高校生が演劇で伝えるヤングケアラーの日常

東京都立千早高校演劇部の取り組み

写真提供:東京都立千早高校演劇部

疾患や障害をもつ家族のケアを担うことによって、自身の生活や友人関係・学業・就職に影響が生じている子どもへの注目が高まっています。ヤングケアラーと呼ばれる彼ら・彼女たちは、適切な支援が得られないまま、教育を受ける権利や子どもらしく健康に生きる権利が損われるという問題に直面しています。

 

当社「Nursing Today ブックレット」シリーズでは、2021年に「ヤングケアラーを支える〜家族をケアする子どもたち」を刊行し、多くの反響をいただきました。家族のケアに関わった経験者や、支援に携わる方々から編集部にお便りやお問合せなどをいただく中で、ある高校のヤングケアラー当事者である演劇部の生徒たちが、自分たちを取り巻く日常を舞台で表現していることを知りました。

 

この記事では、この情報を寄せていただいた東京都立千早高校(豊島区)の卒業生で演劇部の指導者をする寺﨑真初さんと、同じく同校で演劇指導に携わる演劇家の柏木陽さん、そして演劇部顧問の教諭である青柳秀俊さんに、演劇部でこのテーマを取り上げた理由や高校生活におけるヤングケアラーの実情などについて語り合っていただきました。

『7月29日午前9時集合』

ヤングケアラーを取り上げた東京都立千早高校演劇部による作品。2022年夏に開催された第68回全国高等学校演劇大会第(46回全国高等学校総合文化祭演劇部門/とうきょう総文2022、「演劇の甲子園」と呼ばれている)で東京代表として上演された。

生徒の身のまわりで起きている問題をモチーフにした劇

 

──ヤングケアラーを題材にした演劇作品「7月29日午前9時集合」とはどのようなお話なのですか?

 

柏木 「夏休みのとある日。文化祭でのクラスの出し物を決めるため、生徒たちが学校に集まってくるのですが、言い出しっぺの生徒が時間になっても現れず、その生徒を待ちながら話し合いを続けていく」というストーリーです。そこにヤングケアラーの問題などが絡んできます。

 

青柳 普段、自分たちが教室でどんな会話をしていて、どこまで自分をさらけ出して話をしているのか、改めて客観視してもらったり、友だちとの会話を振り返ったりしてもらいながら、演劇部員みんなで話し合って今回の作品をつくりました。

 

寺﨑 演劇部員の彼女たちと会話をしたり、その様子を見ていたりすると、さまざまな場面で「あきらめ」のようなものを感じました。「選びたい将来と選べない未来」があることがわかり、このキーワードを中心に話を深めながら、創作しました。

 

──なぜヤングケアラーをモチーフにした演劇をつくることになったのでしょうか。

 

青柳 決して「ヤングケアラーが話題だから、それをテーマに演劇をつくろう!」としたわけではありません。本校演劇部は毎年、生徒の身のまわりで起きていることや生徒自身が感じていることから作品づくりの種を探しています。今回も生徒の話を聞いていたところ、ほとんどの部員に幼いきょうだいがいるとわかり、その共通点を深掘りしていくところからこの作品は始まりました。

 

柏木 あくまでヤングケアラーはモチーフにすぎません。彼女たちの生活を見つめていくと、ヤングケアラーや子どもの貧困の問題が自然と浮かび上がってきました。真のテーマは「そんな彼女たちがこれからどう生きていくか」というところにあります。

 

寺﨑 学業や部活動だけなく、趣味やアルバイトなど彼女たちが過ごしている多くの時間にそれらの問題の影響が少なからず及んでいて、そんな彼女たちの話をしようと思うと、結果的にヤングケアラーや貧困の問題を避けざるを得なくなった印象があります。

 

 

目に見える「家族の世話」だけでなく、経済面でも

生徒が家庭を支えざるを得ない状況

 

──学校現場においてヤングケアラーの問題に触れる機会はありますか。

 

