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text by 竹之内 裕文
たけのうち・ひろぶみ/静岡大学未来社会デザイン機構副機構長、農学部・創造科学技術大学院教授。東北大学大学院文学研究科博士課程修了、博士(文学)。ボロース大学(スウェーデン)客員教授、グラスゴー大学訪問教授。松崎町まちづくりアドバイザー、静岡いのちの電話理事長。死生学カフェ、哲学対話塾、風待ちカフェ主宰。専門は哲学、倫理学、死生学。著書に『死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学』(ポラーノ出版、2019年)、『農と食の新しい倫理』(共編著、昭和堂、2018年)ほか。
第1回 旅のはじまり~
アラン・ケレハーとの出会い
2022年9月、ベルギーのブリュージュという美しい街で、第7回PHPCI国際学会が開催されました。筆者はこの学会に初めて参加し、研究発表をしました1) 。他の発表者との会話のなかで尋ねられました──「どんなきっかけでこの国際学会に参加したの?」。直訳すれば、「なにがあなたをこの学会に連れてきたの?」となります。筆者はとっさに「アラン・ケレハーとの出会い」と回答しました。
この回答の通り、筆者はアランとの出会いを通して、コンパッション都市・コミュニティの研究と社会実践へ導かれました。どのようにして筆者は彼と出会い、コンパッション都市・コミュニティのどこに魅せられたのでしょうか。コンパッション都市・コミュニティへの旅に出ましょう。
ある緩和ケア医との死別
2012年9月、在宅緩和ケア医の岡部健が他界しました。彼とは2002年秋に出会い、その後の10年間を共に歩んできました2)。岡部は筆者を在宅緩和ケアの現場へ招き入れてくれました。患者の自宅を共に訪問し、当人や家族の話を何時間も聴きました。看護師やヘルパー、ソーシャルワーカーなどの訪問診療にも同行し、それぞれの専門職性について学びました。また2003年4月から約10年間、月例のタナトロジー研究会を共同主宰しました。この研究会では、人文学・社会科学諸分野の若手研究者たちと在宅緩和ケアの各種専門職医が対話を重ねました。緩和ケアの実情と課題についても学びました。さらに岡部は、緩和ケアの学会や研究班へ筆者を送り出しました。それは自らの経験と思索を言葉にして、異分野の相手に届ける修練の機会となりました。
岡部とは、プライベートでも親しくつきあいました。一緒に飲んだり、山に登ったり、「岡部村」で半日を過ごしたり、週に一度は会っていました。人間の死生や医療・福祉はもちろん、芸術・文学や自然・宇宙について語りあいました。語ることは尽きませんでした。岡部は筆者にとって師であり、かつ親友でもありました。
しかし岡部の晩年、二人の歩みは異なった軌跡を辿りました。岡部は東日本大震災で被災し、津波によってスタッフの生命を奪われます。彼は医療専門職としての限界に直面し、宗教者たちとともに、被災者の支援活動に身を投じます。また東北大学に臨床宗教師養成の講座を開設すべく奔走します。対して筆者は震災直後の4月から1年間、当初からの計画通り、スウェーデンで在外研究生活を送ります。障害のある息子とともに、森と湖の国の「福祉」を体感します3)。日常生活のなかで「対話」と出会い、北欧社会の「世俗化」(脱宗教化)を目の当たりにします。帰国後に二度(5月と9月)、岡部の自宅を訪ねましたが、話はあまり嚙み合いませんでした。
岡部との死別は、いくつかの問いを残しました。自分は今後、緩和ケアとどのようにつきあっていくのか。そもそも緩和ケアは、なにを指針として、どこへ向かおうとしているのか。世俗化が進む社会で、宗教はどのような役割を担うことができるのか。そして哲学にはいったいなにができるのか。 親しく相談できる相手はもういません。自問する日々が続きました。

岡部健(左)と筆者
国際学会での出会い
スウェーデンからの帰国後も、頻繁にヨーロッパへ足を運びました。医療社会学者のデヴィット・クラーク教授(グラスゴー大学)の協力を得て、共同研究「世俗化する欧州社会における看取りの思想的な拠り所の究明」(2012-14年度)に着手したのです。ヨーロッパの各地で研究会を開催し、フィールドワークを実施しました。
2013年9月の渡英の際は、DDD(Death, Dying, Disposal)国際学会に参加しました。大会3日目の午前のシンポジウムで、筆者はパネリストたちに問いを投げかけました。シンポジウム後のランチタイムに、パネリストの一人から声をかけられました――「日本から、ヨーロッパの国際学会に乗りこんでくるなんて、珍しいね。きみの発言はおもしろかったよ」。それがアラン・ケレハー教授との出会いでした。
