写真提供:アーダコーダ
なぜ「哲学カフェ」なのか
国内に「哲学カフェ」は数多く存在する。東京大学、上智大学、立教大学、大阪大学など活動をバックアップする大学がいくつかあるが、特別な資格や専門性を問われるものではなく、基本的に草の根の活動である。体験を重ねたリピーターが、みずから立ち上げるケースも少なくない。
講座の講師を務める堀越睦さん(アーダコーダ理事)もその一人だ。社会人として哲学カフェに通うなか、年齢や性別、社会的な立場という枠の外で知的な刺激を受けることを楽しんできたが、5年前に独自の哲学カフェを立ち上げた。そこに参加する人からはよく「ちゃんと議論ができる場が他にない」と言われるそうだ。単なるおしゃべりとは違う話をしたくても、職場や家庭だと「何を言ってるの?」という感じになってしまう。何かについて深く考えたいという欲求がありながらも、それを処理できない「難民」は結構多いはずだと、堀越さんは考えている。参加者のほとんどが誘い合わせではなく、独りでやってくるのだ。
もう一人の講師で、中学校の授業で哲学対話を実践している土屋陽介さん(同理事)は、「知的徳」という姿勢を重視している。人が持つべき「徳」は道徳だけとは限らない。それは徳育教育として教えこむものではなく、個人の純粋な好奇心から他者の話に興味を持ち、聴ける力をともに磨くこと。哲学対話は、そのために必要な知的能力だと位置づけている。
昨今、学校教育の現場ではアクティブ・ラーニングなどを通じて、知識習得に偏らず学習者自身が課題を見つけ、解決していく能力を重視している。哲学対話もその一つとして注目を浴びている面がある。しかし、土屋さんは哲学対話を方法論と捉えることに違和感を抱いている。
「先日あるクラスで哲学対話を行った時に、落ち着きのない子が何人かいて、対話がうまくいかなかったんです。そこで、居心地よく学べる学校って、どんなものだろう? と話を振ったら、ある生徒が、“どうして授業では、50分も椅子に座ってなきゃいけないの? 僕にはそれがすごくつらい。たまに立って歩いたり、誰かと意見交換するような時間をつくってほしい”と、切実な面持ちで訴えたんです。こういう疑問を拾ってあげるのが、哲学対話の授業じゃないかと思います。当然のものとして与えられた学びの枠を超え、そもそも学校とは、教育とはどういうものかを、自ら問い直すための手段でもあるのです」。
取材の窓口になってくれた井尻貴子さん(同理事)は、日本で哲学カフェの試みを最初に始めた大阪大学大学院臨床哲学研究室の出身。おもに障害とアートのフィールドで、多様な人がともにある場を探究しながら、いくつかのNPOや小学校、大学などで哲学対話の実践活動に取り組んでいる。
井尻さんは看護職が参加する哲学カフェのサポート経験もある。「看護師さんは、本当にたくさんの問いを抱えておられますね。患者さんごとに答えが異なる課題を一つひとつ議論しようとする時、事例検討では自分の考えを中心に述べることが難しいんです」と話す。同じ場所で働く同じ職種という関係では、どうしても暗黙の前提という枠内でしかものが言えなくなる。違う病棟や病院、職業の人たちと、自分が一番重要だと感じていることについて話し合ってみたり、あるいは患者さんと一緒にこうした対話の場を持つことができれば、「患者さん」に対する普段とは異なる眼差しを、その人に向けることができるのではないだろうか。
「哲学カフェ」の可能性
看護職が哲学対話に取り組む例はいくつかある。大阪の淀川キリスト教病院では、井尻さんや土屋さんも関わる「カフェフィロ」とともに臨床倫理検討会を実施している。また東北福祉大学の近田真美子さんが立ち上げた「東日本大震災を〈考える〉ナースの会」では、対話を通して震災という出来事を共有し、看護師1人ひとりが自分の力で考えていく場づくりを試みている。
ほかにも、順天堂大学医学部の樋野興夫さんが設立した「がん哲学外来」では、医療現場では解消できない、患者や家族の不安や悩みを自由に対話できる場を、全国80カ所で運営している。がんサバイバーである、看護師の上杉有希さんが代表を務める「がん哲学外来ナース部会」も発足し、シンポジウムをはじめ積極的な活動を行っている(月刊「看護」2015年10月号にて紹介)。
職種や立場を超えた対話の場を提供する哲学カフェと、自分自身で考えることを見つめ直す哲学対話。そこには、専門性や自己を取り囲む見えない壁に気づき、乗り越えるためのさまざまな可能性がありそうだ。
(2015年11月29日取材)
◉ 取材にご協力をいただいたスタッフの方々
堀越睦(ほりこし・むつみ)さん
本業は、IT分野の会社に務める会社員。慶応大学の理工学部出身で、一般教養の倫理学以外に哲学を学んだことはないという。一社会人として哲学カフェへの参加を重ねる中で、みずから5年前に「さろん哲学」を立ち上げた。
井尻貴子(いじり・たかこ)さん
大阪大学大学院で臨床哲学の修士課程を修了。多様な人がともにある場を探究しながら、哲学、アートにかかわるプロジェクトの企画・運営・編集・執筆などに多数携わっている。また、街中での哲学カフェや、公共施設での子どもの哲学ワークショップの進行役を務めている。
土屋陽介(つちや・ようすけ)さん
千葉大学大学院で社会文化科学研究科の博士課程を単位修得退学。立教大学などで哲学概論を教えながら、埼玉県の開智中学・高等学校などで非常勤講師を務め、哲学対話の授業を担当している。
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