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「ツッツーは優しい男だ。人を見る目が優れているのは、本物の優しさの中で育ってきたからなのかもしれない」──(本文より)

[連載小説]ケアメンたろう 第12話 ケアメンたちの苦悩 文・西尾美登里/挿画・はぎのたえこ

登 場 人 物

東尾太郎:この物語の主人公。県立南城高校ラグビー部に所属している高校生。あまり自分の感情を表に出さない。

太郎の母:九西大学病院の元看護師で、現在は同大学で看護学教員として働く。脳の出血で救急搬送される。

慧  人:太郎の幼なじみで母親がいない。父親は太郎の母と同じ九西大学に勤めている。

ツッツー:慧人と同じく太郎と幼なじみ。家は歯科医院で両親が共働き。うんちく好きのマニアックな趣味を持つ一人っ子。

小泉弘美:学年でかわいいと評判のラグビー部マネージャー。“自分に好意があるかも”と淡い期待を抱く男子が少なくない。

澤田久美子:校門の前にある電気屋の看板娘。介護が必要な祖母と妹、父と母との5人暮らし。さっぱりとした性格。

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薬研坂の信号

 

病院に到着したとたん、少し元気になった母親は、「太郎、あんた前回の洗濯、ラグビーの服と一緒に母さんの洗濯物を洗ったでしょ。細かい砂が残っていたよ。ザラザラして気持ち悪いからちゃんと洗って」と言った。

 

太郎はカッとして、頬も耳もが紅潮するのが判った。

 

《部活もして、少しだけ勉強もして、家事もして、見舞いにも来て、犬たちの散歩もして、仏壇に手を合わせて、精一杯やっているんだよ。周りは誰一人として、母親のパンツもブラジャーも洗ってなんかしていない。進学も、母ちゃんがいるから思うようにいかないかもしれないんだけど。俺の状況、わかってる知っててそんなことを俺に言う?》

 

喉まで出かかった言葉を、拳をグッと握りながら飲み込んだ。

 

面倒だが、母親が元気でいた時と同じように、ベランダで靴下を脱いで、足と手を洗い、靴下やシャツなどの砂と泥を落として、ベランダの洗濯機で一次洗濯をしなければならない。

 

このまま、母親のために、行きたい大学に進学できないのだろうか。行きたい大学ではなく、自宅から通える大学を選択し、自分はブラジャーだのバンツだの洗濯物して、しゃがんで干す生活がこれから続くのだろうか。

 

「……母さん、洗濯物なんかさ、俺も精一杯なんだから細かい砂くらい我慢してよ」。言わなければいいのに言ってしまった。自分自身に対してもやもやとした気分になる。

 

母親に生きてほしいと泣き、元気になってほしいと願っていたのに、少し元気になると、苛立ち、車椅子に乗った母親と一緒に街に出たときなどは、恥ずかしいと思った。罪悪感に苛まれることが多くなってきた。先日の二者面談では、成績のことなど一切触れずに「いろいろあって大変やろうけど、がんばれよ」と言ってくれた担任の川上先生。

 

「お前の携帯が、いつでも教室で鳴っていいようにしておくからな」と言ってくれた、西野先生。「太郎がいろいろと乗り越えようとしているからさ」と言い自分の母親の死を受け入れ、父親の幸せな人生を願う慧人。サポートしてくれたり、がんばったりする人々の顔を思い浮かべると、母親が元気になったのに、洗濯物1つうまくいかないなんて、一体なにやっているのだ。と自責の念にかられる。

 

拳を握り締め、真っ赤な顔の太郎を察したのだろう。「洗濯ネットを家からもってきて。自分で洗うから」と母は言った。

 

翌日のかばんの中には、洗濯ネットが3袋入っていた。

 

なだらかにまっすぐと続くねずみ色の下り坂を、自転車のペダルを漕がないままでどのくらいの距離が伸びるのか試してみる。この坂は薬研坂といって、薬をすりつぶすための道具のように、細く長い坂道だ。坂の頂上あたりから、スーッといい感じで風を切っていたのに、坂の下に着くと一番目の信号に引っかかった。

 

「あーあ」と、思ったとたん信号が青になる。ほんの些細なタイミングで、うまくいった流れって止まるんだよな。

 

野上スポーツリハビリ病院の入院患者は、スポーツをしている若者が多く、年齢によりフロアが決まっている。母親は中年から高齢者が多いフロアにいる。

 

母親は若干の不安定さは否めないが、日中は杖をついて歩けるようになった。先週の日曜日から部活が終わった後、ツッツーが曾祖母ちゃんをつれて来てくれるようになった。初日は、ただの見舞いと思っていたが、母親にお灸を据えてくれるためという。野上スポーツリハビリ病院は、スポーツ鍼灸も治療に取り入れているため、鍼灸の煙には寛大であった。

 

杖をテンポよく鳴らしながら歩くツッツーの曾祖母ちゃんは、シャンと背筋が伸びている。母親が曾祖母ちゃんのお洒落なピンクの花柄の杖を褒めると、ツッツーは言った。

 

「祖母ちゃん、その杖太郎の母ちゃんにあげたら?」

 

「それなら」と楽しそうに曾祖母ちゃんは言い、太郎の母親に杖を譲ってくれた。

 

母親の垂れた瞼は、ずいぶんと挙上するようになってきた。痺れが残っているという体の片側の麻痺は、外見上は目立たなくなっている。母親の言葉は、少しだけ聞き取りにくいときがあるし、物が歪んで見えると言うが、鍼灸のお陰だろうか日に日に回復しているのがわかる。

 

鍼灸の間、太郎とツッツーは、決まって一階の自動販売機まで行き、炭酸飲料をぐびぐびと飲み、一緒に軽くゲップする。

 

「俺さ、小さい頃は、いたずらしたらばあちゃんにお灸を据えられていたんだ」

 

「お灸って熱い?」

 

「そりゃ熱いよ、それもさ、正座させられて膝のあたりにでっかいのを据えられるの。動くとお灸が崩れるからさ、燃え尽きるまでずっと正座」

 

楽しそうに昔話を語るツッツーは優しい男だ。人を見る目が優れているのは、本物の優しさの中で育ってきたからなのかもしれない。小さい頃は、そんなこと思ったこともなかったが、母親が倒れた後はツッツーの優しさが際立って見える。

 

お灸が終わる頃二人で病棟に戻ると、ツッツーは曾祖母ちゃんに優しい瞳を見せていった。

 

「ばあちゃん、帰りにマックいこうや(ばあちゃんのおごりで)」

 

ツッツーは曾祖母ちゃんと出かけて恥ずかしくないのだな。それもマック……。へぇと思っていると、さらにツッツーは自慢げに言う。

 

「曾祖母ちゃん、ビッグマック食べるんだぜ。若いだろ」

 

「うん。すっげー若い」

 

母親も太郎もツッツーの曾祖母ちゃんも皆で笑った。

 

曾祖母ちゃんを、マックに誘うツッツーは凄く格好良い。きっと母親と街中に出ても、恥ずかしいことなんてないよな……。

 

 

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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