対 談

ケアの現場から立ち上げる現象学 西村ユミ ✕ 村上靖彦 科研費「医療現象学の新たな構築」第1回研究会より

質疑応答   page 1

質疑応答

 

 

つくる・つくられる、規範からずれる

 

守田 医療の現場では、たとえば医師の視点と看護師の視点と患者さんの視点、さらに他の職種や家族やなどいろいろな視点が入り込みながら、いろいろな現象が起こっているわけです。どのようにそれらを解き明かしていくかを考えたときに、看護師という一人の専門家が多様な職種にインタビューすることが、それぞれの世界を分析して、どうしていけばいいのかという議論のベースにできるのかどうか。一人の人間がそんなに多用な視点に立てるのでしょうか。

 

村上 問題なくできると思います。多様な視点からその人を分析すればよいのだから。僕自身の経験で言えば、看護師さんはとても分析しやすく、ヘルパーさんもあまり問題なくできます。しかしお医者さんの場合は「医療の言語」が前面に出てしまって、患者さんとのコミュニケーションをどうやって紡ぎ出していくのかという語りにはなりにくいことがあります。そういうことが起きる可能性はありますね。

 

守田 それは医療現象学にとってのこれからの課題ですね。

 

西村 数年前ですが、医師にインタビューをするためにある病院へ伺ったとき、わざわざ遠くから来てくれるのだからと気を遣ってくださり、A4の紙1枚に、話そうと思っておられた内容を準備して、当日お持ちくださいました。そのため、まずは用意いただいたその内容(診断とその経緯など)に沿ってお話をしてもらい、次に私の方から質問を投げかけました。すると、どんどん「自分の言葉」が出てくるのですね。その医師は、「こんなめちゃくちゃなしゃべり方でいいんですかね... ちょっと恥ずかしいけど、しゃべり始めちゃったから話します」と言って、1時間半にわたり語り続けてくれました。その方は重度な障害に至る難病の診療に関わっておられたので、たくさん思うところがあったようです。このように、それぞれの語り手が持っている枠組み、ここでは医師の物の見方をどのようにいったん棚上げできるかが、むしろ課題なのかなと思います。

 

榊原 そうすると、まとまった話をする人にインタビューしてもあまりうまくいかなくて、むしろまとまりがないインタビューの中でいろいろなことがわかっていく形のほうが分析しやすいのですね。

 

村上 そうですよね。

 

榊原 つまり村上さんの「言葉をつくっていく」というのは、むしろ言葉が「つくられていく」のであり、しかもいろいろと対話をしていくなかで言葉がつくられていく、ということですね。「プラットフォーム」の話に戻りますが、村上さんは「プラットフォームをつくる」という言い方をされています。これは、つくられるのではなくて「つくる」のでしょうか。

 

村上 今の話からすれば「つくられる」と言ったほうがいいのかもしれません。

 

榊原 西村さんのご本を読むと、その人が主体的・能動的に関わるのではなく、そのようになっていくとか、そのように促されるという受動性が強調されるんですが、村上さんの場合は非常に能動的な場面が強調されているような感じがしましたが。

 

村上 行為自体は能動的だと思います。ある種の能動性は擁護すべきというか間違いなくそれは「ある」ので、僕は看護実践の能動的な側面をかなり強調はしていますが、プラットフォームは自ずとでき上がっているものです。自分でつくろうと思ってつくっているわけではないですね。

 

発言者A 「実践のプラットフォームは既存の規範から外れる」とおっしゃってましたが、これは具体的にどのようなことでしょう?

 

村上 『仙人と妄想デートする』に書いた事例で言えば、ある精神科病院の看護師さんは「誰とでも友達になる」というプラットフォームをお持ちでした(p.79「第4章:患者さんが慕ってくださる」)。病棟の規則や方針として「友達になれ」というわけではない。その方はどんな患者さんとも世間話をしたりお茶を飲んでお話しをする人で、挙句の果てにはかつて担当していた訪問看護の患者さんや、普段仕事をしている慢性期病棟の患者さん、退院後に外来へ通う患者さんをみんな誘って一緒にスーパーへ買い物に行ったりするんですね。そうすることで患者さんとコミュニケーションが取れるし、患者さん同士も仲良くなれるから一石二鳥だと。これ以外にも、行動としてはいろいろな違った形やバリエーションが生まれるのですが、その態度は「誰とでも友だちになる」で一貫している。そのように規範とずれてはいるけど病院のルールと対立しているわけではない「俺ルール」なのです。

 

榊原 「俺ルール」ですか(笑)。

 

 

看護師の枠組み

 

発言者B 国立大学の博士課程の1年生です。私は看護師なのですが社会学の分野でホームレスの方を対象に研究しています。先生方のお話を聞いていてふと思ったことは、そもそも先生方にとって看護師とはどういった位置づけなんだろうという疑問です。というのは、私にはお二人が看護師をカテゴリー化してその枠組みの中に抑え込もうとされているような印象を受けたのです。

 

村上 僕にとっての看護師さんの位置づけは、本当に深い興味の対象であるということですね。患者さんに最も近いところにいる専門職であり、また看取りと関係がある仕事でもあることが僕自身の大きな関心の理由です。「枠組みに抑え込んでいる」と言われると確かにそうかもしれないです。ただそれは、対象によって状況が全然変わります。今はたまたまそうだというだけと思っています。

 

西村 私は自分自身の実践の中から生まれてきた関心から、20年間研究を続けています。自分も看護職なので同じ看護職に関心を持っているというのは表向きの理由で、実際の臨床経験が2年しかなく、長く働く看護師のみなさんへの憧れのようなものがあります。「普通のナースなら当たり前にできることを、西村さんはどうしてあんなにこだわりを持って研究しているんですか?」と質問されたりもしますが、たとえば現場の看護師は、病棟で自分の仕事を行いながら他の看護師の動きや全体の業務の進行も把握しつつ働く、ということがはっきり意識せずにできてしまう。

 

私はそうした出来事に出会うとワクワクしますし、純粋に驚きの連続なのです。いったい彼らにはいくつ目があるのだろう、とか、どのぐらい関心の射程が広がっているのだろう、などのように。そのなかで医師や患者さんにもアプローチし、異なる分野や立場の人々も同じような経験をしていることを知るにつれ、ある水準までは看護職の経験の成り立ちや構造の分析をしつつ、さらにもっと原初的な次元で人に関心を向けたり関心を促されたりといった「志向性」の問題や、意味の連鎖といった議論をしていくことに興味が広がっています。そうすることで「枠組み」を超えてより人間の普遍的な営み方の研究へとつながっていくのではないかと自分では思っています。

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