宮子:なるほど。そういう話は、今の西村さんとすごく合致している感じがします。でも、それは偶然に起こるんですよね。

 

西村:そう。一見偶然なんですけど、偶然とは言えないくらい取れるようになりました。でも、コーチに出会ったのは偶然ですね。私の人生もどちらかというと偶然に導かれてきました。私は自分で将来設計をして、それを目指してという生き方ができなくて、その都度の出来事や出会いに翻弄されて、結果的に今に至る、という感じ。

 

高校生の頃はハンドボールに熱中したけど怪我をして挫折。それが医療への関心につながり、むやみに医学部を受験して落っこちてしまう。同じ年に、医療系ということで看護大学を受験し、試験で出会った友人と意気投合してそのまま進学(笑)。大学に入学後も2年間はハンドボールを続けていたんですが、ある看護実習がとっても面白くて、当初は編入試験を受けることも考えていたのにすっかり忘れてしまいました。

 

宮子:実習が面白いってすごいよね。私なんか苦痛でしかなかったですよ。

 

西村:たとえばその当時はインフォームド・コンセントということばが輸入された頃で、学生だから素直に受け持ち患者の主治医に向かって「先生、インフォームド・コンセントのことどうお考えですか」とか聞いたり(笑)、終末期の患者さんを受け持った際には、その方が亡くなる前に自宅近くのあじさいがたくさん咲くお寺に行きたいとおっしゃって、あと数週間という状態だったのに「○○寺に安全に行って帰ってくる」というケアプランを立てたり。そんなのを見たら、看護師さん方はみんな凍りつきますよね(笑)。

 

宮子:でもその時は真面目にやってたのよね。

 

西村:そう。行動計画として看護師さんに発表をしました。もちろん実施には至らなかったけど、患者さんの奥さんが「いい夢を見させてもらいました」ってお礼を言ってくれて……。そういう経験をしました。今では、患者さんやご家族が私の看護師としての意識を育ててくださったように思っています。だから、とても楽しく実習をしました、って言えるわけですが。

 

卒業後は地元の赤十字病院で2年間看護師として働き、そこでもいろいろやらかして、母校から助手として帰ってこないかとお声掛け頂いたので東京に戻り、助手をしているときに大学院を進められたので女子栄養大学の修士課程に進みます。

 

もともと理系だったので臨床生理学がやりたくて医師に指導を受けました。けれど、その時に取り組んでいたのは、高齢者が高齢者の介護をしている現場に出かけて行き介護者の生理機能を測定するという研究です。真夏に測定機器を持って50件のお宅を訪問し、何度も体力の限界を感じました。

 

また並行して、これも偶然ですが、生理機能評価のトレーニングをさせてもらった病院に、植物状態患者さんの専門病棟があり、こちらでの経験がその後の私の研究に大きくかかわりました。

 

宮子:なるほど、そういうことなんだ。やはり西村さんの関心は常に「身体」なんですね。

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◉お知らせ:この対談の全ての内容を収めた書籍が刊行されました。詳しくはこちらをご覧ください。(2018年10月)

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