カントが「理性」という言葉で言おうとしていることは、人間は、他人や他のモノにまで感情移入したり、気を遣ったり、究極的には誰もが平等で平和で、幸福であることを目指しているということです。

 

現実的には自分勝手な人がいたり、差別があったり、戦争があったり、いろいろな矛盾が世の中にはありますが、少なくとも心の中では「こうあってほしい」という「理想」をもつことができます。そしてその「理想」を他人と共有することもできます(このためには「言葉」の役割が大事ですが、その話はまた別の機会にあらためたいと思います)。

 

つまり何が言いたいのかというと、「ケア」というのは、自然現象、物理現象ではなく、特に「心」の通わせ合いが中心であり、それは言い換えれば「共感」というものを前提としています。

 

この「共感」が生まれるきっかけは、他人が苦しんでいるときに、どうしたら助けてあげられるのかを考え、その苦しみに寄り添おうとする「思い」つまり「観念」です。「理想」という、自然現象からは見つけられないものを言葉などの形にして把握するとともに、それを他者と共有できる「理性」の力なのです。

 

そういうふうに考えるとカントが言う「観念」や「理想」というものの意義が多少は見えてくるのではないでしょうか。

 

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カントの「理想」についての学生の感想(一部抜粋)

 

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しかし、カントに少々無理があるのは、こうした「理性」によってつかみとることのできる「理想」というものが、究極的には自然法則と同じように、普遍的な法則に従っていると考えたことでした。

 

実際、この「共感」については、もともとカントが大きな影響を受けたヒュームという哲学者が強調していたことであり、この「共感」はヒュームの友人だったアダム・スミスに引き継がれ、経済学の基礎が築かれていきます。

 

極端に言えば、現在の経済学も人間の「理想」と「現実」のずれを、「価格」と「量」または「需要」と「供給」という言葉に変えて分析したものだという見方もできます。そうすると、カントや哲学だけでなく、当時の考え方のなかに「共感」や「理性」「理想」を大事にする気持ちがあったとも言えます。

 

しかし経済学も、20世紀後半になると簡単には法則化できないものとして、公害やごみ処理、地球環境問題、原子力発電所の事故による被害など、いわゆる「外部不経済」をどこまで理論のなかに組み込むことができるのかが問われていきました。同様にカントの「理想」、たとえば「決して嘘はついてはならない」とか「世界はいつか恒久的に平和な状態にならなければならない」といった断定口調は、さまざまな物議を醸しながら今日に至っています。

 

つまり「理想」はただ一つとは限らないし、さまざまな「理想」同士にも矛盾があるのが「現実」です。カントの時代にはそれが一つしかなく、いろいろな考えもいつか一つにまとまるのだととらえられていました。しかし今ではそうではなく、いかに多様な考えが共生できるのか、どこまで他者の異なる考えを受け入れることができるのか、それが問われていると思います。残念ながらカントの思想にそうした方向性を見つけるのは困難です。

 

とは言っても、「自由」や「平和」など、究極的な「理想」というものはありうるかもしれないし、少なくとも私たちがそうした「理想」を高く掲げ、その方向に進む努力を怠らず、矛盾した「現実」を生きようとすること自体は、とても大切なことのように思います。

 

それは看護行為においてゴールがはっきりしないこと、また、絶対的な「答え」がないことと、とても似ているのではないでしょうか。「健康である」「安心する」「癒される」といった理想は、実際には患者一人ひとりで全く異なるからです。

 

そう考えると、カントの「理想」論をそのまま現実に落とし込もうとするものではなく、心の中の「指標」または「支え」「祈り」として、私たちはとらえるべきなのかもしれません。

 

そして、繰り返しますが、看護の現場で行われている「ケア」という営みは、自然的、物理的法則に基づいたものではなく、きわめて人間的であり、きわめて高度な実践と言えるのではないでしょうか。

(第4回へつづく)

カント Immanuel Kant

1724-1804/近代ドイツ(ケーニヒスベルク)

 

人間の能力を厳密に検証し観念や理想のもつ意味を追求した。デカルトが旅を重ねたうえで思索をしたのとは対照的に生まれ故郷からほとんど外に出なかったが、商人や船乗りなどさまざまな人を昼食会に招き世界の様子を聞いていた。日本では江戸中期。鎖国の中、長崎の出島でのみオランダとの貿易が行われていたが、その模様もカントの耳に届いていた。

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