連載:パーソナル・ライティング
考える〈私〉をともに創る
谷 美奈(取材と文:坂井 志織)
第2回 個を深め、他者へ拓く
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2. 復路
下書きを終えると、折り返し地点を通過し、いよいよ復路としての「推敲」に取り組みます。「文章ができたらあとは誤字脱字のチェック」と考えがちですが、それでは復路の意味をなしません。
復路=推敲が目指すのは文字通り、行きっぱなしではなくゴールに到着することです。言い換えると、下書きを書いた自分と向き合い、「他者の目」で自作と向き合い自問自省することが、推敲としてなされます。それが、最初の特徴で紹介した「掘り下げ」と「捉え返し」なのです。
具体的な作業としては「大きな推敲」と「小さな推敲」の2段階があります。「大きな推敲」がテーマや構成など文章全体を俯瞰する“鳥の目”で行う作業であり、「小さな推敲」は細部の言葉や表現を一つひとつ洗練する“虫の目”で行うブラッシュアップの作業です。鳥になったり、虫になったりするなかで練りあがってきた文章の多くが、素人とは思えないとても魅力的な作品になっていきます。
なぜでしょうか。たとえば、“暗い話”があったとします。その「暗さ」は、漠然とした匿名の暗さではなく、書き手が生き抜いてきた人生が反映された、他の誰でもない“その人らしい暗さ”が編み込まれています。そうして書かれた文章には、どれも個性を携えた暗さなり、明るさなり、嬉しさなりが現れているのです。
文章表現には「人の心」という不可視な対象を表現することに適している特質があると、谷さんは述べています。不可視なものが文章を通して現れることで読者を惹きつけ、共感を誘い、批評を喚起するのだと。これは、書き手にとっても最初から明らかなものではなく、文章を書き推敲という自問自省を通して姿を現してくるのだと言います。推敲というプロセスが、学生の「書く=考える」力を鍛え、自分を知り、他者へと表現していく学びになっているのです。
手書きで表現し考える
ここまでを読んでお気づきかと思いますが、谷さんによるパーソナル・ライティングの過程では「手書き」が重視されています。パソコンやスマートフォンなどの普及に伴い、日常生活では紙にペンで文字を書いたり、他人の書き文字を見ることが少なくなってきました。ですが、谷さんは、作品作りの過程で、一度は紙の上に、手書きによって、身体を含めた“私という人間”を丸ごと表現することを推奨するのです。
そこには、時間性と身体性の問題が考慮されています。つまり、書くこととは、“身体的表現的思考的自己が醸造する時間”ということができるでしょう。それによって、はじめて〈考える主体〉がつくられるということなのです。
たとえば、看護記録に記された文字の乱雑さからは勤務当時の忙しさが伝わってきますが、それに比べてパソコンでは、書かれた意味以外のものを携えることが不得手です。読みやすいけど、ディスプレイされているのは表情のない文字だけ。対照的に手書きでは、考えた自分が考えた跡を残したまま紙に存在しており、文字以外の意味も刻まれています。これを足場にすることが、書くことの基礎体力を創っているのですね。