青柳 以前からヤングケアラーという言葉を知っていましたが、「親の介護や障がいをもつ家族のケアをする若者」という認識を強くもっていました。だから、幼いきょうだいの世話をしている部員の話を聞いたときに、「演劇をやっている子たちがそんな役割を背負って過ごしているのか」と驚きました。そのとき、幼いきょうだいの世話もヤングケアラーの定義の範囲にあたるのだと気づきました。

 

柏木 ヤングケアラーという言葉は、最近ようやく表に出てきたなという印象を受けています。私の体感的にも家族のケアをしている高校生が年々増えているような感覚はあります。それもケアのような目に見える部分だけではなく、金銭的な部分で家庭を支えているような子たちが増えている気がするんです。

 

15年ほど前の年の瀬に、神奈川県で高校生を対象に演劇のワークショップをしました。約1週間のプログラムだったのですが、初日や2日目で来なくなってしまう子がいたのです。話を聞くとどうやらアルバイトが忙しくて演劇をやっている暇がないようで。年末の稼ぎ時だから何か欲しいものがあるのかなと聞いてみると、「進学のための費用を稼いでいる」と言われて驚きました。学校の先生たちにも話を聞くと、「そういう子は多い」と言われました。もちろん、家庭によって経済的な差があることはわかっていますが、遊ぶことが目的ではない理由でアルバイトをしている高校生が多くなっているように感じます。

 

「交通費が出せません」と言って、外部の活動や公演に参加できない部員も多くなってきましたね。

 

柏木 確かに、生徒たちに興味のありそうな観劇の案内やワークショップの情報を伝えても今の高校生たちは行けないのですよね。「行かない」ではなくて「行けない」。それは参加費やチケット代が高いからという理由だけではなく、通学定期圏内から外れてしまうと動けないからということもありますよね。部活動に熱心な先生は、部員の交通費を負担しているなんてこともよく耳にします。

 

寺﨑 今回の劇のなかでも、教科書代を自分でアルバイトをして賄っている生徒に対してクラスメイトが「家族に出してもらってないの?」という台詞(セリフ)がありますよね。

 

青柳 大学生になれば当たり前かもしれませんが、実際、高校生でも教科書代を自分で負担している生徒が増えているようです。ただ、一般的に考えるとそのクラスメイトの台詞は普通の感覚だと思うのです。さすがに高校生で教科書を自分で負担はしないだろう……というのが世間の認識に近いものですよね。

 

柏木 幼いきょうだいや家族の世話、見守りなどをしているヤングケアラーはどこの学校にもある程度の人数は存在しているはずですが、偏差値で考えると、進学校ではないところのほうが比較的割合が多いように思います。しかも、生徒にかかる経済的な負担やそれに伴う影響が本当に重くのしかかっています。学校の偏差値といっても、その生徒の能力という意味ではなく、経済的格差の影響を受けている場合もあるのでしょう。

 

青柳 私は高校教員としてこれまで、アルバイトを高校生がしていることに懐疑的な目線をもっていました。柏木さんの話のように、「遊ぶ金が欲しい」という理由でアルバイトをしているとばかり思っていたからです。しかし、生徒や家庭の実態を知っていくと、母子家庭で家計を支えるためだったり、その生徒が稼がなければ家族が生きていけないような深刻な状況に陥っていたりする場合が本当にたくさんあるんですよね。生徒のアルバイトは、家族が生活していく上で必要な手段になっているのです。

 

柏木 高校生のヤングケアラーは「家庭を支える」という役割だけではなくて、「家計の稼ぎ手の一翼」としてすでに位置づけられてしまっているということですよね。

 

青柳 だいぶ前の話で演劇部の生徒ではないのですが、親に負担をかけないようにとアルバイトをしながら受験勉強し、成績優良とまではいかないけれど、学校も休まず毎日必死に頑張って大学に進学した生徒がいました。文字どおり、頭が下がる思いでその生徒を見守っていました。さまざまな公立校に勤務してきましたが、高校の偏差値によって、家庭の環境やアルバイトのもつ意味がこんなにも変わるのかと知った瞬間でした。

