[3]新しい時代の学びと教育
西村 しかし、看護がいつまでたっても異分野の方から教えてもらう、与えられるという発想だと、教養やリベラルアーツにかかわる知識をいつも外部から注入される形で学習していくことになっちゃうと思うんですけど。
池田 アウトカムの話があったように、有用性なんてことに色気心を持たなければ、いろんな問題にどっぷりとはまり込めるわけでしょう。どんな分野にもそういうスペースは用意されてると思いますよ。医者が安楽死や優生学のようなタブーについてじっくり議論してみてもいいはずだし。先ほどの「区別」する思考と、区別に意識的であることを大事にしながらね。
西村 考えた結果、無意味だったり間違っていることを確信するのも大事ですよね。あいまいな理解のまま、やめられずに続けていることもあるじゃないですか。
池田 そうなんだよ。「役に立つこと」に注力するあまり、「あ、この考えは面白いと思うんだけどだめだった」みたいなことを素直に受け入れられなくなる。それどころか「これはいいことなんだ」と思い込んでしまう。今から100年後には俺たちのやっていることがとんでもなく非人道的でクレイジーかもしれないのに。長い間苦労しながら試行錯誤してきたことを、一発で覆すような逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれることもあるし、そうなったらむしろ祝福すべきなんだ。
西村 中岡先生、深く考え込んでおられるのか、頭が疲れてきているのか……。
中岡 両方ですね。ここでの人文学は非常に多様な現象を取り扱っていて、授業を通して学生さんをその多様性に触れさせる機能があるのは確かなんだけど、多様性をそのまま放置して学生さんに任せていていいのか……って考えてたんです。
池田 考えること自体のオートノミー(自律)をどうとらえるか。たぶん自由に考えていいと言っても、非常にネガティブなことや大量殺戮兵器のことなどはあまり考えたくないでしょ。「これ面白いよ、これで人殺せるんだよ」なんて言ったら、お前それはまずいんじゃないか? ってなるだろうし。
中岡 CSCDのミッションは、コミュニケーションの「回路」をデザインすることであって、対話の方法を強制したり、コミュニケーションを直接デザインするのとはちょっと違う。たとえディスコミュニケーションであっても、それぞれの人がともかく何かを語るための最低限の意欲と能力を持っていることが前提です。そこを最初から信頼しているんだけど、もしそれがないとしたらどうすればいいんだろう。
西村 最初に授業を始めた頃は、グループになって議論すること自体が難しくて、学生がためらったり、なかなか話し出さなかったりしたこともありましたね。それでもこちらが問いかけたり提案を続けているうちにみんなで議論し始めるという可能性は、いつもどこかで信じていました。
池田 ここ数年の学生たちはアクティブ・ラーニングで学んできているから、10年前に比べてそんなに苦労しなくて済みます。私のおだてるのが上手になったのかもしれないけれど、すぐに議論を求めるのではなく「今日はおしゃべりでいいよ」とか「自己紹介中心にやってね」というふうにすれば、リラックスして議論に入れる。
西村 看護の学部生たちも、早い時期から普通にディスカッションするようになってきました。
池田 中等教育の現場で慣れているんです。
西村 むしろ教員が試されるような気がしますね。
池田 大阪大学に大学教育方法を教えるセンターがあり、そのFD専門の部署に教育学の専門家がいるので話を聞きに行くと、カリキュラムの書き方の改善などに取り組んでいて、若い教員のほとんどに職場研修を受けさせるんだって。ベテランの人は? って聞いたら「50歳以上はもう諦めてます」と。つまり定年までを考えると、わざわざコンプライアンスの悪い人たちを再教育するより、若い人たちをどんどん変えていくほうが効率がいい。ベテランの中にも熱心な教員はいるから、よき援軍として大事にしているけれど、実際のアクティブ・ラーニング手法に長けた人材としては、若い人に期待していると言っていました。
西村 リベラルアーツにしてもどんなことでもそうですが、学ぶ側はそれをどのように学習するのか、教える側にとっては社会が今どのような教育のありかたを求めているのかを理解していくことが、これからはとても重要になっていくんですね。
中岡 これから看護に携わる学生さんたちには、教養やコミュニケーション、さらにはクリティカル・シンキング(批判的思考)というツールをしっかり身につけたうえで、生身の人間をケアすることのこわさと楽しさ、その臨床の感覚を肌でみがいてほしいですね。みなさんの活躍を期待しています。
(2016年2月12日 大阪大学CSCD・オレンジショップにて)
[3]新しい時代の学びと教育
「長い間苦労しながら試行錯誤してきたことが一発で覆されるような、逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれることもあるし、そうなったらむしろ祝福すべきなんだ」── 池田
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