写真提供:東京都立千早高校演劇部

上演を終えて

 

──22年8月の全国大会をはじめ「7月29日午前9時集合」の上演を終えられて、いかがでしたか。

 

柏木 「ヤングケアラーというポジションにいる子どもたちは、本人にヤングケアラーという実感がない」「自覚をしていたとしても、教室の中で友だち同士、自分自身の話を声高にすることもない」という現実をどう舞台の上で表現していくべきか、突き詰めて展開をしていくことができました。

 

一方で、ヤングケアラーや貧困の問題が子どもたちの周りで潜在化していることを読み取ってもらえないな、ということが改めてよくわかりました。子どもたち自身が抱えている問題を、読み取ってもらえる環境はまだまだ少ないんだなと、強く感じた全国大会になりました。劇中で、問題の当事者であることが分かる状況証拠を提示していたとしても、「私は問題を抱えています」と直接的に言葉にしなかったり、問題に対する意識を受け手が持っていないことで、問題はある意味「無視」されてしまうんだなということを感じました。

 

青柳 クラスメイトや友だちに対しても「言葉にできない問題」や「言えない問題」というのは、生徒たちは多く抱えていると思うのですが、言葉にしなければ問題だと認識してもらえない感覚というのはありました。

 

柏木 確かに、観劇してくれた他の地域の高校生たちの話を聞くと、劇中の「友だちの会話に踏み込まない登場人物たち」を観て、冷たいという感想を抱いていたようでした。だけど、実際に同じような境遇の人が隣にいたり、自分が当事者だったりした場合に「助けてよ」という言葉は言わないし、言えないと思うんです。

 

青柳 やはり助けてほしい問題に対しては「助けてよ」と正面から口に出して、それを助けていくという、明らかに目に見える形ではないとなかなか理解してもらえない難しさがありましたね。

 

寺﨑 けれど、「助けて」の言葉が出てこないから、問題の当事者にいる子どもたちは苦しんでいるわけですし……。改めて、ヤングケアラーや貧困の問題の当事者を見つけ出し、サポートできる環境を整えることが、いかに難しいかを実感した全国大会でしたね。

 

柏木 そうですね。私たちの作品を観てもらえればわかると思うんですが、それでも、比較的わかりやすく、認識されやすい形にして舞台の上で表現はできたと思うんです。それで、問題を理解してもらえなかったということは、実際の社会の中でもほとんどのケースで問題は見過ごされていってしまうんだなと思います。同年代の高校生たちであっても、大人たちであっても同じで、サインを受け取れる人間が本当にいないんだなと。ヤングケアラーや貧困の問題というのは、恐らく今後も増加していくと思うんです。けれども、その広がりを受け止めてくれる人や、状況をキャッチアップして手を差し伸べてくれる人が本当にこれからもいるのだろうか……と不安に感じてしまいました。

 

──舞台上で起きている問題に対して、理解をしようと歩み寄ってくれた観客も一定数はいたのでしょうか?

 

寺﨑 もちろん、いらっしゃいました。ただ、全国大会の客席の反応を見ていると、分断を感じたのが正直なところです。どんな作品であっても、観客の理解や反応、感想など、さまざまな意見があってグラデーションのようになっていると思うのですが、今回は両極端だったなというのが私の感想です。

 

青柳 この作品を観てくれた人のこれまでの人生経験や、生活環境の違いがこの作品の反応の違いにつながってくるように思えますよね。

ヤングケアラーという環境を身近で感じている人は、美談と捉えないでしょうし。私は教員として生活しているから、実際に同じ境遇の生徒が何人も頭に浮かぶので、受け止め方も変わってきますよね。そういう経験がない人には、「ニュースでやっている話題」というくらいの反応で終わってしまった感覚です。

 

柏木 私はずっと「この作品はリトマス試験紙だ」と思ってつくり続けてきましたが、ある意味で、その役割を果たしてくれたのかなとは思います。

だからこそ、グラデーションがほぼなくて両極端のリアクションになって「わからない人には本当にわからない」「わかる人には刺さる」という作品になり、全国大会の舞台にたどり着くまで評価していただけたのではないでしょうか。

 

──「7月29日午前9時集合」の上演を終えて、印象的だった反応はありますか?

