特   集

考えることの作法~哲学で問いを見つける

編集協力 西村 ユミ 首都大学東京健康福祉学部看護学科 教授

“その人らしさ” のこちら側 ── 特集を始めるにあたって

 

「一人ひとりの」患者さんの、その都度の状態に即した看護を、私たちはつねに「こうしたらいいかな」「ああすることができるかな」と考えたり悩んだりしています。一人ひとり違う人に、その人に合ったケアをすること。同じ疾患であっても、一人ひとりの苦悩の経験やその意味は違っています。私たちが想定していることを、はるかに越えた生き方を見せてくれる人もいます。そのため、どうしたら“その人らしさ”を理解して、より良い看護を実現させることができるのか。そう考えて、尽きない悩みと向き合い、考えあぐねて看護をしているのです。

 

ところで、そもそも“その人”、あるいは“その人らしさ”を理解するとは、どのような営みなのでしょうか。理解されるのは、“その人”(例えば患者)だけなのでしょうか。理解する側の“私”(例えば看護師)は、理解することと無関係なのでしょうか。そんなことはないはずです。私たちは、多くの患者さんとかかわる経験を通して、理解のための枠組みを作って(組み換えて)きています。だから、同じ患者さんを見ても、人によって見る視点や理解の仕方が違っているのです。それは、私たちの生き方の“カタチ”そのものと言えるかもしれません。きっと、この“カタチ”、言い換えると自分自身の見方や考え方の“くせ”に、多くの方が気づいていることでしょう。一緒に働く他の人の“くせ”も、見えてしまっているに違いありません。

 

このように考えると、① 一人ひとりの患者さんの“その人らしさ”、② これを理解しようとする私の“くせ”、というこの両者は切っても切れない関係にあると言えます。そして、そうであれば看護をすることは、患者さんにかかわりつつ“その人らしさ”を考え、同時に、自分自身の“くせ”である見方や考えをも反省的に捉え直す営みなのではないでしょうか。

 

しかし、この生き方や見方、考え方の“くせ”は、主観的、先入観、思い込みなどと言われ、あまり前向きに受け止められてこなかったように思います。また、“くせ”があることを知っていても、それをはっきり自覚することは難しいのではないでしょうか。なぜならば、“くせ”(=生き方のカタチ、前提)は、私たちにとってあまりにも当たり前で自明なことであるためです。だからこそ、この“くせ”によって、知らぬ間にある方向に偏った理解をしていたりもする、と思われるのです。それに気づくには、この自らの“くせ”についてじっくり考えてみる必要があるのではないでしょうか。無くすことはできませんので。

 

そうは言っても、はっきり自覚されていないことを考えるためには工夫が必要です。また、ここで期待されていることは、「見方や考え方」自体を「考える」という作業です。簡潔に言えば、「考えることを考える」ことをいかにするか、が問われているのです。本特集で「哲学」に触手を伸ばすのは、「哲学」がこうした問い直しを生業(なりわい)としているためです。難しそう、と思われるかもしれませんが、きっと「驚き」と「楽しさ」を経験し、別の意味で“くせ”になるまで導いてくれるはずです。是非ご一緒に、「考える」ことを始めてみましょう。

 

2016年4月

西村 ユミ(にしむら・ゆみ)

 

首都大学東京大学院人間健康科学研究科教授。1991年日本赤十字看護大学卒業。神経内科病棟での臨床経験を経て、1997年女子栄養大学大学院栄養学研究科(保健学専攻)修士課程修了。2000年日本赤十字看護大学大学院看護学研究科博士後期課程修了。2006年大阪大学コミュニケーションデザイン・センター臨床部門助教授、2007年同准教授。現象学・身体論を手がかりとしながら看護ケアの意味を探究している。臨床実践の現象学会主宰。著書に『語りかける身体』(ゆみる出版/2001年)『交流する身体〈ケア〉を捉えなおす』(NHKブックス/2007年)『看護師たちの現象学─協働実践の現場から』(青土社/2014年)『看護実践の語り:言葉にならない営みを言葉にする』(新曜社/2016年)などがある。

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