ディスカッション 後編
視点をどうとるのか
村上 僕がいま取り組んでいる虐待をテーマにした研究では、ファシリテーターと当事者の両方にインタビューができる状況にあり、参与観察や振り返りのデータなどもあるので、複眼的な立場から見えたものを一緒に合わせていくとどういう作業になるのかを考え始めているところです。研究をされている方の中には看護師さんと患者さんの両方にインタビューを取られている人もおられると思いますが、現象学ではそれがどういう経験・方法なのかを示すものがとりあえず何もありません。どうしてかなとは思うのですが…。
西村 私も今困っていることがあります。10年ぐらい前から遺伝子性疾患の患者さんを研究参加者としたインタビューを行う機会があったのですが、最近は、遺伝診療に関わる看護師や医師にもインタビューをしています。遺伝医療のあらゆるステークホルダーの経験を聴き取ったのはいいのですが、「さて一体どう分析したものか...」と困っているのです。村上さんの言う複眼的視点が必要になるのでしょうか。
私は今まで、病を持った患者さんの側からの研究をあまりしてきませんでした。今回それがうまくいっているのかどうかが今一つわからない。看護師を参加者とした研究では当の看護師の志向に合わせて私が分析をしていくのですが、村上さんは医療職以外の人たちや患者さんを対象とするときに、どのような視点に立ち分析をされているのでしょうか。私たちが患者さんの研究をしようとすると、どうしても医療者としての関心があるので、そこから意識的に「向こうの立場」に立ちます。これに対し、村上さんはいろいろな人の立場からスムーズに研究をされているように見えます。
村上 それは単純に僕が「素人」だからでしょうね、僕という人間がもつ先入観はあるにせよ、対象の看護師さんの立場に入るときには、そのつどその人の物事の見方で分析をすることになる。そうならざるを得ないですね。だから協力してくださった看護師さんの物の見方をどれだけ自分の中に取り入れられるかで、分析できるかどうかが決まるのかなと思います。なので、自分が読んでいるはずの看護師さんの見方に自分の分析の仕方が似てくるという経験を何度もしています。つまり僕はそういう意味ではいつもニュートラルな存在でした。無自覚的にですけど。
榊原 司会もしゃべりたくなってきたのですが、視点をどうとるのか、どういうふうに見えるのかという議論はまさに現象学の現象学たる所以ですね。現象学は現象がどういう構造をしていて、その現象の背後に何があるのかを探ろうとする哲学です。その人に「どう見えているのか」が現象ですから、当人の視点で分析をすることは現象学の常道だと思います。しかし先ほど村上さんが複眼的な視点をとることに対し西村さんはどういう視点に立つのか、という質問があったときに思ったんですが、西村さんの分析は常に現場の看護師さんや看護部長さんからどう見えているのかを分析していくのに対し、村上さんの分析スタイルには「その人にとってどう見えているのか」を超えるようなところがあると私には感じられます。
村上 ありがとうございます。たぶんそういうときって看護師さん自身の視点がそこにあるのでしょうね。視点の出発点として。
榊原 なるほど。
村上 物を見ているというのは「ここから見ている」わけではなく「そこで見ている」ということだと思うから。
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