第二回:地域福祉の実現に並走する

美術館運営という「支援」

―ボーダレス・アートミュージアムNO-MA

(社会福祉法人グロー)の実践から―

 

>> 今回の視点 〜 編集部より

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA外観(2015年の企画展『鳥の目から世界を見る』開催時)

 

ボーダレス・アートミュージアムNO-MAをご存知だろうか? 滋賀県近江八幡市の重要伝統的建造物群保存地区にある昭和初期の町屋を改築し、2004年6月に開館した美術館だ。社会福祉法人グロー(旧・滋賀県社会福祉事業団)が運営するこのNO-MAでは、これまで障害のある人が創作した造形作品と、一般(いわゆるプロ)のアーティストのそれとを並列で展示することで、「人の持つ普遍的な表現の力」というテーマに迫ってきた。強烈な表現が自ずと抱える普遍性を前にしたときに浮かび上がるのは、「障害と健常のボーダー(境界)は一体どこにあるのか?」という問いだ。それは、「そもそも“支援”とは一体どこからどこまでを指すのか?」という問題提起を、通常の障害福祉事業としては前代未聞の「美術館運営」という実践を通じて理屈のみではなく「地」でやっている、と言い換えられるだろう。今年で開館14年目を向かえるこの小さな美術館の小さからざる挑戦を中心に、その運営主体であるグローが培ってきた「超支援」について、数回に渡り書いていきたい。

 

NO-MAとは何か

 

まずはNO-MAの空間から紹介しよう。NO-MAは、伝統的な風情が漂う近江八幡市の永原町の築80年の町屋「野間邸」を改装してできた。京風数寄屋造りの建築を生かし、1階のメインギャラリー、2階の畳敷きのギャラリースペースのほか、中庭に建つ蔵も展示スペースとして活用。開館当時は「ボーダレス・アート “ギャラリー” NO-MA」であったが、2007年には博物館相当施設の承認を受け、名実ともに“ミュージアム”に改称。アートディレクターには、絵本作家であり、長年、障害のある人の造形活動の普及にも取り組んで来たはたよしこが就任。グローの職員である学芸員と連携して、前述した「ボーダレス」をテーマにした企画展を年3回程、また、滋賀県内の障害福祉施設による合同企画展や地域に開かれた交流プログラム、貸し館企画などを運営してきた。

 

企画展の内容を数例紹介しよう。各展に共通するポイントとして、障害のあるつくり手の実に独特な視点・こだわり、それに伴う習慣・癖的行為からヒントを得て、そこから障害の有無を超えた普遍的な「世界の見方」を提示するといった企画の組まれ方が多い点を挙げておく。例えば、開館初期の2005年に開催された『縫う人 針仕事の豊かな時間』のコンセプトはこうだ。

 

「縫う」ことは大変古い歴史をもっており、世界各地でさまざまな技法や様式を持ちながら続けられています。しかしその一方、「縫う」ことの行為は針と糸と布などで行うある意味とてもシンプルな繰り返しの行為であり、その連続性が生み出す一定のリズムや流れは、針を刺す人の持つ固有の時間でもあるのです。世の中が合理的に変化しようとも「縫い」という行為は、人間が本来持っている触覚的な感性や揺るがぬ時間の確かさを、具体的なものとして感じさせてくれます。

 知的障害者の「縫い」はそのことをとても直裁に思い起こさせてくれます。また、中央アジアの民のまさに生きることと直結した、縫うことへの祈りにも近い行為は、製作にかけた膨大な時間とともに縫いの本質そのものであります。そして、現代アーティストたちはその本質を直感的に嗅ぎ取り、また違った形で「縫い」の持つ豊かな魅力をあぶり出して見せてくれます。

(展覧会チラシより一部引用)

 

 

『縫う人 針仕事の豊かな時間』展示風景。出展作家のひとり、山本純子氏が自宅で過ごす大半の時間をかけて制作した、フェルト作品を取り囲む静かな時間。

 

 

あるいは2006年の『マイルール 〜わたしの時間の集積〜』は以下のとおり。

 

 たとえささやかな行為の中にも自分流のこだわりのやり方「マイ・ルール」が存在します。そうすることによって、その人だけが感じる安堵する幸福な時間が生まれるのでしょう。

 自閉傾向の強い障害を持つ人たちの日々の生活は、極端に言えばその「マイ・ルール」だけで成り立っています。この煩雑で生きにくい社会の中で、彼らが自己を保つためのそれは不可欠な方法であり、「繰り返していること」の意味でもあるのです。

 今展は、現代アートの表現者3人と、障害を持つ表現者4人の「繰り返すこと」から生まれたものの形を展示いたします。

(展覧会チラシより一部引用)

 

 

『マイルール〜わたしの時間の集積〜』で展示された橋脇健一氏の作品。施設で暮らす氏が週末自宅に戻った時だけ、今は亡き父親の思い出の場所だけ、その位置から見える物だけを描き続けてきた集積。

 

 

また、障害福祉サービスのみならず特別養護老人ホームや老人デイサービスセンターなども運営するグローならでは背景も伴いながら、アートディレクターのはたの卓越したセンスのもとで『快走老人録~老ヒテマスマス過激ニナル~』(2006年。開館10年にあたる2014年にパートⅡも開催)という名物企画展が誕生した。

 

 この展覧会は老化することが弱者になる、または枯れて物分かりがよい好々爺になるといった、エネルギー量減少方向のベクトルをもつのではなく、逆にありのままの余生を爆発させ、時には若いころより過激に過剰に自己表現のボルテージを上げて花開かせる、そんな不可思議なパワーにスポットを当てます。煮詰まってゆく切実なリアル。底抜けでおおらかな放出。最後のカーブをフルスロットルで突っ走る時、人はその向こうに何を見ることができるのだろう。・・・・人生はまだまだ、お楽しみはこれから。

(展覧会(第1回)チラシより引用)

 

 

『快走老人録~老ヒテマスマス過激ニナル』の展示風景。手前にあるのは小幡正雄氏の段ボールを素材にした作品、奥は塔本シスコ氏の油彩画。

 

 

このように、「障害」や「老い」など、通常「負」の要素として語られるその人の有り様、属性からこそ生まれる表現を、斬新かつ明快なコンセプトを伴う展示を通じて提起する。そして「障害の有無」というボーダーのみならず、一見つながらなさそうな「福祉とアート」という領域の関係も編み直し、かつ地域に親しまれる建造物から新たな価値・文化を発信していくという意味では「美術館と地域」に横たわるボーダーをも超えていくことを企図してきたのだ。

 

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