特集:ナイチンゲールの越境 ──[情報]

対談:ドミニク・チェン × 孫大輔

ウェルビーイングを考える

PART 1   <  ○ ● ○  >

チェン 具体的にどのようなかたちで対話が行われるのですか?

 

 当事者と家族などのサポーターが数人いて、セラピストも必ず複数参加します。まず当事者に語ってもらい、それをみんなで輪になって聞きます。一旦話が終わったら今度は専門家だけで語り合い、それを周りの当事者とサポーターが聞くフィッシュ・ボウル(=金魚鉢方式:互いに相手グループの活動の様子を観察して、観察の結果など相互にフィードバックする手法)的な場を設け、さらに次はそれを聞いた当事者とサポーターに話してもらいます。自分たちのことが語られているところを当事者たちにも見せるところが画期的なのです。

 

チェン 外から見られていることを互いにわかっていながら、フィッシュ・ボウルで隔離するのですか?

 

 そうなのです。ふつうリフレクションといえば哲学者のドナルド・ショーンが言う「内省」のことを指します。でもここでの「リフレクティング」は見られていることを自覚しながら話すという意味での「反射」です。周りで見ている人もそれを意識した上で次に自分たちが話す。そうして互いに見せ合うことを繰り返す中で、だんだん意識が変容していくわけです。

 

チェン なるほど。内在化と外在化を行ったり来たりすることで、自身を相対化できるようになってくるのですね。

 

 そのようです。

 

チェン そうして本人のレジリエンスを高めることで薬物の量を減らしていくと。「リグレト」でも、ケアする側とされる側がすべてオープンに衆人監視の下で対話が行われていました。ただ、そこでは個人の実名や社会的属性がわからない安心感があるという意味で、実はある種のロールプレイ(役割演技)が行われているんですね。だから心理的に重いことを書けば書くほど他者からの慰めが得られにくくなる。でも反対にユーモラスな形に変換して表現できればいい慰めがたくさん集まってくるわけです。慰める側も真正面から人を慰めるのは、実は結構恥ずかしいし敷居が高い。

 

たとえば電車の中で、目の前に立つお爺さんに席を譲りたい気持ちがすごくあっても、周囲に対して「いい人」として立ち上がることが恥ずかしいから、寝たふりをするという話を知人から聞いたことがあります。でも、ある種のロールプレイが介在することによって「これはただのゲームだから、本当に“いい人”を演じなくてもいいんだよ」と心理的な抵抗を軽減してあげることができ、望ましいアクションにつなげられる。

 

 西洋的な価値観だと「見られていようがいまいが、善いことは善いんだからやる」みたいなところがありますよね。そこにはやはり神との契約に基づくキリスト教的な倫理観があるからでしょう。一方で日本の場合は、みんなの中で調和を崩さないようにしながらお互いに善いことをするのが前提になっている気がします。

 

チェン 僕は中学から高校にかけてフランスに住んでいたのですが、あるとき乗ったバスに、見るからに不良な感じのティーンエイジャーがふんぞり返って座っていたのです。でも重い荷物を持ったおばあさんが入ってくると、彼が真っ先に立ち、荷物をパッと持ってあげて「おばあちゃん気を付けてね」と声をかけた後、席に戻ってまたふんぞり返ってたんですよ(笑)。

 

これって日本の漫画で見たりする、昭和初期のバンカラな不良番長のような感じですよね。そういうかたちの社会の公共性というものは確かにあるのです。善行というのは誰にも行えて、本来まんべんなくみんな同じ視線で評価され得るものなのですが、日本ではその場ごとに生じる相互のまなざしに左右され相対的に評価されがちです。それは環境によるものでもあって、たとえば都市部よりも地方に行ったほうが自然と席が譲りやすかったりしますよね。

 

社会の中で人々のウェルビーイングを充実させていくには、そういった環境や場を考慮しつつさまざまな専門分野──僕の場合それは情報技術であるし、孫さんなら医療の仕組みなどを設計していくことが大切なのだと思います。たとえば建築家なら人間の行動の遷移を捉えてアフォーダンスを設計できるでしょうし、心理学者ならよい対話が生まれる方法をアドバイスできるでしょう。

 

 

日本的ウェルビーイング

 

チェン NTTコミュニケーション科学基礎研究所の渡邊淳司さんと僕とで監訳した『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(L・A・カルヴォ、D・ピーターズ著、BNN、2017年1月)という本で、ウェルビーイングに向けたポジティブ・コンピューティングのありかたを紹介しています。

 

>> 出版社のHPへ

 

ポジティブ心理学の研究者マーティン・セリグマンのPERMA理論表1に基づいて、スマートフォンのアプリやクルマの自動運転技術など、ありとあらゆる情報技術の可能なかたちについて考えてみようというのがこの本の主題ですが、そのなかに検討すべきウェルビーイング因子をまとめた表表2があります。

 

 

表1 セリグマンらによるPERMA理論の概念

P(positive emotion)ポジティブ感情E(engagement or flow)没頭や熱中  (フロー体験)R(relationship)関係性M(meaning)意味・意義A(achievement)達成

Seligman ME, Csikszentmihalyi M : Positive psychology, Am Psychol 55(1), 2000.

 

 

表2 ポジティブ・コンピューティングで検討すべきウェルビーイング因子

 

R・A・カルヴォ、D・ピーターズ著、渡邊淳司、ドミニク・チェン監訳『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN)p.116-117, 2017より引用

 

>> 表2を拡大する

 

 

これを見ると「自己」の比率がすごく大きいですよね。一方で社会的因子や超越的因子といった他者との向き合い方に関わる部分が理論面でもまだ相対的に貧しい印象がします。

 

 それに、共感と思いやりが違う次元なんだ。とても興味深いですね。

 

チェン おそらく日本の日常生活や伝統的な社会風習、もしくは儒教や仏教あるいは神道や道教といった宗教的な感覚などを文化人類学な視点から文化差に着目すると、日本の場合はそこに間主観的なあり方を見る割合いが大きいのではないかという気がします。そこで僕たちは、科学技術振興機構の社会技術研究開発センター(RISTEX)による「人と情報のエコシステム」で「日本的Wellbeingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」という研究プロジェクトを立ち上げました(3月に行われたキックオフ・シンポジウムの様子を「amu」のサイトで紹介しています)。

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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