イラストレーション  : 楠木雪野

[連載] なかなか会えないときだから考える コロナ時代の対話とケア ● 高橋 綾
自分も相手も尊重するコミュニケーション ──アサーションと対話

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② ネガティブな感情を相手のせいにするのではなく、自分の気持ちとして伝える

 

ネガティブな感情を感じているときは、その感情が相手に由来するものだと感じ、「あなたが悪い」とその感情を感じさせた相手を非難したくなります。けれどもよく考えてみれば、相手のある言動にネガティブな感情を感じているのは自分のほうであり、おなじ言動をみても捉え方次第でなんとも思わない人もいるかもしれません。相手からみれば、自分がそこまでおかしいと思っていないことやどうしてもそうしかできないことに、腹を立てられたり一方的に責められても、なかなか受け入れられるものではないでしょう。

 

そのことを考えても「(私にこんな感情を感じさせた)あなたが悪い!」ではなく、自分を主語(I message)にして、「(あなたがそう行動すると)私は~なので困っています、悲しいです」と、自分の感じていることとして伝えるほうが、相手にも受け止めやすく、自分の感じたことも損なわないで伝える表現になると言えます。

 

③ 相手にしてほしいことを、状況・時間・行動を特定して提案する

 

また、相手に何かお願いしたり、あることをやめてほしい場合には、「(常に)~するべきだ、~はしてはいけない」と大きなお願いをするのではなく、状況・時間・行動を特定して「△△の場合には、××のことをしてもらえますか」と提案するほうが、相手は対応がしやすいものです。多忙で患者の訴えに耳を傾けない医師に対しては、「先生、もっと患者さんと話をしてください!」と責めるように言うのではなく、「〇〇さんは、手術のことが不安でなにも手につかないみたいですから、今日の診察の後に5分でも時間を割いてお話してもらえませんか?」と、状況や時間を限定した提案をするほうが、相手も、いつもは無理だけど5分だけならやってみようか、と前向きに取り組んでくれるかもしれません。

 

また、ここで重要なことは、自分からのお願いは、あくまで自分の「提案」であり、受け入れるかどうかの主導権は相手にあると認識しておく、ということです。他人に何かお願いをしようとするとき、私たちは無意識に、自分の訴えを100パーセント理解し、相手に変わってほしいと 期待して、大きなお願いをぶつけてしまいがちです。あるいは、あまりに意見や言動に違和感を感じる相手には、どうせ聞き入れられるはずがないと自分の希望を伝えるのをあきらめてしまうこともあるでしょう。しかし、自分にできることは、小さな提案をなるべく他人が受け入れやすい形でしてみることであり、もし相手がそれにNOと言っても、それは相手が決めることなのでしかたがない、と思えたほうが、こちらも気楽に提案できますし、受け入れない相手を必要以上に責めることをしないですむのではないでしょうか。

 

対話やケアにおいて、アサーティブであることが

どういう意味を持つか

 

さて、ここまで述べたことから、対話やケアにおいて、アサーティブであることがどういう意味があるのかをもう少し考えてみましょう。

 

私たちは、他人を「尊重」することが大事とよく言いますが、具体的に他人を尊重するとはどういうことかと聞かれると、こういうことだと答えるのは難しいです。アサーションの考え方からわかることは、他人を尊重することの第一歩は、「自分が感じているネガティブな感情を相手のせいにしない、自分の感情は自分の受け止め方が生じさせたものである」「自分ができるのは提案で、それを受け入れるかどうかは相手が決めること」というふうに、自分に関係がある、責任を負うべき領域と相手が責任を負う領域(これは心理的バウンダリーとも呼ばれます)をしっかり区別することであり、その上で、相手に責任や主導権がある領域を侵さないこと、例えば、自分の捉え方から一方的に相手を評価・非難したり、相手が決めるべき領域に踏み込んで何かを強制したりしないことが重要であるということです。

 

また、アサーションから学ぶべき点で、対話にも共通する点としては、他人を尊重するということは、相手の言動に対して何も言わず受け入れることではないということです。本当の意味で相手を尊重するということは、自分が感じていることは自分の責任の範囲内で適切に伝えることであり、相手の感じ方・考え方だけでなく、相手とは異なる自分も尊重する、ということでなければなりません。自分と相手がお互いの責任で言うべきことを適切に伝えあい、それを尊重しあうという相互的な関係こそが重要なのだと言えます。

 

そして、この「自分の感じていることを率直に、適切に伝えること」は、それ自体、互いのケアやエンパワメントにつながることでもあります。心理学者のC.ロジャースは、援助的コミュニケーションに必要な条件として、「条件なしで、肯定的な関心があること」、「共感的理解」に加えて、カウンセラーなど援助職の言動が、「自分に一致して congruence」おり、「正直なgenuine」「統合されているものintegrated」であることを挙げています。

 

筆者は、この最後の「自分に一致して」「正直で、統合されている」という項目が、ここで述べた「率直かつ適切な自己表現」ということに近いのではないかと考えています。ロジャースのいう「自分に一致して」いることというのは、援助者と話をするときに、その人が言っていることと、示している態度の間に不一致があったり、心にもないことを言っているように感じられる場合は、相手を信頼することが難しくなるということを指しています。だからといって、援助・ケア的なコミュニケーションでは、ネガティブな感情を感じている時にそれをそのまま相手にぶつけるわけではありません。