 

柏木 1年を通じて、本当にありがたいことにさまざまな媒体でこの作品を取り上げてもらいました。ただ、どうしてもヤングケアラーや貧困という問題が、流行りもののように捉えられてしまうんだなという気づきがありました。けれど、これらの問題は粘り強く、何度も何度も取り組み続けていかなければいけないことです。一瞬でも問題が可視化されたという意味ではすごく嬉しいことなのですが、「あー、そんな問題もあったね」という感覚になってしまうと、まるで解決した問題かのように見えてしまうことがあると思います。渦中にいる彼ら・彼女らを取り巻く問題というのは、むしろ根深くなってるんですよね。

 

青柳 そうですね。この作品はヤングケアラーを取り上げてはいるんですけど、ヤングケアラーの話だけではなくて。あくまで生徒自身の話を掘り下げていったら問題にぶつかってしまったという言い方が正しいのです。さまざまな問題が広がっていましたが、世間的にもヤングケアラーという言葉に引っ張られてしまって、生徒が抱える他の問題を観てもらえなかったことが、少し心に引っかかっています。

 

柏木 だからこそ、私たちが新しい作品をつくって、同じようなことを言い続けていく必要があるのかなとも思います。それと、上演後にとある人が「再演しなよ」と言葉をかけてくれたことを、すごく覚えています。その人は上演に価値があると思ってくれた、かつ、繰り返し繰り返し伝えていかなければ、その価値がなくなる・消えていくと思ってくれた。自分たちの話を作品にしている高校演劇だから、生徒が高校生ではなくなってしまえば上演できないのですが、「再演しなよ」と言ってくれたのは純粋につくってよかったし、嬉しい感情になれました。

 

青柳 再演もしようという声はあったんですけど、結局できませんでしたね。自分たちの話をしているから、燃え尽き症候群のようになってしまったようで、上演するまでの気持ちに持っていくことができず、再演できないままでした。

ただ、自分たちの話を言葉にするというのはやはり、大きなパワーがいるんだなということがよくわかりました。

 

寺﨑 演劇としての上演もそうですが、やはりクラスで自分自身の話をするというのはなかなか難しいものですよね。ただ口にすればいいだけ、「助けて」と言えばいいだけと思われがちですが、それができたら苦労しないし、その発想を持てたら苦労しないわけで……。

 

――千早高校は「自分たちの話」を題材として演劇作品にされてきたと思いますが、今後はどのように創作をされていくのでしょうか。

 

柏木 今回の「7月29日午前9時集合」に出演していたメンバーは2023年3月で卒業してしまうので、別々にはなるのですが、その後、入部してきてくれた生徒たちと話をしていると、今回と同じような問題の側面を感じる場面が多々あるんです。貧困の話、学力格差の話、ヤングケアラーの話、家庭内暴力の話などといった環境はやっぱり見えてきてしまっています。確かに今回の作品は、ヤングケアラーや貧困という問題をモチーフに扱いましたが、今後はそういった問題を「抱えている前提」「当たり前のこと」として、作品をつくっていかないといけなくなってきたなと感じています。問題がただ山積みになっているだけですね。

 

寺﨑 ありがたいことに今夏も、全国大会(2023かごしま総文)への推薦をいただくことになり、稽古を続けている「フワフワに未熟」という作品も「自分たちの話」から演劇にしています。ただただ自分たちの話をしているだけなのに、どんどん問題が表面化してくる点は「7月29日午前9時集合」と同じですが、出てくる問題の数や場面があまりにも多く……。私たちが当たり前のように過ごしているこの社会が、いかに危険で脆いものなのか、痛感させられています。

 

青柳 生徒の生活を切り取ろうとしていると、必ず何らかの問題が浮き上がってきてしまいますよね。よく高校演劇の作品でも、家庭円満で家族との時間が幸せで楽しくて、という演劇があったりもしますが、うちの生徒たちを見ているとそんな簡単に割り切れるものでもないよなと、どうしても感じてしまいますし……。

 

柏木 もちろん円満なご家庭もたくさんありますし、それらを描いている作品を否定するわけではないのですが、私たちの身の回りの現実から考えると「そうであったらいいな」という理想の家庭像になってきてしまいますね。生徒たちも「私たちの話ではないな」って受け止めてしまいます。次第に、こういう問題を抱えている子たちはマイノリティではなくなってきてしまうんだろうなとも思いますけれども、この学校で暮らしている生徒たちの背景は、もっともっと説明し続けていかなければ、大人たちや社会には理解してもらえないんだなと強く感じます、まだまだ。

 

今後、身近な問題に目を向けて創作する人たちが増えていってくれたら、この作品がいずれ誰かの目にも留まることもあるでしょう。私たちにとってのヤングケアラーや貧困のような「自分たちの問題」を含んだ作品が増えていってくれたらよいなと思います。

(2023年8月1日)

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