text by : Satoko Fox

第6回 「不育症」とわかってどん底 焦らずゆっくり社会復帰

3回目のペリネイタルロスは、再びの稽留流産

 

初めての稽留流産(第2回を参照)、その後の異所性妊娠(第3回を参照)を経て、次の次の周期にまた妊娠が発覚しました。異所性妊娠のときの手術で右の卵管を失っている状態でしたが、まだ妊娠できるとわかり、少しホッとしました。

 

前回の妊娠はほぼ誰にも告げずに終わってしまい、それが心残りであったこともあり、今回は盛大に発表しました。

 

「おめでとう! 今度こそは!」

「三度目の正直だね」

 

たくさんの人にお祝いや期待の言葉をかけてもらい、性懲(しょうこ)りもなくまた希望を持ちました。

 

病院では、既往に基づいて妊娠は厳重に管理され、早い時期から血中hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン;妊娠の成立・維持を助けるホルモン)を頻繁に測定しました。値は順調に上昇し、超音波検査では胎嚢が子宮内にあることが確認されたものの、胎嚢内は真っ暗で、卵黄嚢が確認できませんでした。血液検査の結果と画像診断との間に乖離(かいり)があったのです。放射線科医である私にとっては皮肉なことに、画像を信じたくない状況でした。納得がいくまで少し待たせてもらいましたが、結局、卵黄嚢は確認されず、またもや稽留流産との診断が下されました。

最後に受けた超音波検査で主治医から、

 

「もう胎嚢が崩れてきているから、(流産するのは)時間の問題だと思う」

 

と告げられましたが、(胎嚢などの子宮内容物を排出するために)すでに処方されていた経口中絶薬を飲まないのはいけない気がして、そのまま服薬してお別れをしました。

 

私にとっては稽留流産での2回目の服薬経験となり、少し慣れている自分に戸惑いつつ、1回目のときと比べて内容物があまり排出されなかったことから、胎児の成長がすぐに止まってしまっていた事実を悲しく思いました。

 

そしてこの通算3回目のペリネイタルロス(周産期の喪失)の後、私の中で大きな変化が起こりました。まるで心が空っぽになったかのように、何も手につかなくなってしまったのです。

 

度重なるペリネイタルロスによる精神的な打撃

 

これまでのペリネイタルロスでは、2週間ほどで仕事や家事、育児にある程度戻ることができていましたが、今回はそうはいきませんでした。

 

当時、38歳。

 

「なるべく年の近い子を産みたい」

「40歳までにもう1人産みたい」

 

そんな焦りもあり、つらい気持ちを無理に押し隠してきたのかもしれません。しかし、今回は何かがぷっつーんと切れてしまったようで、なんの気力も湧かず、今までグリーフワーク(喪失による悲しみを癒やすための作業)にもなっていたブログさえも書けなくなってしまったのです。もう体は問題ないけれど、心がコントロールできない──そんな状態となり、非常に困惑しました。

 

私はこれまでの人生、要所要所でそれなりに自分に負荷をかけてきた、という自負がありました。ものすごく勉強し、仕事では嫌なこともたくさんありましたが休まず続け、また、英語がろくに話せない中、35歳での単身留学もなんとかこなしました。そのような経験から、自分を「レジリエンス(resilience;困難を乗り越え、回復する力)がそれなりに高い人間」と評価していました。

 

しかし、今回ばかりは違ったのです!

 

ノーマークだった「不育症」

 

「不妊(症)」や「不妊治療」、あるいは「流産」──これらの言葉は比較的よく耳にすると思います。では、「不育症」という言葉はどうでしょうか。

 

不育症とは、妊娠自体は成立するものの、流産や死産を繰り返して生児を得られない状態を指します。流産においては、2回以上繰り返した場合を不育症と診断します。

メディア等の影響もあり、「不妊症かもしれない」「不妊治療が必要になるかも」と考えることはあっても、「不育症と診断されたらどうしよう」と思う人は、多くはないのではないでしょうか。そもそも一般的にはなじみのない言葉ですよね。医師である私ですら、ノーマークでした。

 

不育症は比較的まれで、流産を2回以上繰り返す確率は2~4%とされています。この数字を見ると、「自分には当てはまらないだろう」と思うでしょうし、「不育症で悩んでいる人はあまりいないのではないか」という印象を受けるかもしれません。しかし、現に、私が主宰するピアサポートグループには、流産を2回以上経験している方もたくさんいらっしゃいます。

 

不育症では、妊娠してはお腹の赤ちゃんとお別れする、「今度こそは」と期待しては失望に打ちひしがれる、ということを繰り返します。一つ一つのペリネイタルロスもつらいのに、それが重なることで心理的負担は大きくなり、心の回復も難しくなっていく、と実感しました。また、私の場合は、すべての喪失が短期間で起こっていることも影響したと思います。

 

「流産を経験する人は多いと言うし、一度くらいはあるよね」という考え方も、不育症と診断されたら通用しなくなります。将来の希望が持てず、お先真っ暗な気分に。また、私の場合は、妊娠自体がトラウマとなってしまい、「もしまた妊娠したらどうしよう」と怖くなって、しばらくの間、経口避妊薬を飲んでいました。

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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