イラストレーション  : 楠木雪野

[連載] なかなか会えないときだから考える コロナ時代の対話とケア ● 高橋 綾
はじめに──対話(dialogue)とは何をすることか

session

「今回のひとこと〜緩和ケアの現場から」田村恵子 ▶記事末尾へ

<  ●  ○

 

対話とは、「言葉を使った共同作業」である

 

このように、対話的関係のベースは「時間や場所を共有し、身体や感情を持った存在としてともにいる」ということです。しかし、この連載で取り上げる「対話」は言葉での交流を含みますので、その「ともにいる」という関係性にどうやって言葉のコミュニケーションを乗せていくかを、ここから考えていくことになります。

 

筆者が長年、いろいろな人々との対話を行ってきて思うのは「言葉というのはなかなかやっかいなものだ」ということです。たとえば、看護師さんたちとの研修でよく「言葉にしかできないことは何ですか?」という質問をします。みなさん、「うーん…」と考えて「複雑なことを伝える、かなあ?」などのように答えてくださいますが、筆者はそれは「うそをつくこと」だと言っています。

 

今回、後ろのコメントを書いてくださった田村恵子さんもおっしゃっていますが、患者さんの痛みや状態を知るには、相手の言葉よりも表情など身体の表現をよく見る/看るほうがよい場合があります。なぜならそれらには苦痛やさまざまな感情が自然に現れやすくかつ隠すことが難しい。でも言葉は「騙す」とまでは言わなくても、強がりや逃避などのさまざまな理由から「大丈夫」「まだまだ平気」など、自身がおかれている実際の状態にフィットしないことを言う(=うそをつく)ことができるのです。

 

また、言葉はその人の役割や社会の規範を体現するものでもあるため、ほんとうはそこまでは思わないけれど「医療者だから」「上司だから」「親だから」という理由から「こう言っておかなければ」という建前を言わなければならない場合もあります。さらに、議論が白熱すると「私はこう思うのに、なぜわかってもらえないのか」「私のほうが正しい」といった“エゴ”の張りあいになりやすく、こうした言葉での対立がエスカレートすると、自分や相手に取り返しのつかない傷をつけたり、解決不能な分裂・分断につながってしまいます。

 

筆者は、対話とは「言葉による共同作業」だと考えています。とはいっても、単なる気心の知れた者同士のおしゃべりではなく、それは自分と考えや感じ方が違う他人に出会う場であり、違いを尊重しつつ「ともにいる」ための場です。つまり「言葉にしかできないこと」のもう一つの答えは、自分と他人との違いを丁寧に知ることだと言えるかもしれません。ただそれは、ときに「どちらが正しいか」をめぐる対立につながりがちです。

 

そのような言葉の厄介な側面を軽減させるためには、言葉を丁寧に使ってお互いの違いをじっくり理解したうえで「違っていてよい」「違っていてもともにいられる、共同作業ができる」場をつくることが必要です。それには──それほど難しいことではありませんが──言葉や他人との違いにまつわる、私たちの習慣をすこし見直す必要があります。

対話とは、相手との対話であると同時に自分との対話でもある

 

このように対話はまた、自分と感じ方や考え方が異なる他人に向きあうことでもあるのですが、実はそれと同じくらい大事なのは「自分に向きあうこと」「自分との対話」です。感じ方や行動、考え方が異なる人に出会ったことで自分の「当たり前」が揺さぶられて「なぜ、この人はこんなことをするのだろう? こんなふうに考えるのだろう?」と、相手に対して思うことがあります。

 

そのことは、時として違和感やいらだちというネガティブな感情として現れてくることがあり、そのせいで自分と価値観の異なる相手と向きあったり、出会うことが苦手だという人も多いようです。でもよりよい対話のためには、そのように自分が今感じている感情や考えによく気づいていること、またなぜ自分はそう感じ・考えるのだろうと自身を見つめなおすことも大切です。

 

自分と違う考え方をする他人に出会った時、どちらが正しいかではなく、ただ互いに違うだけなのだと、自分と相手の両方を肯定的に捉えることができれば、お互いをよく知っていくためのきっかけや「なぜ自分はそうしないのだろう? なぜ自分は〜しないのが当たり前と考えていたのだろう?」と、自身にとっての当たり前に気づき、自分と対話するチャンスにもなるのです。

 

対話とケアの関係

 

筆者はそのような対話的関係は、ケアリングやナーシングには欠かせないものだと考えています。これらは他人を世話することやそのために行われる個々の行為や仕事ではなく、その根本にある人と人との関係のあり方を意味しています。

 

ケアリングとは、他人を対象として客観的に捉えるのではなく、意見が異なる相手として対立するのでもなく、自分と他人がひとりの人間としてお互いに相手に関心を寄せ、身体的・感情的な交流、共感に基づく関係を築くということ、さらには人間の根本的なありようとして、個的な存在である以前に「関係的」な「ともにいる」存在であるということに根ざしています。

 