 

柏木 親のぶんまで稼がなければいけない生徒や、幼いきょうだいを寝かしつけてから自分の勉強をする生徒、祖父母の世話をしている生徒もいたり。「家庭を支える」という言葉にもさまざまな背景があるのを忘れてはいけませんよね。

 

青柳 実際に生徒に話を聞いてみると、意外と友達関係よりも家庭の悩みのほうが多かったりします。

 

柏木 やっぱり先生の感覚としても、そういう生徒が多いんですね。

 

──「家庭に関する相談が多い」ということは、結果的に進路選択にも影響が出てくるのではないでしょうか?

 

青柳 そうだと思います。大学全入時代の今、大学に行ける子は「学力がある」のではなく「お金がある」のです。専門学校を選ぶ生徒は、もちろん目標や野望をもっている場合も多いのですが、なかには「2年間で済むから専門学校に行く」という生徒もいます。短大の数も少なくなっているので、親が「(大学ではなく)専門学校だったらお金を出すよ」という家庭が多くなっています。

 

柏木 大学に行ける子は学力があるのではなくお金がある……この話は衝撃です。ヤングケアラーに留まらず、貧困や経済的格差がまさに再生産されている瞬間ですよね。

 

青柳 私も最初はびっくりしたんです。「お金がないから専門学校に行きます」と言う生徒がいて、どういうことだろうと思いました。親の妥協点として、2年間であれば学費をなんとか払えるから専門学校に行かせるという選択になっているのです。

 

大学受験をめざした場合でも、合格が決まって、後は学費を払うだけという状態になってから「実は学費が払えません」というケースがあります。そもそも大学進学希望なら学費を払うことは前からわかっていたはずなのに、親は子どもの手前「払えない」と言えず、子どもが勉強を頑張って合格してから、入学をあきらめなければならなくなる。このような生徒に、数人ではありますが出会ってきました。成績優秀だとしてもお金がないから進学をあきらめざるを得ない生徒は本当に多くいます。進学せずに社会に出ていく生徒たちも、学力が足りないから働きに出るのではありません。お金がなくて進学できないから働くしかないのです。

 

寺﨑 千早高校は男女の比率が2:8ということもあって、女子生徒が多い状況ですが、それもヤングケアラーや貧困の問題を感じやすい一つの要因にはなっているのですかね。

 

その可能性もありますね。ケアの主体が今も女性に偏っているからとも思えますが、そもそも女子生徒が多い学校だからこそ、問題が表に出てきやすいということはあるかもしれません。

 

青柳 ただ、このような状況に陥る生徒に年上の兄か姉がいる場合、上のきょうだいは大学に進学しているということが多くあります。つまり、下の子まで大学進学させるほどの経済的な余裕がない家庭が多いのです。また、本校には生徒自身や親が日本国籍をもっていないという家庭もみられます。

 

寺﨑 女子生徒の割合が多いかつ、多国籍な生徒が多い千早高校は、よりその影響を強く感じるのかもしれませんね。

 

「奨学金があるじゃないか」と考える人もいると思いますが、国籍が日本ではない場合、奨学金を受けられないケースもあり、必ずしも救うことができないのが現実です。

 

寺﨑 2021年度の千早高校演劇部は、女性蔑視やミソジニー、ジェンダーギャップをモチーフにした「見えない女子の悩み」という作品を上演しました。女性にまつわる問題は本当に根深いです。かつ、一見まったく関係のないように見える問題であっても、深掘りしていくと、女性の問題にいきつくのだと実感として学びました。

 

 

生徒の現実をそのまま伝える「集団創作」

 

千早高校演劇部は伝統的に、社会問題に関する演劇を創作しているのでしょうか。

 

柏木 冒頭でも触れたように、私たちがつくる演劇は生徒の身のまわりで起きていることや、生徒が普段目や耳にしていることを本人の話を聞きながら演劇にしています。世間で取り上げられているような社会問題を積極的に選んで演劇にしようと意識しているわけではありませんが、演劇部員たちは生活の中で社会問題の当事者として過ごしているから、自然とつながる部分はあります。

