イラストレーション  : 楠木雪野

[連載] なかなか会えないときだから考える コロナ時代の対話とケア ● 高橋 綾
はじめに──対話(dialogue)とは何をすることか

session

「今回のひとこと〜緩和ケアの現場から」田村恵子 ▶記事末尾へ

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対話は、〈聴くこと〉〈聴きあうこと〉からはじまる   

 

医療現場だけでなく、いろいろなところで、対話(dialogue)の必要性が言われ、話しあうための場づくりや質問、ファシリテーションのスキルなどにも注目があつまっています。筆者(高橋)も大学で「対話術」という授業を担当していますが、受講する学生の動機としては「人前でうまく話せるようになりたい」とか、「話しあいの進行の方法を知りたい」などが多いです。しかし対話の根本には、そうしたこと以前に、互いに〈聴くこと〉〈聴きあうこと〉があると筆者は思っています。

 

人の話を聴くことは、一見簡単そうに思えます。でも実際には、日常において誰かが話すことをただ純粋に聴くという機会は少ないのではないでしょうか。授業を受けた大学生の多くが、他人の話をひたすら聴いたり、自分の言うことが他の人にただ聴かれたりする機会が意外に少なく、ほとんど無かったかもしれない、ということに驚きます。日常のコミュニケーションでは、思わず人の話を遮って自分の意見を言ってしまったり、黙って誰かの話を聞いている間にも「次に自分は何を言おうか」と考えたりして、上の空であることがよくあります。

 

かといって、聴くことは単にだまって相手に話をさせることではありません。筆者の場合も、大学の授業や緩和ケアに従事する看護師に向けた研修をオンラインで行う機会が増えていますが、画面上での話しあいでは、聴衆の反応がわかりにくく、音声をミュートして聞いている人や、映像をオフにして顔を出ずに聴講する学生もいるため、話を聴いてもらえているという感覚が乏しく、対面に比べ話しにくいと感じています。この経験から、筆者は、聴いてもらえていると感じるためには、ただ遮られず話せるだけでなく、相手からの反応や応答が重要なのだと改めて実感しました。

 

つまり、〈聴くこと〉は一見受け身に見えますが、実は能動的な行為であり、一番重要な点は、気の利いた返答や回答(answer)を与えることよりも、相手が安心して話しつづけることができる支えになる、確かに聴いてもらえているという手ごたえや応答(response)を与えることなのです。そしてそれは、単に相手の話の内容に耳を傾けるというよりも、その人の存在や表現を聴き、受け止める、その人に「出会い」「ともにいる」という、人と人どうしの根本的な関係性につながっています。

 

このように言うと、ナースの皆さんは、「傾聴」ということを思い浮かべられるかもしれません。たしかに、看護実践で重要である「傾聴」は、ここでいう対話のファーストステップだと言えます。ただし、「傾聴」と対話が異なるとすれば、「傾聴」がどちらかというと片方が相手の話を一方的に聴くだけであるのに対し、対話は、こちらからも能動的な質問や、自分についても話をし相手に聴かれるという相互的な関係が問題になっているということがあるでしょう。あるいは、傾聴も、自分をすこし横に置いて相手に中心的に話してもらうことではあっても、完全に自分をなくして相手の話を聞きいれることではないし、ただ相手の言ったことを繰り返したらよいというものでもありません。ほんとうの意味での傾聴、聴くこととは、応答すること、こちらがしっかり受け止めているという手ごたえが相手に伝わることであるとも言えます。

 

そう考えると、聴くこととは、実は、聴くー聴かれるという一方向的な関係ではなく、お互いに自分の存在の手ごたえを相手に与えあう、相互的な関係、つまり、聴きあう関係なのだと言えます。対話とは、この相互に「聴きあう」ことから始まります。

 

対話は言葉だけではなく、身体や感情も総動員して行われる

Whole Personalなコミュニケーションである

 

聴くこと、聴きあうことが、お互いに応答しあう、自分が聴いているという手ごたえを相手に伝えあうことであるなら、対話のコミュニケーションに用いるのは言葉だけに限りません。表情やうなづき、目があうなどの身体的なコミュニケーションも重要となります。たとえば、オンラインでのやり取りするようになって筆者が一番印象に残ったことは、相手との「目があう」機会の喪失です。目線というのもは相手の身体と気持ちがどこに向かっているのか(現象学でいう志向性)をつかむうえで重要な役割を果たしているのに、画面の向こうにいる人とは「目があった」感覚を持つことができないのです。また、マスクをしながら話す場合も、口元が隠れているだけで表情や反応がわかりづらく、ただそれだけのことで話しにくい感じがします。

 

コロナ禍により、対話というものがいかに細かな身体的交流によって支えられていたのかをあらためて痛感しています。その一方で、よく知った相手とオンラインで話す場合には画面越しのコミュニケーション特有の不安感、不全感は少なく、従来の関係性がそれほど損なわれてはいないと感じます。対話的な関係性がつくり出す親密さや信頼感というものは、そこで何を話したか以前に、ともにいる時間の積み重ねや、そのなかでの身体的・感情的な交流の記憶によって培われるものなのではないでしょうか。

 

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>> この連載について/予定

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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