ただ、わたしたちが関心を持ちあい、共感しあってともに存在するということは、それぞれの違いをなくすということではありません。相手に関心や共感を持つ一方で、互いの違いを理解し認め尊重することもまた重要です。「ともにいること」と「違いを大切にすること」、この両方ができて初めて、それぞれの人が関係性のなかで支えられ、その人らしく生きていくことをエンパワーメントできるようになるのではないでしょうか。

 

このように考えていくと、対話とはインフォームドコンセントのような医療行為を行うために必要な手続きや、患者理解・意思決定のための手段にとどまらず、それそのものがケアしあう関係性を築くことなのではないかと思います。この連載では、ケアしあう関係性を築くための対話とはどういうものなのか、そうした対話・ケア的関係性をつくり出すための知恵やわざとはどのようなものなのかを、読者のみなさんとともに考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさま、こんにちは! まず今回は、この連載の執筆者・高橋綾さんと私の出会いについてお話しましょう。それは鷲田清一さん(元大阪大学総長・当時文学部教授)らの呼びかけにより1998年から動き出した、大阪大学文学研究科臨床哲学研究室の公開講義に参加したのがきっかけでした。

 

当時、私は臨床でがん看護専門看護師としての活動を始めたばかりで、修士課程で取り組んだ研究課題をなんとか続けていくことができないか模索していました。そんななか、毎週金曜6限に開催されていたその講義で、実際に社会でがん看護のさまざまな当事者関わっている人たちと対話や議論を行い「何が問題であるのか」を探し出し、研究プランをデザインし、遂行しようとする「臨床哲学」という新たな研究・活動 に出会い、心がときめきました。高橋さんはそのど真ん中で研究や活動を行っていたお一人でした。その後、私は医学研究科の博士課程に進学しましたが、少し距離を取りつつも「臨床哲学」から離れることなく、折に触れて「対話」を通してその関係を紡いできました。

 

さて、連載の主題である「対話とケア」についてです。ここ数年、哲学カフェやサイエンスカフェ、子どもの哲学、対話による人生相談などの活動のキーワードとして「対話(Dialogue)」という言葉がよく用いられます。そしてこの対話とは何をすることでしょうか、というのが今回のテーマでした。

 

それは「聴くこと」「聴きあうこと」「お互いに応答しあう」「自分が聴いているという手ごたえを相手に伝えあう」など、身体も感情も総動員して行われるコミュニケーションです。つまり、対話の中心にあるのは他者を尊重し傾聴する姿勢であり、他者に対して責任ある誠実な姿勢を示していくことであると言えるでしょう。

 

これって、看護理論家のシスター・ローチがいう「人間の存在様式としてのケアリング」だと思いませんか。よく知られているように、ケアリングは「看護の本質」であるとも言われています。このように対話はケアリング/ケアの営みであるということができると思います。

 

しかし、ここで気をつけなければいけないのは「傾聴」についてです。看護師が学んできた「傾聴」とは、相手の話を受容的な態度で一方的に聴くことを意味します。ですが、この連載で用いられる「傾聴」という言葉はすなわち「聴きあう」ことなのです。

 

それは、ただ黙って耳を澄ませているのではなく、相手のことを理解するために看護師もさまざまな質問を投げかけ、さらに自分自身のことについて語り、相手がまたそれを聴くという、相互的な関係の創出です。「一方的に聴く」ことに慣れてきた私たち看護職にとって、そのように「聴きあう」という営みは一朝一夕には身につけ難いことかもしれません。でも、この連載との「対話」を通して少しずつ実践を重ねていただければと思います。

 

それからもう一つ、高橋さんとともに作成した「専門的緩和ケア看護師教育プログラム(Specialized Palliative Care Education for Nurses Program:SPACE―N)」をご紹介しましょう。前述のような「対話」を介して看護ケアを探求するこの教育プログラムは、その名のとおりホスピス・緩和ケア病棟、緩和ケアチーム、在宅緩和ケアに従事している看護師を対象としています。

 

最大の特徴は、事前にお渡しする教材に沿って自己学習を行い、その後、対話形式によるグループワークを行うところにあります。相互的な傾聴に基づく対話力によって、苦痛や死に向き合って生きるがん患者・家族に寄り添い、支えていくために必要なケアについて共に探求し、お互いにエンパワーメントしていくことを目指しています。詳細についてはNPO法人日本ホスピス緩和ケア協会のホームページをご覧ください。

 

なお、この連載では毎回、私を含むSPACE-Nの企画・運営メンバーが、臨床現場での対話実践を例にとりあげながら、大切なポイントについてコメント解説をしていきます。

 

「対話」は1回限りで結果が現れるものではありません。粘り強く考え続けること、問い続けることに意味があるのです。読者の皆さんには、本連載の内容とも繰り返し「対話」を続けていただきたいと思っています。

 

そうすれば、きっと自分一人では思いもつかなかった、新しいものの見方、考え方が生まれてくるでしょう。その時がくるのが楽しみですね!

 

<  ●  ○

今回のひとこと〜緩和ケアの現場から 田村恵子 京都大学大学院医学研究科 人間健康科学系専攻緩和ケア看護学 教授 SPACE-Nワーキンググループ

>> この連載について/予定

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

© Japanese Nursing Association Publishing Company

fb_share
tw_share