会話はランチ後も続きました。午後のプログラムをすべてスキップして、二人で2時間半ほど話しこみました。会話はやがて対話へ変わり、筆者は、岡部との死別が残した問いを彼に投げかけました。アランはその一つひとつを丁寧に受けとめ、回答してくれました。その度量の大きさと視野の広さに感嘆しました。なかでも日本の緩和ケアが抱える問題に対する彼の鋭い指摘には、目を開かされました4)。公衆衛生倫理学(public health ethics)を学ぶと道が拓かれるという助言も受けました。出会いの感動を胸に抱きながら、筆者は帰国の途に就きました。
こうしてアランと出会ったものの、この段階では「コンパッション」に注意を向けていませんでした。アランもこの語を口にしなかったように思います。デヴィットとの国際共同研究「エンドオブライフへのグローバルな介入」(2015-17年)では、「コンパッション都市・コミュニティ」が研究テーマの候補としてあがりましたが、筆者はこの提案に反対しました。哲学者のマーサ・ヌスバウムが指摘するように、西洋哲学の伝統には、プラトンやストア派、カント、ニーチェに代表されるアンチコンパッションの思想系譜があります5)。これらの哲学思想から影響を受けていたため、理性のはたらきを曇らせる感情、なかでも同情や憐れみに、筆者は警戒心を抱いていました。
2019年の再会
アランとの再会の機会は、2019年4月に訪れました。デヴィットと英日国際共同研究「英国と日本のエンドオブライフケア文化、実践、政策の交差」(2019-21年)を立ち上げるため、渡英することになったのです6)。せっかくアランと再会するのだからと、筆者は書棚に眠っていた彼の著書を引っぱり出し、車中や機中で読み耽りました7)。
その本は「喪失」と「死」と正面から向き合う姿勢に貫かれていました。それまでの自分の学びや試みを包括する大きな枠組みが示されていました。19歳のときの父との死別、重度障害者の自立ホームでのボランティア活動、在宅緩和ケアでの学び、障害のある息子との生活、スウェーデン社会でのレッスン、農山村での地域おこし、これらすべての経験が有機的につなぎ合わされるという驚くべき経験をしました。
「喪失」と「死」をめぐる当事者の経験を大切にするという点でも、大いに感銘を受けました。タナトロジー研究会も含めて、筆者が参加してきた研究会はいずれも、専門職や研究者によって主導されていました。そこには当事者の姿が見あたらず、筆者はそれにずっと違和感を抱いてきたのです。
この本は自分のライフワークに基盤を与えてくれる。「コンパッション」は、「対話」と並んで、今後の活動の支柱となる。そのように確信しました。この本を広く日本の読者と共有したいという思いが募りました。ただ同書の基礎理論については、いくつか疑問が残っていました。そこで英国で会うと、これらの疑問をアランにぶつけました。ときに笑顔で、ときに鋭く問い返すように、彼は丁寧に応答してくれました。おかげで疑問は氷解しました。「コンパッション」が「同情」や「憐み」、「思いやり」と区別されるということも、理解できました。「この本を邦訳する計画はあるの?」と、筆者は尋ねました。アランは答えました──「残念ながら、ない。しかし、この本の日本語訳が出ることは、非常に意義深い。この本の献辞をみてほしい。この本はある日本人女性[澤田美喜]に捧げられているんだ」。わたしは思わず、こう言葉を発していました。「よかったら、ぼくが訳そうか?」。この本だけは、なんとしても日本語にしなければならない。そんな使命感に駆られたのです。

アラン・ケレハー(右)と筆者
ただ率直にいえば、翻訳という仕事は好きではありません。テキストを読み、訳しているとたいていの場合、「どうしてこう書くかなあ。こう書いたらいいのに。だったら、いっそのこと自分で書いた方がいいや」と思うのです。ところがこの本にかぎっては、そのように思うことは一度もありませんでした。アランが書いていることを理解するため、山のような文献にあたり、彼が伝えようとしていることを、できるだけ明確な日本語で表現しようと、心を砕きました。まるで自分が一冊の本を書き上げるように猛勉強し、他の仕事をなげうって、長い時間をかけて監訳作業にあたりました。こうして訳書『コンパッション都市 公衆衛生と緩和ケアの融合』(竹之内裕文・堀田聰子監訳、慶應義塾大学出版会、2022年)が完成しました――翻訳の詳しい経緯については、同書の監訳者あとがき(327-31頁)をご覧ください。
この作業を通して、コンパッション都市・コミュニティの理論的な足場はほぼ固まりました。いよいよ実践に着手する段です。次回は、コンパッションコミュニティ・ジャパン創設までの歩みを辿ります。
引用・参考文献
>> 連載のはじめに