text by : Satoko Fox

第10回(最終回) 不妊やペリネイタルロスを含んだ性教育のススメ

私が放射線科医を選んだ理由の一つは、「子育てと両立しやすそうだから」。

 

ずっと子どもを持つことを望んでいたわりには、結婚が想定外に遅くなり、第1子の出産は37歳。その後、38歳で2回の流産と子宮外妊娠(異所性妊娠)を経験しました。その後、不妊治療をするかどうか迷いましたが結局行わず、先日、統計学的に子どもを産むのが難しいとされている43歳を迎えました。

 

医師として、妊孕性(にんようせい:妊娠する力)についての知識は持っていましたし、生殖に関連する現場では女性の年齢に厳しいという現実も理解していたつもりでした。それでも結果的に、不妊・不育症やペリネイタルロス(流産・死産などの周産期の喪失)を経験することとなり、この領域は私自身の人生に深く関わるテーマとなりました。

 

「プレコンセプションケア」啓発の広がり

 

昨今、「プレコンセプションケア」という言葉を耳にする機会が増えてきました。preは「〜以前の」、conceptionは「受胎」(新しい命を授かること)という意味であり、プレコンセプションケア(preconception care)とは、妊娠を望んでいるかどうかにかかわらず、将来の妊娠や出産に備えて、妊娠前から心と体の健康を整える取り組みです1)。多くの自治体でも、この考えに基づいた啓発活動が進められています。

 

これは、単なる少子化対策ではなく、不妊や不育症に悩む人たちの「もっと早く知っていれば……」という切実な声に応えるものであり、若い世代が将来の選択肢を広げるための一助となるはずです。

 

しかし同時に、啓発のあり方には十分な配慮が必要となってきます。

 

「産まない権利」と言葉選び

妊娠・出産は個人の選択であり、私たちには「産まない権利」も含めたリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)が保障されています。

そのため、いかに正しい情報を伝えるとしても、「産めよ殖(ふ)やせよ」と受け取られるような表現は、意図せずして女性の尊厳を傷つけてしまう可能性があります。

 

また、言葉選びにも配慮が必要です。最近では、秋田県が「プレコンセプションケア」の一環として高校生などに配布した冊子の「炎上」事件がありました。「熟女キラーです」「まだいけるかしら?」「閉店」などと、卵子や女性の生殖機能を擬人化し、年齢や閉経を揶揄(やゆ)するような表現が用いられていました。精子にも「老化」があるにもかかわらず、女性の年齢ばかりが強調され、女性に対するエイジズム(年齢差別)を助長するものとも感じ取れました。

 

このように、たとえ情報発信の目的が正しくても、その方法を誤れば信頼はなくなり、逆効果になりかねません。

 

性教育の変化と、欠けていた視点

日本の性教育は、依然として「寝た子を起こすな」という考え方に縛られがちのようです。しかし、性に関する正しい知識は、子どもたちを早熟にするのではなく、むしろ無防備な行動やトラブルから守る「力」になります。

 

近年では、「包括的性教育」(comprehensive sexuality education)の重要性が世界的に認識されつつあります。これは、妊娠や性感染症の予防にとどまらず、ジェンダー理解、身体の自己決定権、感情との向き合い方、意思決定力などを含む、より広い視野に立った教育です。

 

性教育と言うと、私自身は、小学校高学年のころに男女で分けられて月経(生理)や受精について簡単に学んだ記憶がありますが、そこには「プレコンセプションケア」や「妊孕性」、そして「包括的性教育」といった、将来の選択や人生設計につながる視点は全く含まれていませんでした。

 

医学部で初めて知った「妊孕性」の知識

そして医学部4年生のとき、産婦人科学の授業で私は初めて「妊孕性」の知識を学びました。当時、20代前半。これから医師となり、キャリアを積み重ねたいと思う一方で、子どもを産むのにはリミットがある、という事実を突きつけられました。隣の席に座っていた女友達は、将来のキャリアの予定や理想の子どもの数、出産のタイミングをすべて年表にして、「はぁ……」とため息をついていました。

 

これは決して珍しい現象ではなく、「女子医学生あるある」の1コマです。

 

「今は産むな」の空気が「今は産まない方がいい」の判断につながる

 

妊孕性に関する知識を持っているはずの女性医師たちも、「妊娠・出産は専門医の資格を取ってから」と考えることが多くあり、私自身もそうでした。そう思った背景には、先輩からの助言や、職場全体に流れる「空気」がありました。実際に、「専門医を取るまでは産むな」と指導医や教授から言われた経験のある同僚もいます。

 

しかし、そう言われることも確かに一理あるのです。専門医の資格を取得するまでには、指定された施設での研修、長時間労働、試験勉強などが求められます。これらを、子育てをしながらすべてこなすのは現実的にかなり厳しく、また、専門医を取得しておけば、産休・育休後の復職やその後のキャリア形成がスムーズになるという側面もあります。

 

ただし問題は、その「専門医取得のタイミング」です。診療科によって多少異なりますが、取得できるのは早くて30代前半。試験と妊娠・出産のタイミングがうまくいく人もいれば、妊娠に時間がかかったり、不妊治療が必要になったりすることもありますし、婦人科疾患が見つかって治療を優先する人もいます。そして、私のようにパートナーが見つからないといった人も当然存在します。

 

こうして気づけば、妊孕性が徐々に低下し始める35歳を迎えることも少なくありません。知識はあるはずの医療現場でも、妊娠・出産を先送りする風潮は確かに存在するのです。

 

知っていても、選べない理由

こうした悩みは、医師に限った話ではありません。キャリアを大切にする多くの女性たちが、同じような葛藤を抱えています。20代を全力で走り抜け、30歳前後になると仕事が面白くなり、責任ある役割も増えていく。大きなプロジェクトを任されたり、管理職昇進の打診があったり──そんな中で、「今はキャリアを優先したい」「子どもはもう少し先に」と考えるのは、ごく自然なことです。

 

妊孕性の知識はもちろん大切。でも、知っているだけでは、現実の選択につながらないこともあります。なぜなら私たちは、「その後」の姿も知っているからです。

 

妊娠・出産を経た先輩たちが、思うように働けず、希望していたキャリアから遠ざかってしまった姿──いわゆる「マミートラック」や「M字カーブ」の現実を、間近で見てきました。「妊娠は早い方がいい」とわかっていても、それによって将来のキャリアが大きく制限されるかもしれないという現実が、決断を難しくさせているのです。

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

© Japanese Nursing Association Publishing Company