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パーソナル・ライティングのねらいと特徴
土台である〈私〉にさかのぼる手段には、谷さん独自の工夫が組み込まれています。パーソナル・ライティングにおいて書くことは「義務」ではなく、内発的な学びと自己表現への模索と位置づけられ、とくにその“表現性”に重点が置かれるのです。書かれたものを<作品>として位置づけた発表会やZINEの制作がその実践のかたちです。
次にパーソナル・ライティングがいかにして学びの主体形成につながるのか、いくつかの重要な特徴を詳しく紹介したいと思います。
① パーソナル・エッセイ
文章のジャンルは“パーソナル・エッセイ”であることが重要です。レポートや論文でもなく、小説やフィクションでもない、あくまで自分自身の体験を題材として自らの思考を深め他者に表現するのがエッセイです。谷さんは「書くという記述行為が自分自身を深く省察することと同義」であることに着目しています(『思考し表現する学生を育てる─ライティング指導のヒント』p.96)。これは巧みな仕掛けです。自身が題材に設定されることで他人の書いたものを“コピペ”できない状況が自然につくられ、他人の真似ではなく誰とも交換できない“自分”という出発点を確かめる作業になっているのです。
② 内面の“掘り下げ=How”と、“捉え返し=Why”
さて、次のポイントが「内面の掘り下げ」と「捉え返し」です。日常的な出来事や生活体験を書くなかで、その経験における“感覚の感受を掘り下げ”て、その“経験の意味の捉え返し”することが、谷さんの言うところの「推敲」であり、それは繰り返し書き直す作業を通して実践されていきます。
“感覚の感受の掘り下げ”とは、「嬉しい」や「悲しい」といった感情がどのようなニュアンスを含んでいるのかを、できるだけ詳しく明らかにしていくことです。たとえば最近の若者がよく「やばい」と形容するのを耳にしますが、この言葉一つで面白い・美味しい・感動した・危ないなど幅広い意味やニュアンスが表現されています。あるいは語彙よりも絵文字やスタンプといったもので言葉に表情をもたせることも増えてきました。しかし、それらでは表現しきれない、より繊細でそもそも言葉になりづらい気持ちにどうにかして接近しようとするのが「掘り下げ」です。
また“経験の意味の捉え返し”では、その時その感情がなぜ自分に起こったのか、なぜ今もその思いが残っているのかを自問します。この作業を通して“その時の自分”から距離をとった“今の自分”としての経験の意味が捉え直されることを目論むのです。それが「捉え返し」です。
③ 記憶や経験の言語化
これは“曖昧な思いに言葉をあたえる”という作業です。パーソナル・エッセイに書かれる事柄は、あらかじめ明確になっているものごとではありません。なんとなくぼんやりと思い出されたり、気にはなっているけどはっきりと言葉になっていない、心のどこかに引っかかっているようなことを言葉にしていきます。これによって、自分がどのような感受性や価値観をもつ人間であるのかを再発見したり、確認したり、自覚したりするのです。
④ 他者に向けた作品制作
ここまでは個人の内面を見つめ直す側面が強くありましたが、パーソナル・ライティングにおけるプロセスの後半では、他者との交流も組み込まれてきます。パーソナル・エッセイの朗読会や、ZINEの制作がそれに当たります。言語化された〈私〉をエッセイの中に閉じ込めておくのではなく、他者との間で交換することで「伝える」意識と「読み取る力」を育てるのです。またこうした作品制作の過程を通して、他者への関心や社会・時代への眼差しが拡大していくことも期待されています。
いかがでしょう。今回はパーソナル・ライティングの概要についてご紹介しました。この手法が書く能力の向上だけではなく、その土台となる考える主体である〈私〉の形成を狙っているところが興味深いですね。次回は谷さんがこれらをどのような実践として展開されているのかを具体的にご紹介したいと思います。
(第2回へつづく)
学生たちが制作したZINE。ブログやSNSなどとは違い「自分」だけの手づくりですべてを表現する。
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イントロダクション
第1回 学びの主体形成
第2回 個を深め、他者へ拓く
第3回 考える〈私〉をともに創る
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