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考えること、学ぶこと。

「問い」の足場 看護過程における主観と客観 大久保 功子・家髙 洋

N.Ohkubo

みなさんは、看護過程を勉強するのに苦労してはいませんか? あるいは、それを教えることに困ってはいませんか?

 

看護過程は「問題解決志向システム」という、大きなものの考え方の中の一つのスタイルにのっとって開発された道具です。その証拠に、アセスメントは看護過程の中だけの話ではありません。環境アセスメント、リスクアセスメントなどのさまざまな領域で、さまざまに用いられています。

 

問題ばかりを中心に考えていたのでは、これから生じるであろう将来の大きな変化に耐えることができない。だから教育には発見的な考え方も必要なのではないかという動きもあります。看護の中では独自に、健康な人にもあてはまるウェルネスという考え方も持ち込まれてきていますよね。それはそれとして、ここでは問題解決志向の看護過程について考えてみたいと思います。そう、あのS(subjective data)、O(objective data)、A(assessment)、P(planning)です。

 

あれは四半世紀前のこと、私がまだ教員になりたてだったころに、一人の学生さんに出会いました。他の大学を卒業されてから看護大学に入学された人でした。困ったことに、彼女は実習に出ることはできたのですが、記録がまったくといっていいほど書けなかったのです。私は実習後に毎日のように面接をしましたが、そこで口頭で述べることはできるのに、次の日にノートに書かれることはほとんど変わらない。その繰り返しでついに退学してしまいました。

 

その学生さんとのやりとりで、気になったことがあります。確か「SとOの違いがわからない」と言っていたように記憶しています。「Sはね、患者さんが話したことをかけばいいのよ」「Oはね、見たことや検査結果なんかを書けばいいの」と、当時の私は指導していました。いま思えば、それは本当に浅はかだったと恥ずかしく思います。

 

その人の悩みの深さに気づいたのは、質的研究を志して哲学に足を踏み入れてからです。「患者さんの主観だ」といって、どんどん変化する長い会話の一部を切り取ってくるのは、まぎれもなく私の主観です。それを本当に「患者さんの主観だ」と言ってよいのでしょうか。

 

また、沢山あるチャート(カルテ)のデータの中から、これが客観だとデータの一部を切り取ってくるのも、私の主観です。じゃあ客観はどこにあるのでしょうか。今まで、当たり前のようにSOAPを書いてこられた方は、この問いに答えられますか? 私にはとても無理です。その学生さんの悩みは、たぶんここだったのです。

 

「あなたが客観だと思う客観は、どこからきたのでしょうか」「客観て何でしょう」哲学者である家高先生のお知恵をお借りしたいと思います。

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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