 

ロジャースは、自分に一致している状態とは「自由にかつ深く自己自身であり、自己自身の気づきとして正確に表現されていること」と述べていますが、それはおそらく、表面的で一時的な感情の奥にある自分の気持ちに目を向けており、それを適切に表明できている状態を指すと思われます。

 

ロジャースがなぜ援助者の「率直で適切な」「自分に一致した」自己表現を重要視したかというと、悩みや心理的な問題を抱えている人の多くはこれと逆の「不一致」の状態、つまり、自分が深いところで感じている気持ちに気づいておらず、感じていることと表出が一致していない、混乱した不安定な状態にあると考えたからです。病気のことで不安を抱えているのにそれを言葉にできず、いっぱいいっぱいになってナースに怒りを向ける患者さんや、治療をして生きたい気持ちと治療の辛さや家族の介護の負担への心配との葛藤を抱えてどうしたらいいかわからない患者さんは、そのような状態にあると言えるでしょう。

 

このような状態の患者さんに、ナースが自分の深い気持ちに率直で適切な語りかけができるとき、それを聴く側も、信頼できる落ち着いた語りかけに促され、自分が感じていることを見直してみたり、どうしたいかをじっくり考えてみようと思うきっかけが得られるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

専門的緩和ケアに携わって30年を超えた今年の4月、これまで唯一体験していなかった、地域での緩和ケアを担う職場へと移った私には、今回のテーマは今まさに向き合っている課題です。

 

病院という縦割りの組織化された環境は、自分の役割に徹することができるので、その権限の範囲で仕事し意見を発信できますが、小さな組織ではそれが意外と難しいことがわかりました。クリニック内では役割はあってもそれぞれ仕事の重なり合いは大きく、患者ケアにおいては他の組織の方々との協働のなかで創られていくものだからです。

 

7月までの3か月、患者ケアは楽しめましたが、職場内では安心・安全(セーフティ)になんでも語れる関係ができていないためか、意見や考えをうまく発信できず、本当に暗中模索といった感じでした。注意していたのは攻撃的になりすぎないこと。高橋さんの記述にもあるように、新しい上司・同僚への怒りは、私自身の不安や戸惑いの現れなのだろうと、漠然とわかっていたのだと思います。

 

これまでの仕事や環境との違いを理解していても、柔軟に対応できない自分がいて、新しい上司・同僚を評価し、むしろ相手を変えたいと願っていました。漠然とではなく、こういう自分がいることをしっかり認識することは大切なことだと思います。こうした認知があってようやく、相手を変えようと考えるのではなく、そういう相手をわかろうと努めることで、気持ちも落ち着いてきたように思います。

 

別に相手を好きになる必要はないのですから。上司・同僚が自分自身でいることを尊重する必要がある、同じように私自身も私を偽らないこと。そういう意識が自分のなかにつくられると、自分の意見も発信しつつ、相手の意見も聴けるようになるから不思議ですね。まさにアサーションです。

 

アサーションの事例では、もう一つ思い出深い場面があります。大学病院で緩和ケアチームの専従看護師をしていた頃の依頼事例です。衰弱した下部消化管がんの患者さんに、胃管から毎日アミノレバン®を入れていたのですが、注入すると決まって嘔吐するの繰り返しで、夜になると患者さんは胃管を自己抜去するのです。そして抜去された胃管は枕元にきれいに丸めて置かれるのですが、患者さんは何も語りません。そういうことが何度かあって、看護チームから吐気のマネジメントの依頼が来ました。

 

全体像把握の聞き取りをしていると、看護師チームの怒りがひしひしと伝わってきました。指示を出す主治医への怒りです。依頼した看護師は「なんのためにやっているのか全くわかりません」と言い、自分たちが何度言っても変わらないから、緩和ケアチームから主治医に対して「胃管注入から輸液に変更するよう説得してほしい」と真の依頼目的を明かしました。

 

主治医に輸液変更の提案はしても、その意図についてはちゃんと話し合われず、主治医の考えもうまく聞けていない……。そんな感じです。話し合うべきは患者さんの苦痛緩和ですが、まずは主治医が胃管から薬剤注入を継続したい理由を知る必要があるわけで、多少話し合いができるだろう時間に主治医を訪ねてみました。そこで私は、その医師の考えを理解したいという気持ちを大切にしながら(「変えたい」ではなく)、吐気を誘発する現在の投薬方法を継続する理由を知りたいこと、看護師の目的は患者さんの苦痛緩和を図ることである旨を伝えました。

 

その結果、詳細は割愛しますが、主治医は患者さんの予後を看護チームの推測よりも長く見積もっていたこと、したがって抗がん治療が再開できると信じていたことなどを話してくれ、そこでの対話はさらに、無益な治療や治療の選択肢を医師がコントロールすることなどについて及びました。事例の結末はともかく、自分も相手も尊重して対話に臨めば、いろいろ見えてくるものがあって、そうした中から互いが歩み寄ることのできるポイントを見出すことが可能なのだと感じられた体験です。

 

少し勇気がいることでしょうけれど、臨床で自分の仕事を責任を持ってしようとすれば、アサーションと対話は必要不可欠なものだと思いました。

 

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今回のひとこと〜緩和ケアの現場から 柏谷優子 辻仲病院柏の葉 看護部 SPACE-Nワーキンググループ

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