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第3回 足立智孝 profile

「Good Death」

望ましい死、よき死

 

「終活」は現在、ブームのようになっています。この現象をどのように考えたらよいでしょうか。私は、人々が「どのような最期を迎えることが自分らしいことなのか」といった自分らしい死を模索することで、自分らしさを表現する一つの手段となっているのではないかと考えています。「自分らしい死」と類似した言葉に「よき死」あるいは「望ましい死」があります。「終活」とは、「よき死」や「望ましい死」という理想の実現にむけた活動と捉えられるのではないでしょうか。

 

「よき死」「望ましい死」は英語ではGood Death(グッドデス)に当てはまります。Good Deathは、ギリシャ語で「eu thanatos」(ユータナトス)と「kalos  thanatos」(カロスタナトス)という二つの異なる語源から派生しているため、通常は二つの意味で理解されています(参考図書 ①)。

 

第一の「eu thanatos」(ユータナトス)とは「上手に死ぬ」という意味です。医学的にみた身体上の生の終わりのことを指しています。ユータナトスは英語ではeuthanasia、すなわち後で詳しく述べる安楽死の意味の「よき死」のことです。第二の「kalos thanatos」(カロスタナトス)とは「気高く死ぬ」という意味です。これはどうすればその人らしい最期を迎えられるのかについて考えて行動し、死を迎える準備を整えるといった、社会的かつ精神的意味での「よき死」のことです。つまり、人生の最期を「よく」迎えるには、身体的な側面とともに、気高く死ぬという精神的側面、そのために準備するという社会的側面が必要ということではないかと思われます。

 

上手に死ぬこと eu thanatos身体的意味:医学的に看た生物学上のよさ 気高く死ぬこと kalos thanatos精神的かつ社会的意味:人間らしい最期を考え、そのための準備を整えた上でのよさ

 

「尊厳死」と「安楽死」

 

生命をめぐる問題を倫理道徳的視座から考える学問分野をバイオエシックス(生命倫理学)といいます。エンドオブライフに関する諸問題は、バイオエシックスという学問が形成されるうえにおいてもきわめて重要なトピックであり、また最重要課題として議論されてきました。それらの中心的なトピックには「尊厳死」や「安楽死」に関するものがあります。ここでは最初に「尊厳死」と「安楽死」の言葉の意味を説明し、日本の「尊厳死」「安楽死」に関する議論を紹介したいと思います。

 

尊厳(ある)死

「尊厳死」あるいは「尊厳ある死」とは、字義通りの意味からすると「人間としての尊厳を保った死」(death with dignity)のことで、目指すべき理想を表した概念です。人間らしさを失わずに、保って死に至ることが尊厳(ある)死です。しかし「尊厳」とか「人間らしさ」は何を意味するのかについては、簡単に回答できない問いかもしれません。けれども、しばしば尊厳(ある)死が話題になるときには、終末期で意識がはっきりしていない患者の身体に、さまざま機器や治療のためのチューブが取り付けられ、家族など親しい人とのかかわりもままならない状況が、尊厳(ある)死の対極にある状況とイメージされます。つまり、過剰な治療を控えて、できるだけ平穏な死を迎えさせることが「尊厳(ある)死」と考えられる傾向にあります(参考図書②)。

 

自然死

過剰な治療を控えたり中止したりして、自然に委ねて死なせることを、私たちはしばしば「自然死」と呼びます。死に逝かせる方法が「自然か」を問う死に方のことです。「尊厳(ある)死」と同じ意味に捉えられることもありますが、「自然死」は、何が自然な死に方なのかについては一律ではありません。私たちには、過剰な治療が尊厳ある死を迎えるのを妨害するという共通のイメージがあるかもしれません。しかし、どの治療が過剰で、「自然」を冒すものかについては、一人ひとり理解が異なります。したがって「自然」に対するイメージも異なると思われるので、万人に共通の「自然死」はないのかもしれません。

 

安楽死

理想としての尊厳(ある)死を実現する場合に、もはや死ぬこと以外に人間らしさを達成することができないと考えられるときがあります。そうした場合に、意図的に死をもたらすことが行われることがあります。これを安楽死といいます。安楽死は、苦しい状況にあり、これ以上生きていくことに患者本人が意味を見出せないときに、患者を解放する目的で意図的に達成された死、あるいはその目的を達成するために意図的に行わせる死なせる行為、と定義されます。

 

患者本人が「生きていることが苦しくてしょうがない」「生きていること自体に意味がない」と考えたときに、周囲の者が患者をその状態から解放するために意図して死なせることおよびその死なせる行為を「安楽死」といいます。

足立 智孝 あだち・としたか

亀田医療大学看護学部教授、同大学総合研究所生命倫理研究室室長。専門はバイオエシックス(生命倫理学)、医療人文学。1992年、金沢大学薬学部製薬化学科卒業。1994年、同大学院薬学研究科修了。2000年、米国ドゥルー大学大学院医療人類学修士課程修了。2008年、米国ドゥルー大学大学院医療人類学博士課程修了。米国ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所客員研究員、公益財団法人モラロジー研究所道徳科学研究センター主任研究員、亀田医療大学看護学部准教授などを経て、2016年より現職。そのほか臨床倫理、研究倫理、再生医療などに関する倫理委員を務め、社会活動にも積極的に参加している。

参考図書①『死を考える辞典』G・ハワース、O・リーマン編、荒木正純監訳、東洋書林、2007

参考図書②『医療現場に臨む哲学』清水哲郎著、勁草書房、1997

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