 

生徒と雑談をしていたり、愚痴を聞いたりしているときにモチーフが見えてくることが多いのです。最近の高校生の話を聞いていると、ちょっとした愚痴の裏側に、その生徒にはどうしようもできないつらい背景が浮かび上がるときがあります。その生徒だけの特殊な事情なのかと思っていると、案外そうではなかったりするため、そうした問題を取り上げて演劇を考えていきます。

 

青柳 特殊な家庭や生徒の問題を取り上げているように思われるかもしれませんが、客観的に私たちの作品を観ても特殊な事例ではありません。高校生たちの実態を知っているからこそ、そう思うのかもしれませんが、「こういうことあるよね」と感じる部分が本当に多いのです。世界に一人しか当事者がいないような特殊な事情を演劇にするならば、観客には伝わらない部分が多いかもしれませんが、本校の作品はリアリティがあるので共感してもらえる部分があると思います。

 

柏木 私たちは本校の演劇を「状況報告演劇」と呼んでいます。今回の作品もそうです。高校生の日常や高校という場所で起きている出来事をただ報告するといったかたちで、それだけでもそこそこ演劇になってしまうのです。

 

青柳 物語よりも現実のほうがすごいぞ、ということは結構ありますよね。へたな物語をつくるよりも、まさに演劇部員の彼女たちが過ごしている現実を作品にしたほうが劇的なのだと思います。

 

演劇に落とし込んでいくために、先生方が台本をつくったのですか。

 

青柳 私たちは「集団創作」という手法を用いて作品をつくっています。最初から台本があるのではなく、練習の場で、みんなで考え創作し、作品としてまとめ、その結果として台本がつくられるという方法です。顧問の私や指導員の柏木さんが台本を書いて生徒たちに台詞を読ませるような、一般的に頭に浮かびやすい演劇のつくり方は採っていません。

 

柏木 集団創作では誰かが書いた台詞を発するのではなく、自分で考えた台詞を発するため、他人の言葉ではなく自分の言葉として扱うことができます。例えば、「教室でお腹が痛くなった生徒がいる」というシーンで、

 

生徒A「大丈夫?」

生徒B「大丈夫だよ!」

 

という台詞が最初から与えられた台本に書かれていたら、演じる部員はそのとおりに台詞を発しますね。しかし、集団創作の場合は、生徒Bを演じる部員が、自分で本当にその状況になったときのことを考えるため、「大丈夫だよ!」ではなく「ううっ」という台詞を発したりするのです。こういった細かいニュアンスが非常に重要で、そこに違和感が少しでもあると「生徒が(演劇を)やらされているような感覚」を観客が抱くことになってしまいます。

青柳 秀俊

あおやぎ・ひでとし

東京都立千早高等学演劇部顧問。地理歴史科教員として勤務しながら、演劇部の顧問を長年務める。2010年度には前任校である東京都立羽村高校演劇部でも関東大会への出場・上演を行うなど精力的に活動を続ける。千早高校赴任後も、生徒に慕われながら演劇創作に向き合う。東京都高等学校演劇連盟事務局員も務めている。

寺﨑 真初

てらざき・まうい

同校演劇部卒業後、部活運営や高校生の作劇支援のために部活に関わり始め、稽古場や舞台上演の記録撮影や生徒のメンターとしても活動を続ける。作品と社会との接点を見つけ出し、演劇をより広く伝えることを目的とした「ドラマトゥルク」と呼ばれる役割も担う。

柏木 陽

かしわぎ・あきら

こどものための演劇ワークショップ「演劇百貨店」代表・演劇家、都立千早高等学校 演劇部指導員。1993 年から劇作家・演出家の故・如月小春に師事。2003年、特定非営利活動法人「演劇百貨店」を設立。他セクターとの協働事業を企画する一方で、現在もワークショップの進行役として、全国各地の劇場・児童館・美術館・学校で、子どもたちと独自の演劇空間を作り出している。

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