新しい知識観と「学ぶこと」の探究 編集部

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 考えること、学ぶこと。

ABLE 2016 Summer 開催情報 ▶

これからの学びに必要な新しい知識観

 

7月30日(土)、東京でABLE(Agents for Bridging Learning research and Educational practice)によるワークショップが開催されます。ABLEは認知科学を中心にさまざまな領域の研究者や教育実践者などが理論・ 知識・経験をシェアする「学びを考えるコミュニティ」として2012年に立ち上げられました。過去そして今回のテーマは以下のようなラインナップです。

 

 2012年冬「科学的/数学的な物事の見方、認識をどう育てるか」

 2012年夏「科学的発見はどう生まれるか」

 2014年冬「知識をつくる教育を探る」

 2014年秋「生涯かけて熟達し続けるための探究トレーニング」

 2015年夏「学び続け変わり続ける社会をつくるアート ART IN COMMUNITY

 2016年冬「直観力を育てる 批判的思考を学びに活かすために」

 2016年夏「批判的思考と探究力を育む科学教育」

 

ABLEの詳しい活動内容・参加方法などはこちら▶▶

 

主宰者である認知科学者の今井むつみさん(慶応義塾大学環境情報学部教授)は認知心理学・発達心理学・言語心理学が専門で、子どもがどのように知識を創造していくかを語彙習得を中心に研究されています。今井さんは知識を断片的な事実の寄せ集めとしてではなくシステムとしてとらえる新しい知識観の重要性を説かれており、著書『学びとは何か─〈探究人〉になるために』(岩波新書)で次のように述べられています。

 

《子どもは語彙という巨大な知識のシステムを、そのしくみを発見しながら自分の力で創り上げていく。知識は常にダイナミックに変化し、生き物のように成長し、今ある知識が新しい知識を創造していく。母国語を習得するときには誰もがこのような「生きた知識の学び」をしている。この知識構築・創造の姿こそ、「主体的な学び」の本来の姿であるはずだ》(p.228)

 

ここに書かれている「生きた知識」とは何でしょうか。

 

昨今あらゆる教育の場で課題となっている「主体的な学び」や「アクティブ・ラーニング」といったキーワードの反語として「知識偏重の学び」という言い方があります。これではあたかも「知識」自体が悪者のようですが、本来学ぶことは知識を得ることに他なりません。問題は「知識=事実の断片」ととらえる従来の古い知識観であり、これに対し「生きた知識」は、そのような個々の事実の断片をただ漫然と記憶することではなく、すでにある知識からまだどこにもない新しい知識を生み出していくという探究の営み全体を指しています。

 

今井さんのこうした知識観は、乳幼児の言語発達や多言語比較への関心にとどまらず、あらゆる人間における熟達のプロセスや、超一流と呼ばれる技能者の認知・学び方の特徴解明にも向けられます。

 


熟達に必要な学びとは

熟達とはその分野の知識のシステムをつくり上げていくことであり、その過程は学び手それぞれの方法で常に効率化や再構築が図られ続けています。この先に現れてくるのが熟達者独特の臨機応変さや、意識をせずに必要なことをこなせる「スキルの自動化」です。こうした能力の獲得によって本当に必要なことだけに注意を集中でき、初心者には扱えない高度な局面への対応が可能となるのです。

 

また、同時に重要な能力として現れるのが「カン」すなわち直観力です。熟達者のもつこの直観力をめぐって、今井さんはプロ棋士・羽生善治氏の実践や将棋観に注目します。

 

《プロ棋士はこれから向かおうとする形について直観的に“視る”ことができ、次の一手も直観によって無数の選択肢から候補を絞り込むことができる…(中略)…将棋や囲碁では熟達者の働き方は二種類ある。全体の終着点についての直観と、次の手についての直観である。多くのタイトルを持つプロ棋士の羽生善治さんは著書『大局観』で前者を「ひらめき」、後者を「直観」と呼び分けている。これは非常に示唆に富む洞察である》(同書, p.110)

 

羽生善治さんの『大局観 自分と闘って負けない心』(角川oneテーマ21)によると、大局観とはさまざまな手を深く読まなくても、その時の状況とその後の流れを一瞬見ただけで判断する直観のことであり、それは経験を積めば積むほど精度が上がってくるのだといいます。

 

「生きた知識」の学びとは、こうした熟達のプロセスそのものです。語学習得でもスポーツでも伝統技能でも、そして看護師のケアする能力においても、それぞれの知識のシステムを自分自身の力で探究し体得していくことで文字通り身についていく=身体の一部となっていくのです。

 

知識を単なる事実の断片としてとらえず、それらを有機的に関わらせ自分自身で知識のシステムをつくる営みとして理解することは、「批判的思考」でも同様に重要です。医療・看護において批判的思考(=クリティカル・シンキング)を語る際、「エビデンス」という言葉を抜きにすることはできませんが、このevidenceという英語は不可算名詞のため、例えば「three evidences」といった表現はできません(「three pieces of evidence」が正しい)。すなわち、エビデンスとは個別の「事実」ではなく「さまざまなピースを論理的に整合性がとれるように組み立て、構成した論理の不可分な全体」なのです。

 

つまり、批判的思考とはある仮説や理論、言説を証拠に基づいて論理的に積み重ねて“構築していく”思考のしかたのことであり、単に「感情にとらわれず客観的にものごとを考える」とか「多角的にものごとを検討する」ということではありません。(前掲書、p.111・164)

 

冒頭で紹介した、今夏のABLEワークショップのテーマは「批判的思考と探究力を育む科学教育」です。従来の教育のあり方が大きく変わろうとしているなか、あらゆる専門分野の学習において重要となっている「新しい知識観」の最前線と、個々の学習者に求められる「探究」の姿勢や実践とはどのようなものなのか。後日、改めてこのワークショップの内容をご紹介したいと思います。

(2016.7.7)

 

いまい・むつみ1989年、慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。1994年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知・言語発達心理学、言語心理学。著書に『ことばと思考(岩波新書)『ことばの発達の謎を解く(ちくまプリマ―新書)『ことばを覚える仕組み(ちくま学芸文庫)『レキシコンの構築 (岩波書店)『ことばの学習のパラドックス(共立出版)などがある。

『学びとは何か ──〈探究人になるために〉』今井むつみ著/岩波新書

発見と創造を本質とする学びとはどのようなものか。認知科学の視点から「生きた知識」の学びについて考える。また、教育改革のキーワードとなっている「問題解決能力「生きる力「批判的思考「アクティブ・ラーニング」などの言葉が具体的にどのようなことを意味し、どのような教育を必要としているのか。そこに潜んでいる問題にも言及している。

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