考えること、学ぶこと。

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思想と実践の接続

 

いよいよ、哲学への入門です。

 

今回の特集でも連載をお願いした杉本隆久さんが、『KAWADE道の手帖 メルロ=ポンティ 哲学のはじまり/はじまりの哲学』(河出書房新社)という本の中で、フランスの現象学者であるメルロ=ポンティ哲学への入門には「矛盾」がある、という文章を著されています。まずこれを、毎年最初の新入生が加わる授業で読むことに決めました。以来、今日まで4年間、このテキストを欠かさず読み続けています。

 

今思えば、もしかしたらそこに書かれた「矛盾」こそが、“千本ノック”を生んだのかもしれません。

 

杉本さんによれば、入門のために入門書の類を読むのでは知識を上空から眺めているようなもので、メルロ=ポンティ哲学への入門にはほど遠い。そもそも、メルロ=ポンティは上空飛翔的な見方を否定します。だから、入門書ではなくメルロ=ポンティの著した哲学書を読む必要に迫られます。

 

しかし哲学書は、それを読むのに適した「読み方」を心得ていないと意味が掴めません。だけど、その読み方はメルロ=ポンティの著した書物を読み込まなければ身につきません……。

 

ここに、ひとつの矛盾が生じるのです。つまり……

 

  1. 入門書ではなく哲学書を読むべきである
  2. だが哲学書には「読み方」がある
  3. その「読み方」は哲学書を読まなければ身につかない

 → 1. と 2. とが矛盾する

 

この矛盾は、ゼミ生たちに次のような課題を与えることとなりました。

 

現象学者であるメルロ=ポンティの『知覚の現象学1』フッサールの『イデーンⅡ』、そして途中からハイデガーの『存在と時間』という3冊の書物について、担当箇所の文章とその読み(理解)を授業で発表し、さらに、理解したことに関連した看護や医療、社会的な実践例を挙げます。

 

私たちは哲学の専門家ではないので、哲学書に著された内容の読解が仕事ではなく、それを手がかりにして自分たちの「問い」に輪郭をもたせ、その問いに答えるべく、取り組む態度や方法を検討する必要があります。そのため、具体的な実践例へと思想を接続させることが求められるのです。

 

先取りになりますが、この試みの狙いは、哲学書に著されている論点や考え方の枠組みを掴み取り、自分の言葉にしてみることにあります。それらを掴み取らなければ、相応しい実践例を挙げることができません。他方で、読み手によって関心はさまざまですから、捉える枠組みや視点もその都度違ってきます。

 

そもそも哲学の文章というのは、読み返すたびに、それまで気づいていなかった事柄を新たに示してくれるものです(だから、同じ書物を何度も読みたくなるのですが……)。そのため、発表者が自身の関心に照らしてその書物から与えられる事柄の焦点を、具体例を紹介しつつ示すことができればよいのです。発表者たちはこの作業に苦慮していますが、突然閃くように具体例が現われてくることもあるようです。

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