対 談
宮子 あずさ × 西村 ユミ
私たちが哲学をとおして
「再発見」したこと
第1回「肉体と身体」
劇場型両親
──いつだったか宮子さんとお話をしていて「西村ユミさんにとっての〈身体〉って、私の場合は〈肉体〉なのよね〜」とおっしゃったのが面白くて、今日はまずそれを切り口にしながら、お二人の看護との向き合い方について話し合っていただこうと思います。
宮子:とても唐突に聞こえてしまうと思うのですが、いきなり言っちゃうと、私は若い頃「炭坑で働きたい」ってかなりまじめに考えていたことがあるんですよ。
西村:タンコウ……?
宮子:私、高校時代に森崎和江にすごく惚れ込んでたの。彼女は母性を肯定するタイプのフェミニストで、今の私の考え方とはフィットしません。でも、これまで文学には遠い階層にアプローチしたのが、画期的だと思うんですね。
その彼女が具体的に活動したのが炭鉱でした。筑豊で谷川雁という男性と一緒に暮らしながら「サークル村」っていう文学活動をやってたんですよ。それが『まっくら──女坑夫からの聞き書き』(1961年)というルポや『非所有の所有──性と階級覚え書』(1963年)、『産小屋日記』(1979年)といった作品を生んでいくんです。
西村:炭鉱ね……。
宮子 「サークル村」は、肉体を使って生きている人たちに、しっかりと文学を知らしめ、自分たちの文学を興すための草の根運動だったと言えるでしょう。「人は肉体を使うなかで生きていくんだ。そういう人にことばを伝えるんだ」という気概です。
西村:なるほど。
宮子:今思えば、その前振りになるような体験が、中学2年の時にありました。私の通っていた学校若い女性の教育実習生が来て。ちょっと不思議な感じのする人で、なんとなく気が合ったんですね。いろいろ話しました。
その彼女があるとき「実は私の兄は東大に行ったんだけど肉体労働者になっちゃったのよ……」って話してくれたんです。“あなただから本当のことを言うわ”みたいな雰囲気もうれしかったし、何よりそのお兄さんの生き方が、すごく「かっこいい!」と思ったんだなあ。
感受性豊かな時期にそういった影響を受けたことも、私が看護師になったことにつながってます。肉体を使って働くのが本当だ、という感覚。社会の表舞台に出ないところに真実があるんじゃないかという感覚。これが炭鉱というメタファーによって、「地を這うように生きよう」という感覚につながりました。ただ、ここはまだうまく言語化しきれません。
──フェミニストだったお母さま(故・吉武輝子氏)の影響はどうなんでしょう?
宮子:こうした私の「地」に向かう志向が、母は嫌だったんと思います。彼女は女性がすべてに半人前とみなされた時代を変えるために、先頭を切って進んだ人。時代の制約として、「前衛主義」でした。だから、娘の私には、「女性初の○○」みたいなものになってほしかったわけです。
私が看護師になると言ったら、「なんでそんな、女の人が昔からやっている仕事に就くの?」って、本当に怒り狂いましたよ。その気持ちもわかりました。だけどそこは私なりの「階級論」があって、「今はもう前衛じゃなくて“底上げ”の時代だわ!」と思うところがあったんですよ。もういい加減、普通の女性がひとりで食べていく時代にならなくちゃね、ということ。
個人的には、「普通の看護師を長くやろう」作戦を立てました。でも「普通の看護師」というのは、本当は変な話なんです。だって、普通にやろうと思った時点で、もう普通じゃないって思っているわけですよね。
西村:本当に普通だったら、わざわざ「普通」って言う必要はない……(笑)。
宮子:そうそう(笑)。「普通の看護師です」って言うのはいやらしいなと思いつつ、それはもう自分で引き受けることにしたんですよ。そもそも普通じゃない両親のもとに育ってきたんですから。