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「新しい福祉国家へ」
上記とは違う、未来の可能性も予想されます。
それは、アメリカがその先端であり、日本も模倣してきた新自由主義的な枠組みが崩れ、福祉国家的な方向性へと移行していくものです。新自由主義は基本的に、国家が負担する社会保障を可能な限り減らしていき、民間活力や個人の「自己責任」の領域を広げていく資本主義の方向性の一つです。これにより、貧富の格差が激しくなるというデメリットがあります。
実際アメリカでは、多くの貧困家庭が医療保険に加入できておらず、治療に高額の医療費が必要であり、そのような現在の医療制度の仕組みが今回のコロナ問題のリスクを高めたと指摘されています。それに対し、福祉国家資本主義では、国家が集めた税金を用いて国民に手厚い社会保障を施していくという方向で、ヨーロッパで導入している国が多いため、ヨーロッパ型の資本主義とも言われています(広井、2015)。
一方、日本においては、国民皆保険制度があり、アメリカのようなリスクに歯止めはかけています。しかしながら、急速な人口減、高齢化が進む中、戦後の高度経済成長を背景に確立した国民皆保険、皆年金体制の維持※注が困難だと言われるようになっていました(金子, 2018)。そして国民皆保険の維持のためには、高齢化に伴い増え続ける医療費や介護保険の削減や増加の抑制が必要になっていました。
そうして国は、患者の在院日数の短縮を促し早期退院させ、その分地域包括ケアを推し進めていました。つまり、国は入院期間が長ければ利益が増えるという出来高払いを主流とした従来の診療報酬制度の見直しを進めて、早く退院させた方が病院の利益が増え、患者側にも過剰検査や投薬を防ぐことにつながるメリットもある包括払いへの移行を促していました。そのような中、各病院は、より高い診療報酬を確保するため、経営方針として「在院日数を短縮して回転を上げて高単価で病棟を運営する。言い換えれば「効率化」(雑誌「Solast」, 2017)に努めるようになっていました。
また、病床が多いと不必要な入院も増えて医療費が膨らむ可能性があるとして、政府は2025年の病床数を、2013年時点よりも16万~20万減らして115~119万とする目標を掲げていました。病床規制そのものはそれ以前の89年度からスタートしており、90年代以降、一般病床はそれまでの増加傾向から減少傾向に転じていましたので、さらなる減少を目指していたといえます。
簡単に言えば、高齢化に伴う医療費の圧迫への対策として、できる限り病床を減らし入院日数を短期化し、その分、病院外での民間サービスの活用を促していたと言えます。このことについて金子(2018)は、「「公的サービス」の産業化とは、現行の社会保障・社会福祉の守備範囲を縮小し、その狭めて対応しなくなった部分を一般市場へと移行することを意味」(p.52)すると指摘しています。
つまり、日本は、国民皆保険、皆年金という福祉国家政策を継続しつつも、新自由主義的な方向性を強めていたといえます──日本がヨーロッパに比べ、アメリカ型寄りであることは、経済的格差が大きく、環境配慮への志向性が低いという分析からも指摘されています(広井、2015)──。
しかし、アメリカですら、この非常事態においては、新自由主義政策とは逆とも思えるベーシックインカム(国家が国民の最低限の生活資金を提供する、究極の社会保障と言われている政策)に近い形での一律の現金給付に触れたとの報道もありました(実際の給付は、2020年4月13日現在、所得制限の上で行われる方針)。日本でも当初は収入減少に苦しむ国民に対し現金給付を、最終的には一律10万円給付となりました。もちろんこれらは今のところ一時的な緊急措置であり、コロナ問題後も継続するベーシックインカムへと発展する可能性はまだ低いと言えます。
ただし、もしアメリカが、これまでのように個々の自己責任に課し、例えば多くの貧困家庭が医療保険に加入できていない状況、治療に高額の医療費が必要な現在の医療制度の仕組みが、今回のコロナ問題のリスクを高めたと判断するならば、この抜本的な改善に乗り出すかもしれません。
また、仮にベーシックインカムに近い保障が長く続いた場合(ただし、財源の問題に必ず直面しますので容易ではありませんが)、これに先の在宅勤務、ネット教育、都市から地方への企業や住まいの分散、さらにAI等の技術革新が続き、複数の要素が重なっていったとき、「従来の仕組みへの回帰」とはならず、むしろ、社会は大きく変わっていく可能性があります。つまり、ベーシックインカムで最低賃金を得つつ、都心にこだわらず地方に住みながら、可能なところはAIに作業を任せそれと協働していくような、より自由かつ多様なライフスタイルの拡がりです。在宅勤務がまさにそうですが、仕事と生活の境界もさらに曖昧になっていくでしょう。
しかしながら、仮にそうであっても、ある程度、これまでも描かれてきた新しい福祉国家資本主義の体制が、いっそう主流になるのであって、資本主義という仕組みそのものはそれほど変わらないかもしれません。つまり、新自由主義よりも、国家が国民に対しては手厚く社会保障を施すようになり、自然に対しては今よりもエコ的な配慮をするようになっていく意味で望ましいにしろ、やはり依然として自然資源から商品を開発し、それを販売して、より多くの利益を稼ぎ、それを税収として集め、国民に国家が再分配していく。
言い換えればそれは、国民の間、あるいは国家間で経済獲得競争は続けるという、それまでのやり方のあくまで延長です。技術革新も続け、市場を開拓し、より利便性を高めようとする方向性は基本的に変わりませんし、ある意味で現実的な路線といえます。
つまり「ウイルスの問題は、(もし開発されれば)ワクチンや治療薬によって、言い換えれば自然科学の力によって解決したのだから、科学技術の発展とそれへの投資こそ、やはり経済にとっても人類の生命にとっても最も重要なのだ」というこれまでの考えの継承でありその拡張です。この方向性は、一歩前進でありながら、しかし、いずれも「人間中心主義」の世界であることは変わっていません。次に述べるように、そもそもの根本にある人類の社会構造自体を、あるいは、人間と自然(非人間)の関係性を地球規模で考えていくことに関してはまだ不十分です。
ただし、変化とは徐々に進むものですので、福祉国家資本主義の方向性が中継地となって、次に述べる資本制の構造的変化へとつながっていく可能性もあります。あるいは、そもそも福祉国家も税収が前提になるため、経済が安定していなければ安定した税収が期待できず、この構想に亀裂が生じる可能性もあります。
それでは、上記の他に、ありうる将来像とは何でしょうか。資本主義以外の方向性など考えられるのでしょうか。次の後篇(第7回以降)で見ていきましょう。なお後篇の冒頭に掲げる表にて、前篇(第3〜6回)でおもに述べた「これまでの社会の延長線上」としての"Post-COVID-19 Society"と、後篇で述べる「新しい社会への転換」としての"Post-COVID-19 Society"とを一覧にしています。
(後篇へ続く)
◉ 引用・参考文献(第3〜6回)
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※注:日本では戦後の高度経済成長を背景に、国民皆保険と皆年金体制が1961年に整備され、72年に老人医療費無料化が実現し、政府により「福祉元年」が宣言されました。しかし同年にオイルショックが起きて福祉の見直しに迫られました。そうして83年に老人医療費が有料化され、89年には高齢化社会に備えて、通称ゴールドプランが策定されて現在の地域包括ケアの流れが加速していきます(金子, 2018 参照)。