中央が佐久間さん。「みんなで割り箸を挟んで動いてみる。縦一列。横一列。お互いに割り箸を落とさない、距離感やスピード、動きの大きさを感じ、調整しながら動く。“もうちょっと押して”、“もっと後ろに” 言葉を交わしながら、ちょうどいい感じを探り、つくりだす」(「ケアする人のケアハンドブック 言語から身振りへーからだを読み解く」より転載/撮影:天野憲一)
自分のからだ、他人のからだ
佐久間さんのワークショップでは、からだと向きあうことが普段とはまったく違う仕方でもたらされる。たとえば水が入ったペットボトルを揺らし、その揺れにからだを委ねてみる。炊飯器でご飯を炊き、その湯気に動きを合わせてみる、など……。
参加していて、「これは、どういうことなんだろう」と思うこともある。でも、佐久間さんに誘われ動いているときは、ただただ夢中で必死だ。終わったあとにいろんなことをなんとなく考える。そこで普段、いかに自分や他人のからだやその動きに注意を払っていないかに気づく。そして、自分の動きが他人の動きや状態に影響を及ぼしていることに気づく。
がたんと椅子をひけば、がたんという音が部屋のなかで響き、その部屋にいる人みんなに(聞いていないかもしれないけれど)聞こえている。バタバタと歩けば、バタバタとした音を生む、そんなふうに私の動きや気分が伝わっている。こうしたやりとりが、実はいろんなかたちで起こっていることに気づく。と同時に、少し静かに歩いてみようと思ったりする。その場で劇的に変わるわけではないが、あとから効いてくる。温泉みたいな体験だと思う。
「祥の郷」でのワークショップ参加者が、こんな感想を語った。「割り箸をからだとからだの間に挟んで一緒に動くワークでは、あんなに小さい1点しか当たっていなくても、相手の力とか動きがとてもよくわかるんです。相手のことをすごく実感できました。こんなふうに現場のなかでも相手を感じられたらいいな、感じたいなと思いました」。
佐久間さんはこの他にも数多くのワークショップや活動を行っているが、最近の取り組みの中で印象深いものについて次のように語ってくれた。
「今年、4回にわたって横浜の支援学校で最重度の生徒のクラスでワークショップを行いました。
まず微細なやりとりから始めました。ある働きかけに対してなんらかの応答があり、それに対してまたこちらが反応する。それは動きであったり、音であったり、単なる目線でだったり、顔色だったり、ほんとうにミニマルなやりとりです。しかし、一度でも一往復でもやりとりがあると、その人と何らかの関係がうまれる感じがします。
やりとりを続けるために、自分が培ってきたダンスの引き出しを大急ぎで引っ掻き回します。最後の回、微細なやり取りが増幅してダンスの大きな渦が起こりました。
最初は控えめだった先生方がとてもいい動きをはじめました。生徒の動きを助けて増幅しているのか、自分が動きたいからなのかわかりません。そのどちらでもあるように見えました。嵐で荒れ狂う船の中で、必死にバランスを取るペアのようでした。自分自身が関わらざるえないダンスのありようが、とてもいいなあと思いました。
授業であれば、生徒に対して行うものだと思ってしまうのだけれど、その場で起こるダンスはその場の全体に響いていきます。その場のすべてがダンスをつくっていきます。そのことを改めて体験しました」
佐久間さんは、ワークショップの場で参加者と一緒に動きながら、彼らの小さな動きや、ほんの少し顔をのぞかせる、それまでにない動きをふわりとすくいあげ、増幅させていく。佐久間さんと参加者の動きが響き合って、新しい動きが生まれていく。
そこには、お互いがお互いのままでありながら、共にあることを可能にするような、新しいやりとり、コミュニケーションの回路がひらかれているように思う。
佐久間さんがダンスを通じた活動で大事にしていること