第1章 私の看護を再発見する
宮子あずさ × 西村ユミ
フランスの二人の哲学者、ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)とモーリス・メルロ=ポンティ(1908-1961)は、かつてともに雑誌「レ・タン・モデルヌ(現代)」を編集する友人でした。それぞれにとっての「実存」という問題と向き合いながら、やがて二人の関係は対立していきます。サルトルは自らの「選択」によって現実を変えていこうと、積極的な社会・政治参加をより重視していった一方で、メルロ=ポンティは、知覚する身体をめぐる独自の現象学を構想していくことになるのです。
自身の看護師としての問いに向き合う時、この2人の哲学者の思想を最大の手がかりとしてきた宮子あずさ氏と西村ユミ氏に、看護師となる以前の自分も振り返りながら、哲学への関心がもたらす自己の「再発見」の素晴らしさについて、楽しく語り合っていただきました。
内容 ◉ 身体と肉体/生きづらい人生、気前よく/私だけの“問い”の見つけ方/対話のあとに
第2章 対話がつくる“生きた経験” 東京都済生会中央病院看護部
東京都済生会中央病院に勤務する7人の看護師長たちが、自身の「引っかかりのある事例」を語り合った対話実践の記録。参加者の皆さんは、これまで数えきれないほど多くの患者に接し、多様な出来事に遭遇してきた中で、なぜそれぞれの事例を選んだのでしょうか。おそらくそこには、自分自身の看護へのこだわりや大事にしたいことと関係した、いわば自らの看護を反映した何かが含まれていたからでしょう。
それまで自覚していなかった物事を言語化し、グループでの対話を通して他者との理解の枠組みや視点の違いを明らかにすることで、過去の「引っかかり」に新たな意味づけがなされ、それは“生きた経験”へと変わるのです。
内容 ◉ 経験を語る(7人の看護師長・西村ユミ/言語化を促す「ワークショップ」という方法(西村ユミ)/読者として対話に参加する(東めぐみ)/対話のあとに
第3章 言葉を待つ
谷川俊太郎 × 西村ユミ + 細馬宏通
私たちが生きる日常には、言葉ではすくいきれない物事がたくさんあります。意味に埋め尽くされたこの世界で見失いがちな、大切なもの。例えば、ここに私がいてあなたがいる。そのことの途方のなさを、からだ全体で受け止めようとして、詩人はいつも、何かをじっと待っています。
内容 ◉〈詩〉という特別な言葉の働き(谷川俊太郎・西村ユミ)/さようなら(谷川俊太郎)/開かれる絵本、開かれる詩(細馬宏通)/対話のあとに