イラストレーション  : 楠木雪野

[連載] なかなか会えないときだから考える コロナ時代の対話とケア ● 高橋 綾

session

意思決定支援と対話
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今回のひとこと〜緩和ケアの現場から 新幡智子 慶應義塾大学看護医療学部
SPACE-Nワーキンググループ

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意思決定支援やSDMにおける医療者の役割は、自分が主役になって情報提供する、治療するというこれまでの役割から180度転換し、医療者が決めてほしいことではなく、患者が大事にすることも見つけて、その人がそれに取り組むことを支える脇役やパートナーであること、本当の意味 で患者主体で物事を考えていく対話的な関係を築くことが求められているのだと言えます。ただし、患者を主人公として、患者自身の目線での選択やテーマを大事にして話しあいや考えを進めながらも、話し合いの内容にはコミットして、選ぶことや結果の重みをともに引き受けつつ、こちらの意見は責任をもってきちんと伝えることも必要です。

 

この時に医療者が患者に伝えることは、単なる医療的な情報にとどまらず、患者の生活、生き方にやや踏み込んだものであったり、一般的な見解ではなく医療者個人の生き方、考え方が反映されているものであるかもしれません。これまで、客観的、中立的に情報を伝えることを心がけてきた医療者にとっては、それは時として踏み込みすぎと思え、ためらわれることもあるでしょう。ただ、先にも述べたようにお互いの信頼関係ができていれば、この医療者の関わりは患者にとって「自分ごととして一緒に考えてくれている」と、ポジティブに捉えられるものになると思いますので、勇気と責任をもって踏み込むことも時には必要なのでしょう。

 

患者と医療者との対話が目指すもの

 

ただし、筆者自身はこのような医療者と患者との対話というものは、患者理解や意思決定のための単なる手段としてではなく、医療者あるいはナースと患者の関わりの根底にあるべきものだと考えています。

 

そもそも、予想もしない重大な病やそれによる困難に見舞われたとき、人はそれまでの見通しを失い、混乱し、無力感を感じるものです。病や困難に振り回され、これまで大事にしてきたこともできなくなるなかで、自分の人生が病気中心に回っており、自分らしさがどこかへ行ってしまったように思えてきます。このような時には「自分の人生は自分で選び、舵取りすることができるものである」という自信や自己統御感を失ってしまいがちです。

 

この「自分の人生は自分で選び、舵取りすることができるものである」という感覚は、認知・判断能力など合理的な意思決定能力よりも深いところで、その人が自分の人生を最後まで歩むために必要な「生きる力」「主体性(agency)3といってよいものです。筆者は、患者が何かを決定し前に進むことを難しくさせている背景には、この自分の生に対して主体的に関わる力が病気の時には湧いてきにくいことがあるのではないかと考えています。

 

※3:主体性(agency)は、社会学や人類学などで用いられている概念。「自己決定」を可能にする個人の判断能力ではなく、共同性のなかで、状況や制約を超えて新たな選択肢を創造し、具体的な変革のための行為を行う力をを意味する(熊本理抄『被差別部落女性の主体性形成に関する研究』, 解放出版社, 2020. より)

 

病に振り回されている状態で、何かを決めることはそれ自体難しいことですが、そのうえ、先行きの不確実性によって迷いが生じたり、時間、お金、労力等の物理的な制約で選択肢が限られていることが加われば、さらに患者自身が何かを選び取ることが難しくなるでしょう。このような時こそ、不確実な状況でもこれだけは大事にしたいということを一緒に探し理解してくれる人や、制約が多いなかでもできることのアイディアを一緒に考えてくれる人、「あなたに選ぶ権利や自由はあるんだよ」と後押ししてくれる人がそばにいれば心強いでしょう。

 

また、意思決定の内容があまりにも医療者目線で、治療法の選択のみに偏っている場合は患者にとってはその決定が「自分ごと」とは思えず、物事が決まりはしても、それが本人の生きる力や主体性のエンパワメントにはつながらないこともあるのではと思われます。患者にとっては病のなかで何かを決定し選ぶプロセスとは、突然病に襲われ、振り回されるという混乱や無力感を乗り越え、病によるさまざまな制約がありながら、自分で選び前に進んでいくことができるという自信を取り戻し、変化を恐れず前にふみだすという経験、「主体性の回復」のプロセスでもあるということを医療者は理解しておくべきではないかと思います。意思決定支援やSDMにおいても、治療の決定を優先するのではなく、患者本人の大事にしていることや目標に基づいて、患者が実際に自分ができる小さな行動をこちらからも提案しつつ、自分でよいと思うものを選んでやっていってもらうという、患者の主体性の回復を念頭においたサポートや提案ができればよいのではないでしょうか。

 

筆者は、医療者と患者との対話が根本的に目指すものとは、患者がこの主体性や自己統御感を取り戻し、それを行使できるよう支えることではないかと考えています。医療者と患者の間の対話はもちろん、対話と協働の探求一般は、お互いが聴きあいつながることのなかで、ほんとうに考え、取り組みたいこと(自分のテーマ)を見つけること、他者がそれを共有しコミットしてくれるということに支えられ、自分でも前向きに考え取り組んでいくことを可能にするものです。それによって、対話に参加するそれぞれの人が、自分の望ましいことを選び取り組むことができるというその人の自信や主体性を育み支えることができると考えられます。

 

