の開拓者(土屋三余、依田佐二平、依田勉三)を称える「中川三成祭」などの祭りが始まりました。住民の寄付によって1880年に建造された岩科校舎は、1975年に国指定重要文化財に登録されました。1984年には、左官画の殿堂として伊豆長八美術館が開館しました。松崎は観光地として知られるようになり、多くの観光客を迎え入れました。1970~80年代の松崎町は活気に満ちていました。
しかし1980年以降、若年層の流出とともに人口減少が始まります。1980年に10,013人を数えた人口は、2020年には6,250人まで減少します。2026年3月現在の人口は5,420人、世帯数は2,788世帯です。高齢化率は51.8%に達しています。2020年度の国勢調査によれば、高齢者単身世帯は588世帯、高齢者世帯のみは510世帯を数えます。松崎町は現在、人口と財政規模において、静岡県でもっとも小さな自治体です。町の人口は、2045年には3,820人まで減少すると推計されます。
こうした背景のもと松崎町では、まちづくりのさまざまな可能性が模索されてきました。そして現在は第6次松崎町総合計画(2023〜32年度)に基づいて、新しいまちづくりが進められています。2回にわたり、「コンパッションタウン松崎」の挑戦を紹介します。
松崎町との出会い
2020年3月16日、筆者ははじめて松崎町の地に足を踏み入れました。静岡大学に新設された未来社会デザイン機構が松崎町をパートナーとしてモデル事業を立ち上げることになったのです。松崎を知るため、同地でフィールドワークを重ねてきた二人の先輩教員に案内されて、町の要所を巡りました。松崎町役場の担当部署にも顔を出しました。それが深澤準弥さん(当時は企画観光課長)との最初の出会いでした。
この出会いについては鮮明に記憶しています。筆者は「哲学」と「死生学」、「対話」というキーワードを使って、自己紹介しました。いずれも村おこしやまちづくりでは、歓迎されない言葉です。「哲学」は実践の役に立たないし、「死」など話題にもしたくない、「対話」なんていう迂遠なことをしている暇はないと、いずれも敬遠されるのです。
ところが深澤さんは、目を輝かせながら、筆者の自己紹介に耳を傾けてくれました。後に聞いたところでは、深澤さんは当時、お母さんを自宅で看取ったばかりだったそうで、「死」を見すえて生きることの大切さを痛感していたそうです。「対話」に基づくまちづくりの可能性も模索してきたそうです。この人とならば、自分の持ち味を発揮して、共にまちづくりに取り組めるのではないか。筆者はそんな予感と希望を抱きました。
2030松崎プロジェクト
2020年12月20日、松崎町、松崎町観光協会、伊豆半島ジオガイド協会、静岡大学の四者による包括連携協定が締結され、四者の共同事業として「2030松崎プロジェクト」が始動しました 。同日に開催されたキックオフシンポジウム「松崎町の未来と観光を考える」では、「子どもたちと住み続けるまちを共につくる」と「新しい観光の可能性を追求する」という2つのビジョンが打ち出されました。
このプロジェクトでとりわけ大切にしたことは、次世代(高校生と中学生)との対話です。彼(女)らは当事者であるにもかかわらず、まちづくりの外部に置かれ、自分たちの意見を表明する機会に恵まれません。にもかかわらず、大人たちの意思決定と行動の結果だけを押しつけられます。不満を抱き、希望を見失って、町を離れても不思議ではありません。
「子どもたちと住み続けるまちを共につくる」ためには、次世代との対話が欠かせません。彼(女)らはどんな町に住みたいと思っているのか、松崎をどんな町にしたいと願っているのか、それを言葉にしてもらうのです。「子どもたちと住み続ける地域を共につくる」という共通の目的のために、大人たちは次世代の願いをともに受けとめ、その実現のため、人間関係や利害関係のしがらみを超えて協力するのです。
こうした考えのもと2030松崎プロジェクトは、松崎中学と松崎高校の生徒たちとの対話から始まりました。その後の公開ワークショップでは、次世代の願いを囲み、以下3つの基本方針のもと、地域住民と地域外からの参加者が対話を重ねました。
筆者がとりわけ心を砕いたことは、松崎に関心を寄せるすべての人に開かれた対話の場、すべての参加者が対等な立場で参加できる活動拠点を築くということです。2030年の時点で実現したい松崎の姿を共に描き、13のゴール(目標)を設定しました。

総合計画の策定
2021年11月の松崎町長選挙に深澤さんが出馬しました。松崎町の現状と未来に危機感を募らせ、安定した地位を投げうって挑戦したのです。そして見事に当選しました。翌年1月、深澤町長は筆者をまちづくりアドバイザーに指名し、第6次松崎町総合計画(2023〜32年度)の策定に着手しました。3月から、月1〜2回のオンライン会議「サンセットミーティング」を開始しました。筆者はここでも、深澤町長が自身の願いを言葉にする手伝いに徹しました。それを通して第6次松崎町総合計画(2023〜32年度)の将来像、「ここでは、誇り高く、穏やかに、豊かに生きられる~コンパッションタウン松崎」が結実しました 。総合計画から、将来像の解説文を引用しておきましょう。
松崎町をどのような「まち」にしていくのか。この問いの答えにあたるもの、それが将来像です。
松崎という場所で、だれもが誇り高く、穏やかに、豊かに生きる。これがわたしたちの描く将来像です。この将来像を実現するため、わたしたちは松崎を「コンパッションタウン」(困難な課題を分かち合い、お互いに助け合うまち)に育てていきます。(略)
足もとから始めることにしましょう。わたしたちが住む土地の“よさ”を確認しましょう。松崎には豊かな自然の恵みとかけがえのない精神・文化伝統があります。それらの恵みを享受し、伝統を受け継ぎながら、新しい発想と創意工夫によって、助け合い、支え合うコミュニティをつくっていきましょう。住民のだれかが困難を抱え、厄介な課題に直面するとき、その解決をもっぱら行政や民間業者に託し、専門家に依存するのでなく、コミュニティのメンバーで助け合い、支え合うことができるはずです。多様な課題を分かち合い、交流を深めることで、一人ひとりが生と死について学ぶ機会に恵まれるでしょう。かけがえのない出会いが生まれ、コミュニティが育っていくでしょう。
住民一人ひとりの「ウェルビーイング」(健やかで幸福な生)とそれを支える生態系やコミュニティの役割を見すえながら、わたしたちは「コンパッション」で生老病死を支え合う持続可能なまちを目指します。だれ一人とり残されることなく(no one left behind)、このまちで誇り高く、穏やかに、豊かに生きることができるのです。安心して、穏やかに、誇りを抱きながら、この土地で豊かに、幸せに生きられる道を見出し、共に歩んでいきましょう。(第6次松崎町総合計画19頁)

総合計画の表紙には、誕生から死までのライフサイクルが描かれています。従来のまちづくりでは敬遠されてきた生老病死(生れ落ち、やがて老い、病をえて、死んでゆく)が正面から見すえられているのです。
「小さな自治体の挑戦~コンパッションタウン松崎〈前篇〉」はここまでです。次回の〈後篇〉では、「コンパッションタウン松崎」の実現へ向けた活動を紹介します。どうぞ楽しみにお待ちください。
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