カントが「理性」という言葉で言おうとしていることは、人間は、他人や他のモノにまで感情移入したり、気を遣ったり、究極的には誰もが平等で平和で、幸福であることを目指しているということです。
現実的には自分勝手な人がいたり、差別があったり、戦争があったり、いろいろな矛盾が世の中にはありますが、少なくとも心の中では「こうあってほしい」という「理想」をもつことができます。そしてその「理想」を他人と共有することもできます(このためには「言葉」の役割が大事ですが、その話はまた別の機会にあらためたいと思います)。
つまり何が言いたいのかというと、「ケア」というのは、自然現象、物理現象ではなく、特に「心」の通わせ合いが中心であり、それは言い換えれば「共感」というものを前提としています。
この「共感」が生まれるきっかけは、他人が苦しんでいるときに、どうしたら助けてあげられるのかを考え、その苦しみに寄り添おうとする「思い」つまり「観念」です。「理想」という、自然現象からは見つけられないものを言葉などの形にして把握するとともに、それを他者と共有できる「理性」の力なのです。
そういうふうに考えるとカントが言う「観念」や「理想」というものの意義が多少は見えてくるのではないでしょうか。
──────────────────
カントの「理想」についての
学生の感想(一部抜粋)
- カントの言う「理想」は理性のことであり、道徳律としてくくられるもので、私たち人間が考える想像の世界のことなのかな、となんとなく認識することができました。感性や悟性のように実際に触れることができたり、目に見えるものでなく、人によって答えが異なってくるような抽象的なものがカントの言う理性として考えることなのかなと思いました。
- 理想とはあくまでも理想で現実ではない。思い描くものであるから考え、意識を持つ生命体がいるからこそ存在しているもの。
- 私たちが経験することはできないけど私たちが今まで生きてきた中で感じ判断したもののもとになる感覚になるのかな。こうではないか、と触れたものを物事を感じ、判断するきっかけになるもの。
- 「理想」は現象界の情報がおおもとであるならば、永遠平和の考えも現象界の情報がおおもとであるので、その「理想」は現実からかけ離れた夢ではないのか。2015年現在は永遠平和とはほど遠いですが、カントの思い描いた永遠平和は現象界の情報がおおもとなので将来かなうのかな。
- 私は「理想」は希望や願いと似ていて、現実味はどちらかというと薄いと思っていますが、カントの言う「理想」は、現実味があり(実践できるかは別として)理想というより「曲げてはいけない信念」のようなものなのかなと思いました。
- 理想といえば将来こんな人になりたいというような、私たち人間が決めるよい姿というのをイメージしていましたが、カントの言う「理想」は決して変わることなく、人間が手をのばしても届かないぐらい難しくて神秘的なものだと感じた。
- 元々世界が広がっているからこそ理想というものができあがるのだろうという考え方なのかなと思いました。
- 理想という人間の妄想と現実の現象が重なりあったら、世界が生まれるような気がしました。理想が広がるとその分だけ、世界も広がるとも思いました。
- ”理想”は人間しか感じることができないということで、私は人間にうまれてきて良かった…マイナスの物自体も私自身を強くしてくれるかもしれない。そう考えると、物自体を日々感じることが人生の喜びや生きがいにつながっているのではないか。
- 正しいことであるが、達成するのは困難であり絵空事のようにも思えます。しかし、絵空事のようにでも正しいことであるため、目指す努力をしなければならないと思いました。
- カントの理想は実現することが難しいかもしれないけれど、それこそが人間の目指すものであり、哲学の目的なのだと思いました。
- 今まで使っていた言葉なのに、全く別物のように感じました。理想というと夢という言葉に置き換え叶えたいものというふうに自分で変換していってしまうのですが。あくまで理想は虚構であり、かたくなに動かないもの、いわば真理?
──────────────────
教養と看護 | 編集部のページ | 日本看護協会出版会
Copyright (C) Japanese Nursing Association Publishing Company ALL right reserved.