連 載
アクティブラーニング
── 教育の質的変化とその背景
友野 伸一郎
第2回「アクティブラーニングが求められる背景とその効果」
社会で求められる能力の変化
今回は、アクティブラーニングが求められるようになった社会的背景と、アクティブラーニングの効果について考えてみたい。
第一の背景は、社会で求められる能力が、大きく変化してきていることである。日本は20世紀後半の産業社会から、21世紀の現在では知識基盤社会と呼ばれるような社会の在り方に急激に変化した。しかも、1980年代までは高度経済成長が持続し、より進んだ工業国に「追いつき追い越せ」というキャッチアップ型経済が主流だった。つまり、オリジナリティやクリエイティビティよりも、正確さや効率性が求められる時代であったのだ。
これに対して、知識基盤社会と呼ばれる現代の日本は、文部科学省によれば次のように定義されている。
「知識には国境がなく、グローバル化が一層進む」
「知識は日進月歩であり、競争と技術革新が絶え間なく生まれる」
「知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く、幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要になる」
「性別や年齢を問わず参画することが促進される」
では、このような社会で求められる能力とは、一体どのようなものなのか。東京大学の本間由紀教授は、『多元化する「能力」と日本社会 ハイパー・メリトクラシー化のなかで』(NTT出版、2005年)という本の中で、その2つの社会で求められる能力の違いについて対比している。表にある「メリトクラシー」を産業社会に「ハイパー・メリトクラシー」を知識基盤社会として読み変えるとわかりやすい。
この表のように対比してみると一目瞭然だが、産業化社会で必要とされる「基礎学力」や「知識量」、「知的操作の速度」等の能力は、知識伝達型の一斉講義を主とした教育で、すなわち従来の伝統的なスタイルの教育で育成可能である。
これに対して、右に挙げた知識基盤社会で必要とされる「生きる力」「多様性」「意欲・創造性」「能動性」「ネットワーク形成力・交渉力」などの能力は、一斉講義型の教育や暗記型の学習では育成できない。解のない問題にグループで取り組むPBL(Project Based Learning)などのアクティブラーニングを通じて育成するしかないと考えられている。
しかも、最近はAI(人工知能)の発展により、人間の仕事の多くの部分がAIに置き換わっていくと言われているが、産業社会で必要とされた能力を発揮するような仕事の多くはAIに置換される可能性が高い。つまり、知識基盤社会で求められる能力とは、AIには取って代わられない、人でなくてはできない仕事で求められる能力であるとも言えそうだ。
誰でも入れる〜大学のユニバーサル化
第二の背景は、大学のユニバーサル化である。アメリカの著名な教育社会学者であるマーチン・トロウは、大学進学率で社会を3段階に分けた。15%以下をエリート段階、15%~50%をマス段階、50%以上をユニバーサル・アクセス段階と区分したのである。ユニバーサル・アクセス段階とは、誰でも大学に入れる段階ということであり、いわば大学は通過儀礼化していることを意味している。
現在の日本の大学進学率は50%を少し上回っており、まさにこのユニバーサル・アクセス段階にある。それに伴って、かつてと比較して学習習慣がないなどの大学への準備(カレッジ・レディネス)ができていない学生が大量に大学に入ってくるということも意味している。
大学が今まで受け入れたことのない、このような学生への教育も大学のミッションとなっているのである。半数以上が大学に進学する現在、一方通行の講義型の授業のみで学生が主体的に学んでいるとは考えられない。ゆえに、大学のユニバーサル化も、アクティブラーニングが必要とされる理由の一つと考えられている。
メリトクラシー:産業社会
基礎学力
標準性
知識量・知的操作の速度
共通尺度で比較可能性
順応性
協調性・同質性
ハイパー・メリトクラシー:
知識基盤社会
生きる力
多様性
意欲・創造性
個別性・個性
能動性
ネットワーク形成力・交渉力
『多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』(本田由紀著、NTT出版、2005年)を参考に作成。
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