text by : Satoko Fox

第3回 低確率でも油断禁物 知識が手遅れを防いだ異所性妊娠(子宮外妊娠)

また流産?  それとも異所性妊娠?

 

自分でもびっくりするくらいショックだった一度目の稽留流産。それでも、経験や想いをブログで発信することを通じてたくさんの人に励まされ、また頑張ろうと思えるようになりました(第1回を参照)。

 

「やっぱり流産は確率の高いものだから、私も例外じゃなかったんだ。今回はダメだったけど、次はきっと大丈夫」

 

主治医の指示どおり、月経1周期は見送ったものの、その後すぐに妊活を再開したところ、数週間後には、なんだか体調が悪いし、おっぱいがピリピリする感じがあり……

 

「ひょっとしたら、また妊娠したのかも?」

 

と、妊娠検査薬で調べると、まさかの陽性! これまで何か月もトライしたにもかかわらず、なかなか妊娠できなかった経緯を振り返ると、「流産後は妊娠しやすい」─そんな都市伝説が頭をよぎります。

 

嬉しい反面、ほんの2か月半前に流産したばかりの自分。手放しでは喜べない複雑な気持ちを味わい、その日は夫にも報告できませんでした。結局、妊娠検査薬が陽性の写真も撮らずじまい。後に、この記念写真を残せなかったことを悔やみました。

 

当時おそらく妊娠5週目でしたが、妊娠がわかってからも、まだ産婦人科には行けません。なぜなら、アメリカでの妊婦健診のスタートは平均妊娠8週からで、私のかかりつけでは妊娠7週からだったためです。

 

どうしても、「また流産したらどうしよう」と悪いことばかり考えてしまい、不安な日々を過ごしている中、軽い腹痛とお腹の張りが出現します。2日くらいがまんしていたものの、今度は少量の性器出血が始まり、

 

「また流産するのかもしれない」

 

そんな心配と同時に、異所性妊娠の可能性も頭をよぎりました。

 

そういう考えに至ったのは、「妊娠可能な年齢の女性の腹痛を診たら、絶対に異所性妊娠をルールアウト(除外診断)しなければならない」という医師としてのセオリーが、骨の髄まで染みついていたからです。

 

放射線科医としての当直経験

 

私は日本にいたころ、大学病院で放射線科医として勤務していました。乳がんの診断を専門としていましたが、あらゆる診療科の画像診断をする必要があります。

 

勤務先は放射線科医の当直が結構ハードなところで、17時~翌日8時半まで撮影した画像を全件読影するのが必須。しかも、大きな大きな大学病院で、放射線科医は私1人という状況で、一晩過ごさなければならないのです。放射線科医を頼ってくれる先生たちばかりで、やりがいはある一方、いつもかなりの重圧を抱えて当直業務をしていました。

 

夜間に「ウォークイン」で来る(救急外来を独歩で受診する)患者もいますし、救急車で運ばれて来る患者もいますが、私たちが絶対にしてはならないのが、致死的な疾患を見逃すことです。

 

救急帯で、なおかつ画像診断をすることが多いのは急性腹症。「妊娠可能な年齢の女性の腹痛」の鑑別疾患は、卵巣出血や卵巣捻転、骨盤内炎症性疾患、そして中でも絶対に忘れてはならないのが異所性妊娠です。

 

異所性妊娠は、受精卵が子宮内膜以外の場所に着床した状態で、95%以上は卵管で起こります。そのことに気づくのが遅くなり、卵管で破裂した場合は、大量出血を起こし、死に至る可能性もあります。

 

「だからこそ、臨床医も、放射線科医も、絶対に見逃してはならない!」─そう注意して、10年以上仕事をしてきたので、

 

妊娠はしているけれど、超音波検査をまだしておらず、胎嚢が子宮内にあることを確認していない自分の腹

その原因が異所性妊娠である可能性が否定できないのは、自分も例外ではない。

 

職業病のようなものですが、その考えがなんだか頭を離れなくなったのです。

 

異所性妊娠と診断

 

妊娠がわかってからも、なかなか産婦人科には行かない、行けないまま。そして、当時はコロナ患者がまたかなり増えている時期で、受診控えのムードもあり、さらには、年末であることも相まって、年明けまで先延ばしにしようと考えていました。

 

ところが、12月30日の朝に少量の性器出血があり、受診を決意。なんとかその日の夕方に予約を入れてもらえて、産婦人科を受診したところ、

 

胎嚢は子宮の外!  そして腹水が溜まっている!

 

異所性妊娠の診断でした。「まさか」の予想が当たったのです。

 

流産は当時の私の年齢では約20%で起こるのに対し、異所性妊娠はわずか1~2%。「まさか私が……」という気持ちが、さらに湧き起こりました。かなり複雑な気持ちでしたが、医師としての経験が先に立ち、

 

「今日受診しておいてよかった」

「年開けまで先延ばしにしなくてよかった」

 

という気持ちが強かったように記憶しています。

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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