連 載

パーソナル・ライティング 考える〈私〉をともに創る 谷 美奈(取材と文:坂井志織)

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第3回 考え〈私〉をともに創る

ここには学生の作品を直接掲載することはできませんが、たとえば『思考し表現する学生を育てる─ライティング指導のヒント』p.116~121に掲載されているA君の作品を最初に読んだとき、“優秀な作品”だと感じました。

 

そのひとつに、学校生活で対人関係がうまくいかず一人トイレに閉じこもった体験を取り挙げた作品があります。読んでみると、描いたり書いたりすることがむしろ得意な学生のものだという印象が残ります。その理由は、ライティングの基本がしっかりしていたことはもちろんのこと、なによりもA君という人間が文章の中から浮き上がって見えてきたことにあります。これは、パーソナル・ライティングが目標としていた、考える主体=私の形成がなされているからだと思います。

 

では、この考える〈私〉がどのように形成されていったのか、今回は「ともに創る」という視点からパーソナル・ライティングの意義を振り返ってみましょう。

 

 

他者とともに、私をつくる

 

 〈私〉が形成される、と聞くと自己啓発のように自分自身を磨くことが連想されそうですが、パーソナル・ライティングの実践においては「自分で自分を」という方向性に加えて、教員やクラスメートという他者との相互交流がさまざまな場面で組み込まれています。

 

〈私〉という個の形成において、他者とのかかわりが不可欠だというのがキモになっています。少し不思議な感じがしますが「個人」や「私」について持っているイメージを捉え直してみると、その理由がみえてきます。

 

ここで哲学の思想をヒントに考えてみましょう。現象学の用語に「間主観」という考え方があります。これは、独立した個人=主観がそれぞれあり、その間の関係性だと誤解されることが多いのですが、実際はその逆です。「主観そのものも初めから独立して存在していて、あとから他の主観との関係に入るようなものではなく、むしろ主観そのものが他の主観(他者)との関係のなかで初めて生成してきたもの」(『間主観性の現象学―その方法』エトムント・フッサール著、浜渦辰二、山口一郎監訳、ちくま学芸文庫、p.548)とされています。

 

この見方に依ると、「個」が独立したものだという固定したイメージが少し変わってきます。パーソナル・ライティングに即して考えてみると「パーソナル・エッセイ」でその人の経験を徹底的に書くことが、これに気づかせてくれるのではないかでしょうか。

 

私たちは、日々周囲の人々や環境とかかわっており、どこからどこまでが自分の経験だと明確に線を引くことは難しいものです。むしろ、経験をめぐるこのような切り分けられない特性を積極的に視野に入れることにより、〈私〉を考えるうえで他者の存在が切り離せないことを証明しているように思われます。

 

また、パーソナル・エッセイに取り組むことで「パーソナル」についての固定観念を組み替えることが起きているようにも見えます。普段の自分の経験のなかに、根本的に他者との交流が含みこまれている。パーソナル・ライティングを通して学生たちはそのことに気づくことになるのではないでしょうか。

 

 

制作過程での積極的な対話

 

ともに創る過程において、総監督のような役割を果たすのが教員である谷さんです。前回ご紹介したように、パーソナル・ライティングの実践はマラソンに例えられていました。相互交流がまわりの仲間という横の関係だとすると、ここではマラソンの給水や応援の役割を果たす教員という縦の関係を見ていきたいと思います。

 

前回紹介したAくんの作品に書かれていたような内容は、普通ならば隠しておきたい話題かもしれません。でもこの作品だけが特別なのではなく、自らの核心に触れるように記述をする学生がとても多いと聞きます。なぜ彼らにはこのようなことが書けるのだろうかと感じていた私は、谷さんの次の言葉で腑に落ちました。

 

「私も自分自身のことを話したり、それを作品にして学生にも発表し、学生からも批評してもらったりしているんです。真面目なこと、教員らしいこと、サクセスストーリーっていうものだけではなくて、かえって失敗したことや悲しいこと、恥ずかしい話とかも。学生だけに書かせているわけじゃないの」

 

一方的に書かせて評価をするのではなく、教員である谷さん自身も自己省察しているのです。また、さらには、かれらの先輩が書いた作品集も教材として提示されるのです。まず学生が安心して書くことができる素地をつくったうえで、ネタ探し・下書きをする学生に積極的に声を掛け、対話によって話を引き出しているのです。学生本人にとっては平凡でつまらない経験に思えても、他者との対話で新しい意味を発見できるようにしているのです。

 

このように、往路も復路もともに伴走し、教育者─学生という枠組みに片足を置きながらも、もう片足はそれを越えて交わっていることが、主体としての〈私〉を形成することに欠かせない仕組みのように思えます。

 

谷さんは「そのため、学生の経験をシンプルに扱っているのだと言い切れなくなるところに研究上の課題があるんです…」と言いますが、パーソナル・ライティングのユニークさは、まさにそこにこそ見い出せるのではないでしょうか。

 

学生の経験であり作品でありながら、そこには教員や他の学生の経験も織り込まれている。“個”という言葉の意味が成り立つのも、“集団”や“全体”という語との対比を前提にしています。もし個が本当に個であるならば、そもそも個という言葉も不要になります。「個を深めていくことで、個が拓けていく」ような印象を抱いたのは、そのようなパーソナル・ライティングの仕組みからかもしれません。

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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