text by : Satoko Fox
ここ数年、海外のメディアでは、日本に比べてペリネイタルロス(流産、死産などの周産期における喪失)がはるかに多く取り上げられていると感じています。
私がアメリカに渡ったのは35歳のとき。38歳(2020~2021年)で3回のペリネイタルロスを経験したことでこのテーマに敏感になった、ということももちろん影響していると思いますが、それを差し引いても、日米間で大きな差があると実感しています。特に、ドラマやリアリティ番組での描写、有名人の流産報道を比較すると、その違いは歴然としています。
日本におけるメディアでの扱い
私が最近の日本のドラマをあまり観られていないことも関係しているかもしれませんが、このテーマが描かれた作品として思いつくものは、非常に数が限られています。
「おしん」
「コウノドリ」
「隣の家族は青く見える」
「FOLLOWERS」
「コウノドリ」は産婦人科が舞台、「隣の家族は青く見える」は不妊治療中の夫婦が主人公という設定ですので、ペリネイタルロスが扱われていても自然な流れと言えるでしょう。しかし、ペリネイタルロスが「さりげないエピソード」として登場することは、日本の作品では珍しいのではないでしょうか。
有名人による流産経験の公表も同様です。たとえば「森三中」の大島美幸さんが不妊治療のために休業したというニュースは覚えていますが、それが流産を経た上での決断だったと知ったのは、後になってからでした。もちろん、私自身がペリネイタルロスを経験する前は、そうしたニュースがあっても意識に残らなかったのかもしれません。しかし、今改めて調べてみても、報道の数は限られています。
最近では、タレントの菊地亜美さんが2回の流産経験を公表したことが話題になりました。また、小説家の西加奈子さんによるノンフィクション『くもをさがす』では、乳がんの経験がトピックの中心でありつつ、不妊治療や流産の経験にも触れられています。
海外におけるメディアでの扱い
一方、英語圏のメディアでは、ペリネイタルロスはもっと頻繁かつ自然に描かれていると感じます。もともと私が海外ドラマ好きということもありますが、すぐに以下のような作品が思い浮かびます。
‘Dead to Me’(デッド・トゥ・ミー ~さようならの裏に~)
‘Master of None’(マスター・オブ・ゼロ)
‘Grey’s Anatomy’(グレイズ・アナトミー 恋の解剖学)
‘Call the Midwife’ (コール・ザ・ミッドワイフ~ロンドン助産婦物語)
‘Sex and the City’ (セックス・アンド・ザ・シティ)
‘And Just Like That…’(セックス・アンド・ザ・シティ 新章)
‘How to Get Away with Murder’(殺人を無罪にする方法)
‘Black Mirror’(ブラック・ミラー)
これらの作品では、流産や死産のエピソードは、登場人物の大切なライフイベントの一つとして位置づけられています(一つ一つ見所を力説したいところではありますが、文字数の関係で割愛します)。
最近観た‘Severance’(セヴェランス)や‘Apple Cider Vinegar’(アップルサイダービネガー)にもペリネイタルロスのエピソードが混ぜ込まれており、「あ、また出てきた」と思うほど、もはや「特別な出来事」ではなく、「誰にでも起こりうる経験」として頻繁に目にします。
また、リアリティ番組においても同様の傾向があります。
たとえば、国際結婚後によく観ていた‘90 Day Fiancé’。と言うのも、もともとは1年間の留学のつもりで渡米したのに、アメリカ人と結婚し、そのまま移住することになった私。出演者のようにフィアンセビザ(K-1ビザ)で渡米したわけでないものの、家族や友人を母国に残し、異国の地で新しい生活に適応しようと奮闘する姿に、自分を重ね合わせていたのです(笑)。
この番組では、多くの出演者が流産を経験していますが、特に印象に残っているのがヤーラ・ザヤ(Yara Zaya)さんのエピソードです。妊娠発覚から流産、手術にパートナーが立ち会わなかったことへの怒りと、そこからの葛藤、そして和解に至る経緯を彼女自身の言葉で語っていました。私自身も流産後、夫婦関係にズレを感じていた時期だったため、彼女の語りには、深くうなずくところがとても多かったものです。
さらに、海外では有名人が自らの流産経験を公表することも多く見受けられます。特に印象に残っているのは、メーガン妃が2020年に第2子を流産した経験を公表したときのこと。私と同世代で、同じ時期に同じ経験をしたということもあり、勝手に強い共感をおぼえていました。
ほかにも、ビヨンセ、マライア・キャリー、グウィネス・パルトロー、ミシェル・オバマといった、多くの有名人が流産経験を公に語っています。こうした公表は、同じ経験をした人々に寄り添う行為であり、また、ペリネイタルロスが決して珍しいことではないという認識を広めるきっかけとなっています。