言い換えると、対話と協働の探求一般の目指すところは、自他のケアやエンパワメントであるということです。この場合のケア(ケアリング)とは、心身を支える個々の行為や看護職の業務のことを指しているのではなく、その根底にある人間同士の関係性のあり方を指しています。看護や支援の専門職だけがするのではない、人間同士の普遍的な関係としてのケアリングの目標とは、「最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けることである」(メイヤロフ)だと思われます。こどもや人間以外の命ある生き物を育てること、誰かを介助すること、病の人を支えること、というさまざまな人間の営みのなかにケアリングは埋め込まれています。

 

このような他者をケアする営みに共通するのは、その人が物理的にできないことはこちらが助けるけれども、自分でできることは自分でするという能力(自立)を育むことであり、精神的なレベルでは、制約があっても自分で望ましい方向を選び、みずからの舵取りで変化をしていくこと(自律)を支えることです。医療者と患者における対話と協働の探究も、意思決定以前に患者が「自分で望ましい方向を選び、主体的に変化をしていく」ことができるという根本的な目的のためになされるべきであろうと思われます。対話を通じて、患者がまわりに支えられながら、みずからで変化・成長していくことを支えるケアリングや「生きる力」のエンパワメントができたとき、意思決定はおのずと後からついてくるはずです。

 

また、メイヤロフがいうように、この意味でのケアリングとは相互的なものであり、相手が自分らしく変化していく姿はそのままそれを支える側にとっても喜びとなり、自分の成長や学びにつながるものでもあります。医療者の目からみて不合理と思える選択をする患者でも、その人の目線に立って対話してみると、その本当の意味でのその人らしさを理解し、患者の変化や成長のプロセスに加わり支えるという貴重な経験ができるかもしれません。医療者と患者との対話と協働の探求は、医療者にとってもケアリングの意味を学び、これからもケアを続けていく力となる経験となるのではないかと筆者は考えています。

 

 

 

 

 

 

今回は、意思決定支援がテーマでしたが、そこからケアリングの根幹には患者と医療者の対話があることに話題が展開していき、改めてその意味について考える機会となりました。

 

病とともに生きる患者は、さまざまな意思決定の場に遭遇します。患者・家族は、一旦はひとつの選択肢を選んだとしても、その後の病状の変化や取り巻く環境・状況の変化によって気持ちが揺らいでいくものです。したがって意思決定を支援する者にとっても「患者が一度決めたら、それで終わり」ではありません。このように医療者が「患者・家族の心が揺らぐのは当然だ」と受け止め支えていくためには、相手の心の動きをキャッチし、対話を通して患者・家族の真の思いを探求していくことが意思決定の支援を行ううえで欠かせません。きっと日々、皆さんも現場でそう実感されているのではないかと思います。

 

意思決定支援の場で対話の大切さを実感したケースとして、がんの再発により予後が月単位と予測されるAさんとの場面が思い浮かびました。60歳代のAさんは息子さんと二人暮らしで、積極的治療が難しい状況となり、今後の療養生活をどこでどのように過ごしたいか決めるよう医師から説明を受けました。自宅で過ごすことや緩和ケア病棟への転院が選択肢として提示されましたが、Aさんは「この病棟には慣れ親しんだ医療者がいるので、このまま最期まで看てもらいたい」と答えました。

 

特定機能病院でもあるため、最期まで数ヵ月間も入院し続けるのは現実的に難しいことを伝えると、息子さんに負担をかけたくないという気持ちと、緩和ケア病棟には行きたくないという希望を聞かせてくれましたが、自分からはそれ以上の理由や思いを語ろうとはされませんでした。そこで、チームで話し合いながらAさんの真の思いに近づけるよう、日常生活のケアの際だけでなく、ベッドサイドに行く機会をつくってAさんと話す時間を持ち続けていきました。

 

その過程で、Aさんは「慢性疾患を持ちながら働いている息子には、これ以上の負担をかけたくない」という具体的な理由を話してくれました。病気が進行していずれ働くことが難しくなる息子に少しでもお金を残してあげたいと強く思っていたのです。自分よりも常に息子さんのことを心配し、また緩和ケア病棟はどこも高額だろうという先入観もあったので、関心を持ちながらも転院を拒否をしていたこともわかりました。

 

私たちとの対話を繰り返し続けていく中で、Aさん自身の思いや考えが整理されていき、息子さんのことばかりでなく、自分ががんの苦痛に対して恐怖心を持っていることにも気づかれた様子でした。そのタイミングで緩和ケア病棟について正しい情報を伝えたところ、拒んできたAさんの姿勢が徐々に変わっていきました。そうして最終的にはAさんにとっての選択肢が広がり、自宅で数日を過ごしたのち、緩和ケア病棟に転院するという選択をされました。

 

Aさんと話す機会を繰り返し持つこと、つまり患者とともに対話を通して自身の真の思いを探求するというプロセスが、患者自身で考え選択し前に進んでいくことにつながっていったのです。私はこのケースを通して、意思決定を支援していくうえで対話のプロセスが持つ重要性を改めて認識することができました。

 

意思決定支援では、患者・家族のニーズをその都度見極め、それにマッチする支援をチームで考えていく必要があります。今回の連載で改めて、対話を通した探求によって「患者が自分の人生を最期まで歩むうえで必要な『生きる力』」に働きかけられるよう支援していきたいと感じました。皆さんも、日々の臨床実践の中でぜひ「患者との対話を通した探求」を実践してみてください。

 

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>> この連載について/予定

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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