生きるを考える Nursing Science for the End of Life

連 載

考えること、学ぶこと。

第1回 アルフォンス・デーケン 「ユーモア感覚は世界を結ぶ」

私たちは、限りある人生をいかに生きればよいのでしょうか? 死について考えるのは決して暗いニヒルな思考ではなく、死をみつめることを通して自分にいただいた「いのち」を最後までどう大切に行き抜くか、自分の生き方を絶えず問い直し行動していくことであると、私は考えています。

 

これまで生と死を考えることを通して、まわりの人たちとこころを開き、相手に出会うことの大切さに気づかされてきました。私は「出会い」という言葉がとても好きです。そこには、狭い自己の殻から出てこころを開き、相手とめぐり合うという意味があるからです。

 

死について学べば学ぶほど、もっと深く生きることについて考えるようになるでしょう。人間の老いも死も、生命体の必然的な自然現象ですね。そして、日本人の死亡率は100%です。この世に生をうけた以上、誰でもいつかは必ず死を迎えます。ですから、生きている時間の尊さに気づいて、少しでも意義のある人生を送りたいと思います。また、こころ豊かに生きるためには発想の転換が求められるでしょう。そのためには温かな人間関係を築くユーモア感覚がとても重要です。

 

中世の人々は「メメント・モリ(死を憶えよ)」を座右の銘としていました。人間は自分なりの生を全うしなければならないのと同時に、自分なりの死を全うしなければならなず、死は学ぶべき芸術だと考えられていたからです。しかしながら日本では、ながらく死をタブー視してきたために「死生学」への取り組みが遅れていました。そのため現代では、死後は何もなく死ですべてが終わるのだと考えている人もいます。

 

しかし、超高齢社会を迎えるこれからの日本においては、より温かい社会やよりよい医療を求め、また悲しみに沈む人々に寄り添い、いのちを大切にする社会に向けて、死への準備教育が大切な役割を果たすことでしょう。

 

そこで、私の専門である哲学・宗教学の立場から、自分らしく「死」と出会うために、どう「生きる」べきか、次のことがらについて考えてみたいと思います。ひとつは「生命の有限性への認識─死への準備教育」、もう一つは「クオリティ・オブ・ライフを高める」、そして「悲嘆教育の必要性〜患者の家族と遺族へのケア」、さらに「ユーモア感覚は世界を結ぶ」です。ここでは最後の「ユーモア感覚は世界を結ぶ」の一部分をご紹介しましょう。

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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