「すぐに役立たない」が「じわーと効いてくること」
井部 朝日新聞の連載「折々のことば」で鷲田清一さんが、中勘助の『銀の匙』を3年かけて読む授業を続けた教師・橋本武さんの言葉、「すぐに役立つことは、すぐ役立たなくなる」が取り上げられていました。▶ 折々のことば(朝日新聞, 2016年2月5日)
看護師は薬の効能と副作用も学ばなければいけませんし、この治療はどのような病態生理のもとに行われているのか、体位交換する時にどんな技術を使ったらいいのかなど、たくさんのノウハウを学ぶことで精一杯です。それ以外の「すぐに役立たない」ことについては後回しにせざるを得ない。大学院では自分の研究に活かすために現象学や哲学などを一所懸命に学びますが、実践家にとってそれらは二の次です。でも歳を取ってみるとそういう知識こそが「じわー」と効いてくると、私は思うのです。
村上 すぐに役に立たない知識というのは、経験の蓄積に裏打ちされたときに活きてくるかもしれませんし、直接はまだどこにも書かれていないのかもしれません。それは先ほどの「医療でない部分の看護」に多いと思うし、本を読めば学べるといった話ではないですよね。
井部 知識だけでなく経験をブレンドすることが大切です。「すぐに役立たない」が「じわーと効いてくること」をどのようにして吸収するかですね。
村上 どこで見つければいいのでしょう?「じわーと効いてくること」を。
井部 それは、最初に戻りますけど「自家発電」することだと思います。その力を高めるために教養があるのではないかと思います。
村上 つまり教養とは、自分自身の実践に意味を与えられるように、思考するための「何か」を手に入れることなんですね。冒頭の「一見ありふれた日常と地続きのような看護に、実は深い意味があることをどう言語化・概念化していくか」という言葉に結びつきます。
井部 言い換えれば、この大きな課題を解く一つの手がかりとして、教養を吸収していくということではないでしょうか。
村上 それは何かをやみくもに勉強することではなく、どちらかと言えば、それぞれの看護師さんたちの実践の中から「問い」を見つけるような作業ではないかと思います。僕の知る実践研究をされている方々の「問い」は、必ず医療的な知識の外側にあります。
井部 それを見つけるには、経験するという時間が必要なのかもしれません。だけど少しでも早く「看取りが楽しい」と言えるような境地に行けたら、もっと楽になれるんじゃないかと思うんです。
村上 きっかけも大事ですね。『摘便とお花見』(医学書院)の事例でも、小児がん病棟のGさんは子どもの看取りを経験したことが大きかったし、訪問看護師のFさんの場合、最初にお勤めだった小児科の病棟で同僚の看護にショックを受けたことがきっかけになっています。その瞬間にはネガティブな経験だったとしても、気づきや学びのきっかけとして人が成長するチャンスとなり、「問い」を発見し教養を吸収していくことにつながるのだなと思います。
井部 タクシーの運転手から聞いた話ですが、地方で医学会が開かれると、医師たちは会場で登録を済ませてそのまま観光に行く人が多いそうです。看護師の学会ではみんなずっと真面目に演題を聞いている。私はもっといろいろな所に出かけていくような看護師が増えるといいなと思っているんです。教養とはそういう緩やかなものではないでしょうか。シリーズ「教養と看護」も、今の看護師たちにもっと励めと負荷を与えるのではなく、仕事を楽にする栄養剤のようなものになってほしいですね。
(2016年2月19日 日本看護協会出版会にて)
★この対談の縮小版を、月刊「看護」2016年5月号に収録しています。
写真(人物):坂元 永
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