text by : Satoko Fox
流産後、知りたかったこと
1. 流産後の心の経過やサポートへのアクセス
産婦人科でもらった書類には、「2週間経っても抑うつ状態が続くようなら、カウンセリングに行くように」と書かれていましたが、具体的な心のケアについては記載がありませんでした。
知識としては知っていたつもり、頭ではわかっているつもりでも、当事者となってみると想像をはるかに超える悲しさで、涙が止まりません。
数日間泣き暮らし、「こんなに悲しくて大丈夫なのか」「頭がおかしくなったんじゃないか」とも感じました。
少し時間が経ってくると、「いつになったら、普通の生活に戻れるのか」「どうやったら立ち直れるのか」と考えるようになりました。すっかり心に穴が空いてしまい、なんにもする気が起きないのです。
これらの答えを探し、インターネットやAmazonで情報や本を探してみるものの、答えは見つかりません。流産を経験している人のブログを読むことはできましたが、その後どうやって生活しているのか、といった具体的な内容を見つけることはできません。
また、実際どのようなサポートがあり、どうやったらそこにアクセスできるのかもわかりませんでした。後に、「グリーフ」「ペリネイタルロス」「天使ママ」といった、検索に有用なワードを知ることになりますが、当時は何にも知りませんでした。
2.「なぜ私に」の理由づけ
稽留流産と診断されたとき、主治医はこう言いました。
「35歳以上だから仕方ない」
「よくあることだから」
流産を疑われてからというもの、私は妊娠率、流産率のグラフやデータをたくさん見ました。
いろいろな文献の報告がありますが、38歳で流産する確率は20~25%といったところでしょう。その数字をみて、高いとは思うものの、「しない確率の方が圧倒的に高い」とも感じます。
妊娠12週までの流産の原因は、受精時に偶発的に起こる染色体異常によるものが多いです。「自然淘汰」という言葉が目に入るたび、胸が痛みました。卵子の老化もあるし、頭ではわかっているものの、「でもなんで?」「なぜ私に?」と、答えの出ない理由探しの旅に出ました。
「薬を飲んだから」「仕事が忙しかったから」などといった、迷信じみた一般によく言われているようなことは信じないものの、「あのときのあの行動が悪かったので、バチが当たったんだ」というカルマ的な思考には取り憑かれた時期がありました。
結論:知りたいことはどこにも載っていなかった
流産後、私が求めていたのは、
「悲しくていいんだよ」
「立ち直ろう、と焦らなくていいんだよ」
「自分を責めなくていいんだよ」
というような言葉であり、自分がアクセスできる医学的知識や数字ではありませんでした。知識もないよりはあった方がよかったとは思いますが、私が知りたいことは、はっきり言って、どこにも載っていなかったのです。
同時に、私はこうも思いました。
「私が探せない、ということはほかの人も探せない、みんな情報に辿りつけない」
後にピアサポート活動に取り組むことになり、それはやはり正しい考えであったことを知ることとなります。
価値観の変化からピアサポート活動へ
病院では診断と治療を行い、医師はそれをするのが仕事です。しかし、自身が患者になってみると、身体的なケアのほか、心のケアも不可欠で、もっと生活に根差した、具体的で寄り添ってくれるサポートを求めていたのです。
それは病院では行き届かないことであっても、何かしらの形で必要なサポートにつないでほしい、つなぐべきだとも思いました。
そしてこの気づきは、私の価値観を大きく覆(くつがえ)しました。医師として携わってきた医療、また、私が幼いころから「絶対的にいい」と信じていた医療が、患者側、当事者側に立ってみると、実は足りないもので一杯だ、ということに気づかされたのです。
また、同じころ、私は自分の経験や想いをブログに書き殴っていました。
ブログを通じて、同じような経験をされた方(中には、経験していた、ということを私が全然知らなかった友人)からも、心温まる応援メッセージをいただきました。
やはり経験した者にしかわからないと思うこともあると感じ、しだいに、同じような経験をした方の役に立ちたい、と思うようになりました。
また一方で、私が医師だからこそできることもあるのではないか、という考えも浮かびました。放射線科医だし、正直どう思われるのかな、と少し不安に思いながらも、私は名前と顔を出して、ピアサポート活動を始めました。地道に活動を続けている中で、この連載のお話もいただくことができました。
今回はちょっと主観の強い記事にはなりましたが、これからさまざまな方向から「ペリネイタルロス」について考えていきます。
●●参考
サトコ・フォックス|2008年、川崎医科大学卒業。聖マリアンナ医科大学病院および附属ブレスト&イメージングセンター勤務を経て、2018年にスタンフォード大学放射線科乳腺画像部門に研究留学。結婚・出産を機にアメリカに移住。乳腺の画像診断の仕事は続けながら、オンラインで助産師が乳がんについて勉強できる「ピンクリボン助産師アカデミー」を主宰。医学書院『助産雑誌』にて「「助産師の疑問に答える!実践的おっぱい講座――多角的な「胸」の知識」連載中。乳がんに関する情報発信のほか、ペリネイタルロス経験者へのピアサポート活動も行っている。医学博士、日本医学放射線学会放射線診断専門医/指導医、日本乳癌学会乳腺認定医。2022年、不妊症・不育症ピアサポーター等の養成研修医療従事者プログラム受講修了