「患者のウェルリビングを考える会」を立ち上げる
私が「患者のウェルリビングを考える会」を設立したきっかけは、自分の大切な人の死を体験して、さまざまなことを考えたことが原点になっています。
私が17歳のとき、父が心筋梗塞で急死しました。そのとき「死というものは絶対免れることができない」ということを感じ、「なぜ生きるのか」ということを初めて考えました。それから2年後の19歳のときに、精神的に家族を支えてくれていた明治生まれの気丈な祖母が大腸がんで亡くなりました。
昭和40年代当時は専門家の間でも「モルヒネは使い過ぎると廃人になる」という偏見があり、次の処方まで4時間以上空けなければ使ってもらえず、祖母の最期は痛みで七転八倒する中での壮絶ながん死でした。当時の私は「どうせ治らないのなら、苦痛から解放する代わりに廃人になってしまってもいい」と思っていました。
そして20年後の38歳のときに母もがんで亡くなり、そのあと友人もがんになったときには、かなり客観的にがん医療と向き合うことができました。医者である大学時代の友人から「まず原発か転移かを聞く。そして原発ならまだ手術の可能性があるけれど、転移だったら難しい」と言われて、治療の現実を知ったのです。
医師は「今の状態では手術はできませんから、抗がん剤で治療をして、薬が効いてがんが小さくなったら手術をしましょう」と言います。確かに抗がん剤でがんは縮小しますが、でも投与を止めるとまた広がります。すると医師は再び抗がん剤の治療を勧めます。そのようなことが契機となり、がん医療に不信や疑問を感じるようになりました。
がん医療の現実をさらに知りたいと思い、2002年にホスピスでボランティアを始めました。そこで看護師さんやボランティアさんが中心となって「死」について考える会を開催するようになり、それが2005年の「患者のウェルリビングを考える会」設立につながったのです。
「リビングウイル」の取り組み
会では、患者の視点から生・老・病・死と向き合い、自分がどう生き、どう死ぬか、最終的な意思決定すなわち「リビングウイル」について、それぞれが具体的に考えることが必要だという姿勢で活動しています。しかし「リビングウイル作成会」というとなかなかハードルが高いため、「老い支度教室」として呼びかけて「みんな年を取ったらどうしたい?」という話題から始め、認知症などの話で盛り上がったあと、「最後はどのような医療を受けたいか」という流れで「リビングウイル」に焦点を移していきます。
リビング(living)は「生きている」、ウィル(will)は「意思」、つまり「生きているときの意思」ですから、生きている間に効力が発生します。すなわち「リビングウイル」は死後に効力が発生する「遺言状」とは性質が異なります。
「リビングウイル」は一般的には「事前指示書」とも言われていて「延命措置をするか、しないか」という指示が書かれている書面です。そして最近よく見かける「エンディングノート」は、リビングウイルと遺言書の両方が含まれたものです。「エンディングノート」を持っている方にお話を聞くと、遺言書は書いているけどリビングウイルは書いてないという方がほとんどで、せいぜい「延命したくありません」という項目に◯印をつけているくらいです。
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