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月刊「看護」好評連載
「映画と、生きるということ」特別編
執筆者3人によるリレーエッセイ。おすすめの映画を1作品取り上げ、その魅力を伝えるとともに、さまざまな場面・セリフ・背景にあるものから、「生きるということ」について考えたこと・感じたことを語ります。
監督・撮影・編集:藤野知明
制作・撮影・編集:淺野由美子
編集協力:秦岳志
整音:川上拓也
製作:動画工房ぞうしま
配給:東風
2024年/101分/日本/DCP/ドキュメンタリー
【WEB】https://dosureba.com
©2024動画工房ぞうしま
-絶賛上映中(全国順次公開)-
わたなべ・ひろこ / 看護師。NPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会 理事長。長年、家族看護の発展に注力し、近年は「かぞくのがっこう」の開講など市民にも家族看護のエッセンスを伝え、広げている。趣味は鉛筆デッサン。
2025.2.14
※一部、本編の内容に触れているところがありますので、あらかじめご了承ください。
現在公開中の『どうすればよかったか?』は、ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー映画です。
「面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。
姉が発症したと思われる日から18年後、藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけ続けるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。本作は、20年にわたって家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した作品である」
(HPより一部改変)
何も言えないな……
鑑賞後、思わず私がつぶやいたのは、「何も言えないな……」という一言でした。監督と家族との20年が101分に凝縮された本作。裏側にある、家族の苦闘、カットされた膨大な記録……「ほんの一部しか知らない私に、この家族の何が言えるのだろうか」という気持ちが頭をもたげたのでした。
うかつには言葉にできないという自分への戒め、何をつぶやいても、それはこの家族の一面しか捉えてはいないのだと自分にブレーキをかけるもう一人の自分。逡巡しながらも、「わが家の25年は統合失調症の対応の失敗例」だと宣言し、それでも「どうすればよかったか?」と観客に考えてほしいと願う監督の意思に接したとき、言葉を紡ぎ出す気持ちになったのでした。
よい家族か?ハラスメント家族か?
私が所属するNPO法人日本家族関係・人間関係サポート協会では、先日、本作に関する対話会を開催しました。モヤモヤする気持ちやグルグルと出口のない問いを抱えたメンバーが集い、対話を重ねました。その中で、「そうは言っても、この家族っていい家族だなって思いました」と発言した人が少なくありませんでした。
家族で食卓を囲み、何があっても姉を排除せず、見捨てることもなく居場所を提供し、家族全体の生活がさほどすさむこともなく、姉をめぐっての夫婦のいさかいも起こりません。経済的にも困窮した様子はなく、弟である監督が姉にかける言葉は常に温かく、愛情や敬意が感じられます。
もちろん、家族と社会との関係においては極めて閉鎖的で、必要な情報だけでなく医療サービスからも背を向けてはいましたが、姉に向けた暴言や暴力はなく、出口が見えない中で、絶妙なバランスを保ちながらよく健闘していた家族だったのではないかという意見です。
©2024動画工房ぞうしま
一方、私は「この家族はよく健闘していた」という側面があることには同意しつつ、それだけで済ますことには違和感を覚えました。それは、姉が「自分の家族をどう感じていたか?」という視点から見たとき、果たして「よく健闘していた」と考えることができるのか、という疑問です。
20代前半で姉の時計は止まりました。以降、姉はひとときも気が休まらない嵐の中に投げ出されたような日々を過ごしてきたのです。両親によって「治療の必要なし」と判断され、発病後も数年間、医師の国家試験を受けること、研究者になることを強く期待されていました。妄想や幻聴に支配された姉にとって、これがどう映っていたのでしょうか?
怒鳴る、叫ぶ、奇声を発する、訳のわからないことを言い続ける、これらのSOSは決して両親には受け止められず、逆に両親が期待する“姉の人生”を長らく一方的に押し付けられてきたのです。姉は、自分の願いや自分の声を無視され、両親の強烈な価値観でコントロールされ続けたとも言えるのではないでしょうか。南京錠による行動制限も象徴的な出来事でした。あえて言葉にするなら、モラルハラスメントでもあり、ネグレクトだという見方もまた成立するように感じました。
「モヤモヤする」「グルグルする」。この映画を見た人がよく口にする言葉です。「このようにも考えられるけれど、こうもとれる」という、白黒つけられない曖昧さが残っているから、こうした言葉が出てくるのかもしれません。
“揺らぐ”べきときに、しっかりと“揺らげる”ことの大切さ
はたから見れば安定しているように思えても、実際は親の価値観でがんじがらめになりコントロールされる家族メンバーの悲劇を、私たちは、監督の身をていした取り組みによって知ることができました。はたから見れば安定しているように見える家族……それは、「揺らがない家族」とも考えられるでしょう。
姉の発病、そして病的な行動は、ともに暮らす両親にとって多大な影響を与える出来事であったはずです。しかし、スクリーンに映る両親は、ほとんど気にも留めていない様子で振る舞っていたことが印象的でした。例えば、姉が、ビールが注がれた母親のコップにイカリングを入れたことがありました。「これは普通じゃない」という弟に、母親は「マコちゃん(姉)がしたいんだったらいいのよ」と応じたのです。
「慣れ」があったのかもしれません。いちいち反応していたら、キリがないという判断があったのかもしれません。しかし、大したことではないと否認したり、右から左に流したりするのではなく、「これは耐えられない」「もう限界」「ムリ!」としっかりと“揺らぐ”ことができていたら、誰かにSOSを発信できたのではないでしょうか。“揺らぐ”べきときにしっかりと“揺らげる”ことの大切さを感じずにはいられません。
家族にとって、“揺らがない”ことが重要なのではなく、“揺らぐ”べきときにしっかり“揺らげる”強さを持ち、やがて安定を見いだしていくプロセスが、真の安定につながることをあらためて感じました。
©2024動画工房ぞうしま
どうすればよかったか?
さて、監督が私たちに投げかけた「どうすればよかったか?」。たやすく答は見つかりません。どんな答も「タラ、レバ」の世界です。しかし、少なくとも、姉が「どうしてほしかったのか?」、そこに立って考えるほかはないような気がします。夜中の叫び声、突然の奇声で、姉がどれほど消耗し、日々、精神や人格まで翻弄されているか、そのつらさ、苦しさを感じることができれば、一刻も早くそこから解放してやりたいという気持ちも生まれてくるのではないでしょうか。「困ったマコちゃん」から、「苦しんでいるマコちゃん」という認識を両親と共有することが第一歩だったような気もしています。
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この原稿を書いている1月末、本作は観客動員数も増加の一途。なかなか予約がとれないと聞きます。それだけ今、「家族」や「人権」に対する関心が高まっているのでしょう。「一人ひとりの人権が真に尊重される家族」へのリニューアル。そんな変化の機運を象徴する作品になることを期待しています。
©2024動画工房ぞうしま