Webサイト「教養と看護」連載「超支援?!」

第三回と第四回の削除対応についてのお知らせ

 

 

読者の皆さまへ

 

文化活動家のアサダワタルです。いつもこの連載を読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

この度、以下のような記事が報道(2020年11月13日付)されました。

 

「障害者福祉の実力者が10年超にわたりセクハラ・性暴力。 レイプ未遂や暴言に女性職員ら提訴」(BUSINESS INSIDER, Nov. 13, 2020, 12:30 PM )

https://www.businessinsider.jp/post-224034(2020.11.14確認)

 

私は本連載において、この報道に登場する北岡賢剛氏、ならびに彼が理事長を務める社会福祉法人グロー(滋賀県)について、この国の障害者によるアート活動を普及させた立役者として取材し、彼を始めとしたスタッフの方々の働きについて執筆しました。

 

しかし、報道に書かれているハラスメントの内容が事実なのであれば、大変遺憾で、言葉に言い尽くせない悲しみと怒りを覚えます。

 

私にとってこの連載で書いてきたすべての記事は、ライターという立場で外部から取材をしたという性質を超えるものです。第二回〜五回に取り上げたグローでは企画広報アドバーザーとして、第六回〜九回に取り上げたNPO法人kokoima(大阪府)では理事の一人として、また第十回で取り上げた品川区立障害児者総合支援施設を運営する社会福祉法人愛成会(東京都)ではアートディレクターとして関わってきました。つまり、私の記事は言わば「内部」の視点を交えながら書いてきたものでした。それゆえに、なぜ私自身がこのような悲惨な事態があったかもしれない、そのことにこれまで気付けなかったのか、情けない気持ちになります。

 

私は、第十回で書いた通り、報道で触れられている倫さん(仮称)が幹部を務める社会福祉法人愛成会にて、2019年4月より非常勤アートディレクターとして働いています。倫さんとは、それ以前より親友であり、障害のある方々のアート活動を発信することを通じて、誰もが差別されず、虐げられず、ありのままの自分として尊重される社会をつくろうと共に志す同志です。彼女からこの報道が出る直近一ヶ月、長きにわたるハラスメントに耐えてきた事実について聞かされ、信じられない思いでそのことを日々反芻してきました。私はこれまで、ズバ抜けた先見力や並々ならぬ行動力を持ち、障害福祉の可能性を切り開く北岡氏のことを心から尊敬してきました。

 

しかし、私は大前提として「ハラスメントは絶対になくすべき」という社会正義のもと、自分ができることについてこれから考えていきたい。そう思い、これまでの北岡氏にまつわる私の見解を自ら否定する道を選びました。

 

具体的には、彼個人にまつわる記事である“第三回:地域福祉の実現に並走する美術館運営という『支援』その2―ズラして笑う。開いて出会う。北岡賢剛の支援観から見えること―”(2017年7月9日公開)、ならびに“第四回:地域福祉の実現に並走する美術館運営という『支援』その3―「感性のひと」と「政策のひと」のハザマから。北岡賢剛の支援観から見えること―”(2017年8月26日公開)を、削除することにしました。

 

自分が書いた記事を取り下げることは、書き手としては断腸の思いです。一方で、グローに関連する記事である“第二回:地域福祉の実現に並走する美術館運営という『支援』その1―ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(社会福祉法人グロー)の実践から”、ならびに「第五回:地域福祉の実現に並走する美術館運営という『支援』その4―みんなの「居場所」となる展示会は、新たな地域福祉のカタチだ―”は、公開を続けます。

 

その理由は、グローで働く現場スタッフは、尊敬すべき大切な仲間であり、真剣に障害のある人々のより良き支援について考え、また障害のある人々による類まれな力が生み出すアートに心底感動し、その魅力を社会に発信してきたことは、報道のバイアスなく伝わってほしいと思っているからです。しかし、もし報道での朝子さん(仮称)の被害状況を知っていたにもかかわらず、何も動かなかった幹部の存在が明らかになれば、それはまことに遺憾で、事実詳細が明らかにされるなか、私もそれに即して今後の対応を検討するつもりです。

 

報道の中での彼女たちの発言にもあるように、私自身も北岡氏から仕事を請ける立場から、「何か余計なことを言って、自分の仕事を奪われたくない」と思ってきたのも事実です。また前述のように、こうして自分の見解を明らかにすることで「大切な仕事仲間を失いたくない」と今でも思っています。それはグローのスタッフに限らず、私が現在所属している愛成会のスタッフも含めて、心からそう思っています。しかし「個人」に立ち返って、間違っていることは間違っていると言わねばならない、と感じ、このようなやや踏み込んだお知らせをさせていただくに至りました。

 

改めて。障害のある人をはじめ、社会的なマイノリティとして扱われてきた人たちは、自分たちに対する不平等で不当な扱いに、怒りや悲しみをもってそれらを時に言葉にし、時に言葉によらない様々なかたちで表現してきました。それによって、初めて問題意識が生まれ、社会的に取り組まれるようになり、権利を獲得してきた長い歴史があります。

 

そして、私が本連載で伝えてきた支援現場における表現活動の可能性は、まさにその先人の歴史の積み重ねの上にあるものです。福祉現場で働く私たちが組織内の階級や社会的地位に惑わされ、一人ひとりの尊厳を大切にできない職場環境を作ってしまっているのであれば、それは本末転倒であり、かつこれまでの歴史を否定することになります。そんな環境では、障害のある人のアートを感受する、その感性も蝕まれてしまうでしょう。

 

そのことを肝に銘じ、自分自身もより良き実践をし、この社会に大切な価値をより深く見極めた言葉を伝えてゆくよう努力いたします。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

2020年11月14日 アサダワタル

 

 

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